摂取心光常照護:摂取の心光は常に照護したまう。
「親鸞は摂取の心光に常に照護される身になった」と言われているお言葉です。
摂取の心光に、常に照らし護られる身になったとは、阿弥陀仏のお力に、
常に照らされ、護られる身になった、ということです。
「そういう常照護の幸せな身に、親鸞はなりました」と言われているお言葉です。
阿弥陀仏のお力に常に照らされ護られたなら、
一切がさわりでなくなりますから、「無碍の一道」といわれます。
親鸞聖人は『歎異抄』に「念仏者は無碍の一道なり」と言われています。
阿弥陀仏に救われて、常照護の身になった人を「念仏者」といわれ、
そういう人は「無碍の一道」に出るのだ、と言われています。
「無碍の一道」の
「無碍」とは一切がさわりにならない、
「一道」とは世界です。
無碍の一道へ出れば、一切、浄土往生のさわりになるものがありませんから、
変わることのない絶対の幸福です。
私たちの幸福は、いつ崩れるか分からない幸福です。
夕べまでは一家団欒の幸せな家庭が、明くる日は交通事故で地獄になります。
昨日まであった幸福は、いとも簡単に崩れてしまいます。
今幸せだと喜んでいる状態は、まさに噴火山上でダンスをしているようなもので、
いつ足もとから噴火するか分かりません。
そんな、今日あって明日なき、続かない幸福を、相対の幸福といいます。
親鸞聖人が無碍の一道と言われたのは、そんな相対の幸福ではなく、
常に変わらない、絶対の幸福です。
この身になることこそが、すべての人の生きている目的です。
私たちは、苦しむために生まれて来たのでもなければ、生きているのでも、
今から生きていくのでもありません。
人が生まれて来た目的、生きている目的、今は苦しいけれども死んではならない、
生きねばならない目的は、無碍の一道へ出ること。
無碍の一道へ出て、絶対の幸福になるためです。
阿弥陀仏のお力に常に照らし護られる絶対の幸福の身になることが、本当の生きる目的なのです。
「摂取の心光は常に照護したまう」とは、
「親鸞は幸せにも、摂取の心光に常に照護される絶対の幸福の身になれた」ということです。
これが本当の生きる目的ですから、
「人生の目的を達成できた」と言われているお言葉です。
そこで私たちは、
「どうして常に照護される身になれたんですか?
私も絶対の幸福になりたいんですが、どうすればなれるんですか?」
と聞きたくなります。
親鸞聖人は、それに対して、
「親鸞、常照護の身に救われたのは、摂取の心光によってなのだ」と言われています。
では「摂取の心光」とはどういうことかといいますと、「摂取の光明」のことです。
「光明」とは、阿弥陀仏のお力のことです。
阿弥陀仏のお力とは、どんな人をも無碍の一道へ出す、そして生まれて来た目的を
果たさせるという偉大なお力です。
そのお力に大きく分けて2つあります。
「遍照の光明」と「摂取の光明」の2つです。
まず
「遍照の光明」の「遍照」とはあまねく照らすということです。
すべての人間は勿論、生きとし生けるものすべて、照らされていないものはありません。
すべての生きとし生けるものを、仏教ではそれらを「十方衆生」といいますが、
十方衆生をあまねく照らして差別がないのです。
この遍照の光明に照らされていないもの、
この阿弥陀仏のお力のかかっていないものは、絶対にありません。
この十方衆生にかかっている遍照の光明は、どのような阿弥陀仏のお力かといいますと、
なんとしても無碍の一道へ出させようというお力です。
何とかして無碍の一道へ出させてやりたい
そして人生の目的を果たさせてやりたい
常照護の絶対の幸福の身にしてやりたいという阿弥陀仏のお力です。
この遍照の光明のお力によって、今まで仏とも法とも知らなかった私たちが、
仏法を聞かずにおれなくなります。遍照の光明によって、私たちは、照育されていきます。
阿弥陀仏のお力によって、どんな人も聴聞の一本道を進ませて頂いて、変わって行くのです。
親鸞聖人が、「摂取の心光によって人生の目的達成できたんだ」と言われていますのは、
遍照の光明によって、長い間照らされ、育てられて、一念でがちっと摂め取ってくだされる。
無碍の一道へがっちりとおさめとって、常に絶対の幸福に生かしてくだされる。
それをここでは「摂取の心光」と言われています。
「遍照の光明」は「色光」とも言われ、それに対して「摂取の光明」を「心光」と言われます。
ですから「摂取の光明」といっても「摂取の心光」といっても同じです。
親鸞聖人は、
「この摂取の心光によって無碍の一道へ出られたんだ、だから人生の目的達成できたのは、
弥陀の摂取の心光によって、常に照護される親鸞になれたんだ」
と言われているのです。
これは親鸞聖人だけでなく、誰もが遍照の光明に照らされ、誘引されて、
聴聞の一本道を進ませて頂いて、一念で摂取の心光にあうのです。
そして常に照らし護られる、無碍の一道に出させて頂ける。
人生の目的を、達成させて頂くのです。
阿弥陀仏の光明は十方衆生にかかっていますから、みなこの道を通ります。
そして無碍の一道に出ることができるのです。
一日もはやく親鸞聖人と同じ、常照護の身になれるように、真剣に聴聞させて頂きましょう。