金森の道西~御文章を最初に蓮如上人より賜る~
小さな本願寺をたったの一代で最大の仏教教団にされた蓮如上人の最大の武器は、御文章でした。実は、この御文章を最初に上人より賜ったのが金森の道西でした。蓮如上人が御文章を書かれたのは寛正2年(1461年)、上人47歳の時でした。道西は上人からお聞かせ頂いた親鸞聖人の教えを正確に分かり易く多くの人にお伝えしようとしていたが、中々できない事に苦しんでいました。その苦悩を知られた上人は御文章の作成を思いつかれたと言われます。その記念すべき、御文章第1号の全文は次の通りです。「当流上人の御勧化の信心の一途は、つみの軽重をいわず、また妄念・妄執のこころのやまぬなんどいう機のあつかいをさしおきて、ただ在家止住のやからは、一向にもろもろの雑行雑修のわろき執心をすてて、弥陀如来の悲願に帰し、一心にうたがいなくたのむこころの一念おこるとき、すみやかに弥陀如来光明をはなちて、そのひとを摂取したまうなり。これすなわち、仏のかたよりたすけましますこころなり。またこれ、信心を如来よりあたえたまうというもこのこころなり。さればこのうえには、たとい名号をとなうるとも、仏たすけたまえとはおもうべからず。ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることの、かたじけなさのあまり、如来の御たすけありたる御恩を報じたてまつる念仏なり、とこころうべきなり。これまことの専修専念の行者なり。これまた当流にたつるところの一念発起平生業成ともうすもこのこころなり。 あなかしこ あなかしこ 寛正二年三月日」まず、どんな罪深い人であっても阿弥陀仏を信ずる一念で救い摂られる事を明らかにされます。これを「信心正因」と言いました。次に、念仏は救いの手段ではなく、弥陀に救われた御恩を報じる為に称えるものである事を鮮明にされます。これを「称名報恩」と言いました。しかも、親鸞聖人の教えは「平生業成」、死んでからではなく、現在ただ今、生きている時に救われる事をハッキリ打ち出されます。簡潔、明瞭な御文章の中に、親鸞聖人の教えの要が、全て収まっています。蓮如上人からのお手紙(御文章)を受け取った道西は、「これ聖教なり、これ金言なり」と言って感嘆したと言います。ただの手紙ではなく、弥陀から頂いた「ふみ(手紙)」であるとして「御文」「御文章」と呼ばれるようになったのです。