実家に帰らないと、
と急に思い立ち
両親のもとへ
昨日帰ってきました。
87歳の母が
70代前半の人に
なんで戦争を
とめなかったのか?
とか、戦争なんか
なんでしたんだと
言われたらしく。。
腹が立ったと。
まさかの
そこから戦時中の話に。
両親が自分達が
受けた教育の話を
し始めたんですね。
教育勅語の話
そして兵隊さんの話
靖国神社の話。。
日本の兵隊さんは
日本のためだけに
戦ったんじゃない
東洋の平和を
守るために
みんなで
命をかけて
戦ったんだと。
父なんか
涙目になって
自分がもし
3つ4つ年齢が
上だったなら
戦争へ行ってたと。
青年将校たちが
馬に乗って
通るとき
子供だった父は
馬に乗せて
もらい
青年将校達も
皆優しかったと
いうのです。
彼らが
靖国で会おう
靖国で会おう
口々に
そう言って
戦地へと
旅立って行き
命を捧げました。
特攻隊も
志願者だったと。
戦地に死にに行くのに
自分たちで
志願して行ったと。
この国の未来をを担う
自分の子供たちのために
この国のために
そしてアジア諸国の
平和を護るために。。
自分たちがこの世を
去ったら
もう戦争を語れる
世代はいなくなって
バカみたいなことを
言う連中だけになる
と両親が言うのです。
お父ちゃん
お母ちゃん
大丈夫だよ
若者たちは
ばかじゃない
ちゃんとわかる
人たちがたくさん
出てきてるから。
次女もいろんな資料を
見ながら勉強してる
ただしい歴史を認識
できる日も
御先祖様は立派だったと
胸をはって言える人が
たくさん増える日も
そう遠くはないと
思っています!
去年6月雨の中
靖国神社を参拝
しました。
ちょうど鹿児島県
出身の英霊さんが
妻にあてた手紙を
掲示して
ありました。
号泣しました。
そして長崎原爆が
落とされる
数ヶ月前まで
長崎市山里町に
住んでいた
母が「長崎の鐘」を
歌い始めました。
祖父は仕事の関係で
被爆しました。
原爆の投下された日の
話は高校二年のときに
倫社の作文で書いたので
今でも思い出せます。
母が言うんです。。
鹿児島で学校帰りに
機銃掃射で
米兵が
怖がる子供たちを
ターゲットに
わざとたまを
あてないように
撃ってきたと。
日本人なら
あんなことは絶対
しないと
言ってました。
今思えば
すべてが流れ。。
今の世も流れ
流行り物も流れ。。
にしても
戦争を経験した
人たちは
本当に大変な
時を選んで
生まれてきたのだと
つくづく思います。
勇気ある魂さん達です。
今は御先祖様になり
この国を
護る力となって
くださっています。
本当にありがたい
と思います。
私達が
できることは
せっかく
平和な時代に
生まれて
これたのだから
今を楽しみ
今世を楽しく
しあわせに
暮らすことと
この時代の礎を
築いてくださった
先代達
御先祖様達に
感謝の気持ちを
持って生きること
なんじゃないかなと。
日本が大好きで
生まれ育った
鹿児島が大好きです。
大好きな街を
大好きな神々様
龍神様、御先祖様に
感謝しながら
寿命が来るまで
生きたいと思います。
今日もご覧いただき
ありがとうございました!
ありがとうございます!
明るい未来を
描きながら
前に進みます!
おやすみなさい♫