良い気分でいると決める | クソニートパム子の開運日記

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崖っぷち引きこもりクソニート40過ぎ女が、開運メソッドにすがり藻掻いてく日記です

昨日ブログを書きながら気づいた。

 

私はずっと何かを心配している。

 

だが、それと同時に、何かに追い込まれる時だけ、自分を大事にしようとする。

 

数年前、私が住んでる地域で地震が起きた時もそうだった。

 

私の住んでるところは、地震が起きることがほぼなかったのだが、数年前から大きな地震が度々起きるようになった。

 

初めて大きな地震の揺れを体験して、元々心配性の私は一気にメンタルが弱った。

 

が、いつくるかわからない地震にずっと怯えているうちに、自分の中から物凄い怒りが湧いてきた。

 

自分の人生を無慈悲に奪われていく感じがどうにも許せなかった。

 

その時強く思った。

 

 

「私の死に場所は私が決める」

 

「私の命は誰も奪うことができない」

 

 

一人でブチ切れて、まだ余震が続いてる中、何故か観音様を見に行った。

 

その年は、12年に一度しか見れないという観音像の公開年だった。

 

余震が続いている中、見ると神々しすぎて目がつぶれるといわれる観音様を見にいくというわけのわからないことをした。

 

 

いつ死ぬかわからないが、今生きて体が動けるなら、自分が選択できることがまだまだあるのだ。

 

 

観音様のご尊顔を拝し、お寺の尼さんと少しお話していたら、尼さん手作りの小物入れを何故かもらった。

 

お寺の裏手にある大好きな神社にも参拝し、ご神水もいただいて、気分を落ち着かせて帰った。

 

 

あの時の怒りと、肝の据わり方が、自分のどこから湧いて出てきたのか不思議だ。

 

だが、その後も何か追い込まれるたびに、この腹の中にいる別の自分が怒りとともに現れて、その時一番必要なことを教えてくれるのだ。

 

 

先日、仲の良いご近所さんが病気であることがわかり、既にお見舞いもいけないぐらいであることがわかった。

 

ちょうど崔先生の動画を見た後だったので、母を誘って、近所の神社にお参りにいった。

 

何もできなくても、相手のために祈ることはできる。

 

祈りには不思議な力があるからだ。

 

 

その後、母とショッピングにいったら、欲しかったTシャツを買ってもらえることになった。

 

なのに、私ときたら遠慮してしまったのだ。

 

 

家に帰って落ち込みながら、そういえばこういうことをよくやっていることに気づいた。

 

何か開運アクションをして、実際に自分のほしいものが手に入るチャンスが来たのに、妙な遠慮で、受け取り拒否をしてしまうのだ。

 

というか、自分の欲しいものを漠然としかイメージできておらず、「元々欲しかったものの似たもの」が来て、「それじゃない」みたいな感じで受け取らないのだ。

 

ちゃんと引き寄せているのに、受け取り拒否ばかりしている。

 

 

自分の中には、確かに自分の人生を切り開こうとする強い自分がいる。

 

でも、それが出てくるのは、何か追い込まれた時だけだ。

 

これを、いつも出せるようにすればよいのでは?

 

と、昨日ブログを書きながら思った。

 

 

まず、常に良い気分でいる、と決める。

 

心配性の癖を手放す。

 

 

そう決意した。