ところで、今度は、逆に四の裏は三と見れば、どうなるか。
四(死)を苦しみと見、三(産)を楽と見ると、苦しみの中には、ちゃんと楽しみの種が蒔(ま)かれていることがわかる。
重い荷物を背負っていると(苦)、やがて体力に恵まれる(楽)。
親のために苦労したものは(苦)、子供のことではあまり苦労しないで済むようになっている(楽)。
苦しみの中に、すでに楽しみが含まれているわけだ。
まことに世の中は、よくしたものである。
だから、わたしたちは、楽しみにおぼれることなく、苦しみを恐れることなく、与えられたものごとを、そのまま有り難く受けて、全ての修行の糧(かて)とするように。
心の目で見れば、なにごとも仏なり、ということを、さいころは教えてくれるのである。
誰しも苦しいときは、救われたくて、必死で神仏にお縋(すが)りするものです。
そして、神仏の存在を知ります。
その喜びはどれほどのものだったか。
ところが、時が経つと、苦しかった時のことを忘れ、救われた喜びも覚めてしまうひとがいます。
「喉元(のどもと)過ぎれば熱さを忘れる」
神仏に対し、感謝の気持ちが弱まるということです。
これは、私自身、反省し、気を付けたいと思います。