母は、女手一つで僕と姉を育ててくれました。
ついてるうさじです。
ものすごく貧乏でしたが、僕ら姉弟は嫌な思いをしたことがないんです。
それは、母が、貧乏を笑いに変えてくれたからでした。
たとえば、お金がなくて、お米が買えないときには、「あられ」がご飯茶碗に山盛りいっぱいで、出てきたことがありました。
「今日はあられたい。あられご飯なんて、なかなか食べられんとよ」
そう言われると、なんだかうれしい(笑)
裏では、つらいこと、泣いたこと、たくさんあったと思います。
でも、どんな状況でも、明るく笑いに変えてくれる母がいたから、貧乏でも卑屈になることはありませんでした。
コロッケ (ものまねタレント)
PHP 「全力でふざけ続ける」より
( 雲南省 マンゴーの木 )
ついてるうさじです。
飽食の時代から阿食の時代になった現代。
レンジでチン、コンビニ、ファーストフード、好きな食べ物を、好きな時に腹を満たせる時代である。
便利な世の中にはなったが、大事なものを捨ててしまっている気がする。
今年、中国雲南省、ミャンマー国境付近に行き少数民族のある家族に夕飯をご馳走になった。
決して裕福ではない家族が全員、料理を乗せた大きなお皿の周りを囲み、楽しく笑いながら食事をする。
二毛作で取れたであろう細長い米粒のご飯と川で取れた僅かな魚、客人のために貴重な鶏をしめて作った鶏の揚げもの、今の日本から見たら粗末な感じがするかもしれない夕飯。
しかし不思議なものだ。
家族全員で楽しく食事をするってことが、こんなに美味しく頂けるなんて。
つくづく家族の有り難さがわかるひとときであった。