叱られるものには、大きい喜びがある。

叱事(こごと)の言いやすいひとは、しあわせなのだ。

頼みもしないのに、あっちからも、こっちからも悪いところを教えてもらい、気づかせてもらうのだから有り難い。

ひとの一生は修行である。

「もう、これでよい」という時はない。

だから欠点を改めることが必要であるが、叱事のいいにくいひとは誰も注意してくれない。

そのため、欠点に気づき、それを直す機会がやってこない。

叱事を言って下さるのは有り難いと喜ばねばならない。

いつもひとの言うことには感謝し、何事も喜んで受けるように努めれば、誰でも叱事を聞かせて下さる。

叱事(こごと)を言ってもらえるひとは、しあわせなのである。




紫陽花 (朴の木に油彩 )
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ついてるうさじです。


今日の雨、梅雨入りなのかな?


世の中には、人を言い負かしたり、人に説教するのが好きな人がいます。

そういう人に限って、こちらの話は聞こうとしない。

こちらの話をする隙間さえ与えようとはしない。

なんぼ、いい話でも、言ってる本人は 寝転んで、せんべいかじりながらテレビ見て遊んでるのに「人は一生懸命働かなあきまへん」って言ってるようなもので説得力がない。

そんな人を数多く見てきていますが本人が言ってるほどたいしたものではないことが多いです(・・;)