「語り部お話し会」(平和祈念展示資料館) | 感謝のブログ(すべてのものに感謝しています。常に神(宇宙)のご加護があります。すべての人が幸せでありますように!)

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日々、生かされていると思っていますので、感謝の気持ちを持って全力で生活します。愛と調和の精神を発展させ、人々が満足できる社会となるよう努めます。全ての人が幸せでありますように。全ての人が苦しみから解放されますように。明るい未来。

本日(5/4)、平和祈念展示資料館に行って来ました。ここへ来るのは、今日で3回目です。(前回は4/305/3

 

この資料館は、総務省が運営しており、館内は大きく「兵士」「戦後抑留」「海外からの引揚げ」の3つのコーナーに分かれています。私が訪問した大きな目的は、資料館で「語り部お話し会」という戦争経験者の方の講演会があったからです。本日は、田中信子さんという方の「7歳の少女が見た満洲からの引揚げ」という内容でした。昭和20815日の終戦間際の混乱が起こるまでは、満洲で生まれた田中さんにとって、満洲は食べ物は豊富にあり、現地の人をお手伝いさんとして使っており、とても良い暮らしをしていたとのこと。それが終戦になり、日本人と現地人との立場が逆転し、現地の人からは家具などを夜持って行かれるという行為をされ、その時、お父さんなど成人男性は、終戦直前に兵隊として動員されていたため、一緒にいなくて心細かったと言います。翌年、日本に初めて帰国するまでの途中、賊に襲われ母を殺され、その時、自分は肩を矢で射抜かれ痛い思いをしたこと、(その傷も見せてくれました)おじいちゃんと妹と一緒に徒歩及び無蓋(むがい)家畜)り、葫蘆(ころ)(とう)までった引揚一緒上陸間際DDTという白い殺虫剤を全身に掛けられたこと、舞鶴港への上陸前夜に白いご飯と海苔の佃煮が少しあったのがとても美味しかったこと、また、舞鶴港では多くの人が迎えに来てくれ、喜んで抱き合っているが、自分には迎えに来てくれている親戚などはいなくて寂しかったことなど壮絶な思い出を語ってくれました。

 

田中さんは言います。「多くの人から、母を殺され、腕を射抜かれ(今でも冬には痛むと言います)中国の人を恨んではいないのですか」と言われますが、「恨んではだめ、恨んではいつまでも戦争は終わらない、日本人が満洲でひどいことをした、その仕返しを自分が受けたのだから恨むのは止めないといけない。満洲開拓というのも現地の人の土地を日本が安く買いたたき、追い出したことから始まった」ということをしっかりお話されていました。本やテレビで見るのとは違う戦争体験者の生の声が聴ける素晴らしい機会ですので、時間の許す方は、是非、行ってみてください。明日(5/5)と明後日(5/6)も1400から行っています。

 

みなさん、ゴールデンウイークも後半となりました。どうか、充実した時間をお過ごしください。ありがとうございました。