あるところにお爺ちゃんとお婆ちゃんが2人で暮らしていました。
ある日、チワワを家族に迎えました。お爺ちゃんは77歳、お婆ちゃんは70歳でした。でも病気もなく、毎日2人での散歩を楽しんでいましたから、そこに犬がいたら、もっと楽しいだろうと考えたのです。
真っ白なチワワの赤ちゃんは2人に会った時、小さな尻尾を一生懸命ふっていました。
愛らしい姿に2人は夢中になりました。
お爺ちゃんは一生懸命トイレと散歩を教え、お婆ちゃんはベットを縫い、首輪を縫い、沢山たくさん話しかけました。
お爺ちゃんとお婆ちゃん、チワワは毎日の散歩を楽しみました。
元気に暮らしていました。
年寄りの毎日に大きな変化はありませんでしたが、そんな毎日が何より幸せでした。
幸せな毎日を1日1日重ねただけなのに、あっという間に13年が経っていました。
お爺ちゃんは車の運転もやめ、遠くに出かけることはなくなり、チワワの病院もなかなか行けなくなりました。
お婆ちゃんは糸を通すのに時間がかかり縫い目はとてもとても大きくなりました。
ある日、お婆ちゃんが突然台所で倒れました。そして、そのまま遠い所に旅立ってしまったのです。
お爺ちゃんは夜になるとチワワを抱きしめながら静かに泣きました。
チワワも泣きました。
夏が来て、秋が来て、冬が来て…春のある日、お爺ちゃんがスーパーの駐車場で倒れました。
チワワのご飯を買いに行ったのに、そのまま病院に運ばれてしまったのです。
病院で目が覚めたお爺ちゃんは慌てて病院を抜け出しました。チワワが心配だったのです。必死でした。
でも、病院の駐車場で夜勤に来た看護師さんに見つかってしまい帰ることはできませんでした。混乱したお爺ちゃんは大きな声を出し暴れたためにベッドに手足を結ばれてしまいました。
チワワは家で1人、帰ってこないお爺ちゃんを待っていました。
ご飯を買ってくるよ。おやつも買ってくるからね。と言ったのに、真っ暗になっても、明るくなっても帰ってきません。
チワワは泣いていました。
すると、何回か会ったことのある甥っ子という人が現れました。朝、晩、ご飯をくれましたが、あっという間に帰ってしまいます。
チワワは悲しくて寂しくてご飯を食べなくなりました。
甥っ子という人は来るたび困った顔でチワワを眺めます。
チワワはもっと悲しくなり、どうしていいかわからなくなりました。お婆ちゃんの縫ってくれたマットの上で丸まり、お爺ちゃんの帰りを待ちました。
甥っ子という人が「かわいそうにな。早く叔父さん帰ってくるといいな。」と頭を撫でてくれましたが、悲しい気持ちは変わりません。
ある日、突然、お爺ちゃんが帰ってきました。痩せて杖をついて柱につかまって歩いていましたが、チワワは嬉しくて嬉しくて嬉しくて、くるくるくるくる回って跳ね回りました。
やっと台所の椅子に座ったお爺ちゃんはチワワの頭を撫で、体を撫で、抱きしめて中々離そうとしませんでした。チワワもお爺ちゃんの顔を舐め続けました。
甥っ子と言う人が、「叔父さん、これからこの子をどうしますか?叔父さんは90歳です。この子は13歳。僕のアパートは犬を飼えません。」と言いました。
お爺ちゃんは「この子のためにやっと帰ってきたんだ。なに心配はいらないさ。」と笑顔です。
チワワはお爺ちゃんが帰ってきたことがただただ嬉しくて仕方ありません。お爺ちゃんがいない間に痩せたのにお腹に膨らみができて痛いこと、後ろ足が動きにくくなったこと、頭がぼんやりすること、そんなことはどうでもよくなりました。
甥っ子と言う人はそんな2人を見て考えました。
チワワと別れたら叔父さんはダメになる。
そして静かにこう言いました。
「そうですね。その時が来たら考えればいいですね。」
チワワはその時ってどんな時?と思いましたが、とにかく嬉しかったので考えるのをやめ、お爺ちゃんの顔を舐め続けました。
今、我が家にいるのはそんな子です。
ぶぶは以前こうなるであろうとわかっていた別のチワワに何もしてあげられませんでした。
罪悪感からこのチワワを一時的に預かっています。完全な自己満足です。
お爺ちゃんは退院してチワワに会うのを今か今かと待っています。
チワワもお爺ちゃんに会ったら本当に喜ぶでしょう。
気持ちは痛いほどわかります。
でも
本当にそれでいいのでしょうか。
ぶぶの住む処分場への犬の持ち込みは9割が高齢者の死、入院、入所です。
あなたはあなたの余命がわずかになった時、幼い自分の子供の将来を無視して自分の満足のためだけに子供を自分の手元に置くことだけを考えますか?
自分の子供だったら、その子にとっての最善は何かを考えませんか?
人間ファーストである限りチワワはペットに過ぎません。お爺ちゃんの満足を優先するならば、この子は十分な世話を受けられず、寂しい最後を迎えなければならないのでしょう。
お爺ちゃんと2人、ボロボロになるまで過ごすのがこの子の幸せですか?
飼い主もいなくなってボロボロになったこの子は幸せですか?
ボロボロになったこの子を迎えてくれる人を探すのはそれはそれは難しいことでしょう。
それを押し付けられるのは保護活動家の皆さんです。高い医療費と労働力、揺さぶられる感情。看取りの辛さ。
そんなこと知らない。今一緒にいるのが私の幸せ。と押し付けていいのですか?
その為にはこの子をボロボロにしていいのですか?
犬を飼う。
そのためには覚悟と計画性が必要です。
本当に辛い決断もしなくてはなりません。
あなたが大切にしたいのは何ですか?
そんな事をぶぶに教えてくれるのはいつもGOさんです。