3日目:11月8日(水)

 

 もう半世紀以上前だが、60年代末は世界中で若者の反乱が起きていた。当然サブカルチャーはその影響を受け、社会的メッセージを歌ったフォークシンガーが続出した。その一人に高田渡がおり、『コーヒーブルース』という曲があった。

(若い頃の高田渡)

 歌詞にこういフレーズがる。

 ~三条に行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね あの娘に会いに・・・~

 私はこの曲が気に入り、京都に行ったらイノダコーヒ―に寄ろうと思った。しかしその願いは果たせず、半世紀後の今日、夢がかなうことになった。

 その店(本店)は朝の7時開店である。そこでモーニングを頼む予定だ。

 チェックアウトして、歩いて向かう。四条通を東に向かい、四条烏丸の交差点を突っ切る。

 野村証券を左に折れ、まっすぐ。20分くらいかかった。

 この店の正式名は「イノダコーヒ」である。最後の「ー」が抜けている。歴史がある店なのでこだわりがあるのだ。

 店内は広い。二階もある。200席くらいあるらしい。

 私たちは窓際の席に座った。

 開店前に来たのに、地元のご常連らしい老人客がすでに新聞を広げていた。その数は次第に増え出した。ここでコーヒーを飲まないと一日が始まらないらしい。ここにも京都文化が見られる。

 彼らばかりでなく、私たちのような観光客も多い。平日の朝だというのに席が埋まり出した。コーヒー好きの観光客の聖地らしい。

 店は自家製のコーヒーに矜持があり、提供の仕方にこだわりを持っている。その一つがミルクと砂糖入りを勧めることだ。もちろんブラックを頼んでもかまわない。

 私は店一押しの「アラビアの真珠」という素敵な名のついたブレンド(690円)とトースト単品(480円)を頼んだ。コーヒー、トースト、ゆで卵のモーニングセットがないからである。

 妻は「京の朝食」(1680円)を頼んだ。パンはトーストではなく、クロワッサン一つである。

 価格はホテル並みである。味はコクがあり、美味しいのだが、ちょっとぬるかった。トーストも少し冷めていた。たくさんの客が朝から押し寄せるので、調理場が対応できてないのではないかと思った。

 うーん。ちょっと。前田珈琲の方に軍配を上げなければならない。妻の感想も同じである。

 本店から少し離れた所に三条支店がある。実は『コーヒーブルース』に出て来る店はここなのだそうだ。ただし取り壊され、現在建て替え工事を行っている。

 

 これから比叡山に向かう。最初の電車の駅は三条大橋にある。三条通をまっすぐ行けばいい。

   10数分ほど歩くと橋に着いた。ここは東海道五十三次の終着地点である。
 河原にちょっと寄って行こう。この河原は三条河原といい、千年にわたって刑場だった。地の利がいいので見せしめには最適だったのだろう。石川五右衛門、関白豊臣秀次の一族、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成や小西行長はここで処刑され、新撰組の近藤勇の首もさらされた。
 
 鴨川はそのような血生臭い過去を洗い流していく。

 この張り出した鉄骨は夏の風物詩「鴨川納涼床」の土台である。
 
 橋を渡ると、京阪本線三条駅の入口がある。駅は地下にある。
 下りの電車に乗り、終点の出町柳駅で降り、少し離れた所にある叡山電鉄(愛称:叡山電車)に乗り換える。
 一両のワンマン電車である。終点の八瀬比叡山口駅に向かう。
 15分くらいで着く。途中に宮本武蔵が吉岡一門と戦った一乗寺がある一乗寺駅があった。
  今度はケーブルカーに乗る。数分ほど歩くとケーブル八瀬駅に着いた。
 ケーブルカー(叡山ケーブル)が入って来た。これに乗る。
 満席である。窓の先にすれちがった下りの車両が小さく見える。
 10分くらいで終点(ケーブル比叡駅)に着く。
 最後の乗り物ロープウェイ(叡山ロープウェイ)に乗り換える。
 どんどん上に行く。
 終点に近づくと下方が開け、京都の街並みが見えた。白く光っている。
 終点(比叡山頂駅)に着く。
 延暦寺に行くにはバス(比叡山シャトルバス)に乗らなければならない。
(パンフレットをたくさん入手したが、これが一番見やすかった)
 延暦寺は最澄が開山した寺院であり、3つの地域(東塔〔とうどう〕)・西塔〔さいとう〕・横川〔よかわ〕)から成り立っている。なおこの地名の読み方は独特である。一番遠い横川に行くことにした。ここでもSuicaが使えた。便利である。
 バスが下り始めたので驚いた。延暦寺は反対側すなわち琵琶湖側にあるのだ。私は山頂にあると思っていた。だから住所は滋賀県大津市になっている。
 比叡山ドライブウエィを走ること約20分で横川に着いた。
 3つの地域に入れる共通券(1000円)を買って入る。
 山上ゆえ紅葉が進んでいる。
 人里から離れているので静寂に包まれている。修行には最適である。横川中堂に着く。
 後で気づいたのだが、どの地域のメインとなる建物(中堂や釈迦堂)は朱色に染められている。何年かごとに塗り直しているのか。 
 元山大師堂にも足を運ぶ。
 バスに乗り、道を戻るようにして西塔に行く。10分くらい乗っただろうか。
 左の方に行く。
 
 まず常行堂・法華堂を見る。
  法華堂の写真は撮ったのだが、常行堂を撮るのを忘れた。常行堂は法華堂の隣にあり、廊下でつながっている。
 以下の画像はネットで見つけたものである。左が常行堂、右が法華堂で廊下でつながっていることから「荷(にな)い堂」と呼ばれている。

 いずれも研修道場で、籠山行(ろうざんぎょう)という厳しい修行が行われる。基本は三年籠山で、山内の住職になるためにはこれを行わなければならない。
 1年目は最澄廟の世話をする侍真(じしん)の助手を行い、2年目が百日回峰行、3年目が上記のお堂で常行三昧か常座三昧のどちらかを行う。
 常行三昧は常行堂で行われる。90日間阿弥陀如来の周りを念仏を唱えながら歩き、手すりにつかまって仮眠をとるが、横になることは許されない。
 常座三昧は法華堂で行われる。90日間座禅を組み、その姿勢のまま仮眠をとる。
 常行三昧は以前テレビで見たことがあった。
 なまじっかな気持ちでは出家出来ないのだ。文学好きな私は、若い頃、今東光の本を読んだ。彼はこの三年籠山を成し遂げたらしい。
 その上には「十二年籠山行」がある。好相行という一日三千回の五体投地を行わなければらない。ここまで書くと気が遠くなる。
 他に千日回峰行という有名な修行もある。これもテレビで見た。詳細は省くが、達成した人は阿闍梨、その上の修業をした人は大阿闍梨になれる。第二次世界大戦後大阿闍梨になられた方は14人しかいない。
 世俗にどっぷりつかって生きている我々観光客からは想像できない世界である。
 我々は比叡山を表面的にしか見てないが、見えないところで修業に励む方々がおられるはずである。
 妻に後で聞いたのだが、妻がベンチで休んでいたところ、このお堂の方から来た観光客が「修行の声が聞こえたよ」と話していたそうだ。ただし私は覚えてない。事前学習をしっかりして来たら、このお堂の前で耳を凝らしただろう。
 続いて西塔で最も有名な釈迦堂に向かった。現存する延暦寺の建物の中では最も古く室町時代建立。
 妻が軽い腹痛を訴えたので、境内のベンチで休ませ、私だけで浄土院に向かった。
 ここは最澄の廟所である。石庭が掃き清められ、葉一枚落ちてない。聖域なので徹底した清浄が求められている。上記で紹介したように、この仕事は修行と見なされている。帰り際、横にある小さな社務所から若いお坊さんが現れた。彼は侍真の助手かもしれない。
 参拝者は私だけである。物音一つ聞こえない。この中で最澄が永眠していると思うと、厳粛な気持ちになる。
 
 再びバスに乗って東塔に移る。東塔は西塔と近い。横川だけがこの2つの地域と離れている。
 巡拝受付でパンフレットをもらう。
 まず大講堂に行く。
 東塔が延暦寺の中心なので観光客が多い。
   西塔や横川とは大違いである。道路が完備されたので車で来る客が多い。ただし、清水寺や嵐山と違い、外国人は少ない。
 続いて延暦寺の中心である根本中堂(国宝)に参る。
 面白いことにここだけ窪地にある。坂を下っていく。
 現在大改修中である。そのため巨大な工事フェンスですっぽり包まれている。
 改修前はこういう姿である。高校の修学旅行でここを訪れたうっすらと覚えている。
 それでも中に入れる。
 写真撮影は出来ないが、改修の様子だけは撮影できる撮影スポットが幾つかあった。
 根本中堂は信長によって焼き払われたが、江戸時代に入り、徳川家光によって再建された。
 本堂の奥では不滅の法灯が光を放ち続けている。明朝、勤行に参加するので垣間見ることが出来るかもしれない。
 完成した絵である。鮮やかな朱色が目を奪うのに違いない。
 妻は疲れたらしく、講堂前のベンチで休むことになった。妻は私ほど寺社仏閣に興味がない。
私だけその他の建物を見に行く。
 まず文殊楼。山門にあたる。
 続いて戒壇院。どちらも江戸時代に再建された。
 最後に阿弥陀堂(下の写真:右)と法華総持院東塔(左)に向かう。これらは昭和10年代に作られた。風格が今一つ。
 一応見回ったが、日数の都合上、早歩きで回った感じだ。3地域をじっくり鑑賞するなら数日は要する。
 宿泊所の延暦寺会館に向かおうとしたら、国宝殿の建物を思い出した。会館と反対方向だが、せっかく来たのだから入ってみることにする。入場料が500円と安いこともある。しかしあまり見る物がなかった。
 延暦寺会館に入る。大きな宿泊施設である。宿坊でもある。なお比叡山における宿泊所(宿坊)はここしかない。
 チェックインまで時間がある。ロビーから大きなガラス窓越しに琵琶湖が望める。
  喫茶コーナーもある。コーヒーを飲んで一休みしよう。
 飲みながら眺望を楽しむ。
 ここの宿泊代は一泊二食で22000円である。宿坊にしては値段は高い。琵琶湖が見える側とそうでないのとでは値段が違う。紅葉の季節も関係している。この時期予約をとるのが難しくこの部屋しか空いてなかった。
 でも、琵琶湖が見えて、根本中堂で行われる早朝の勤行に参加で出来るのだから、相応の価格と言えよう。
 チェックインした時、担当者が会館の宿泊者は参拝料が無料ですと言って2000円(2人分)引いてくれた。ありがたい。
 つくづく琵琶湖側でよかったと思う。この眺望は飽きない。
 暮色も美しかった。夕暮れは感傷を呼び起こす。柿本人麻呂の和歌が口に浮かぶ。
   ~近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ~
 湖畔に都を築き、数年後亡くなった天智天皇の無念さに思いをはせる。
 
 夕食は5時半である。宿坊ゆえ、精進料理である。歳をとると、このような肉と魚がつかない料理が口に合う。
 その後風呂に入る。部屋に戻り、夜景を見る。銀河鉄道のような列車が走っていた。さて寝よう。どんな夢を見るだろうか。
               
         ――― 続 く―――
 
※次回は最終日です。早朝の勤行への参加、坂本ケーブル、三井寺、石山寺の思い出を語ります。