フランス文学の思い出に戻る。  

  今回も1800年代前半に主要な作品を発表した作家を3人紹介する。

 一人はバンジャマン・コンスタン(以下、コンスタン)である。

コンスタン(1767~1830)

 二人目はジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(以下、サヴァラン)である。

サヴァラン(1755~1826)

 最後はプロスペル・メリメ(以下、メリメ)である。

メリメ(1803~1870)

 彼らの作品は、1冊ずつしか読んでないのにもかかわらず、かなり印象に残ったため取り上げた。 

 

 まずコンスタンの作品は『アドルフ』である。

 この本はは1973年(昭48)の頃に読んだと記憶する。私は一浪したうえ1年生の時に留年したので、この時まだ大学2年であった。

 この本は、入学した時のドイツ語のクラスで一緒だったS君から勧められた。S君は順当に進級したのでこの時は史学科西洋史専攻の3年、K教授のゼミに所属していた。私も彼を追いかけ同じコース、同じゼミに進んだが。1年後輩になってしまった。

 彼はある日、興奮しながら私のアパートにやって来た。その頃彼は川越の自宅を離れ、私が住んでいる学芸大学駅(東横線)で一人暮らしを始めた。駅から歩いて数分、東口商店街近くの小さな一軒家の下宿であった。一階に大家さん一家が住み、2階に下宿人を置いた。そこには哲学研究会で一緒だったO君もいた。彼の世話でS君は住んだようだ。2人の部屋は共に3畳だったことを覚えている。私のアパート同様共同トイレにガス台無しの下宿である。風呂は近くの「千代の湯」という銭湯である。私もこの銭湯を時々利用したので2人と会うことがあった。なお、千代の湯は今でも開業している。建物は当然変わった。

(現在の千代の湯:ネットで探したが、70年代の写真は見つからなかった)

「すごい恋愛小説を読んだよ。感動した」

 彼は岩波文庫を差し出した。『アドルフ』という作品の名は知っていたが、読んだことがない。作者のコンスタンも聞いたことはあるが、どういう作家かは知らなかった。

「お前も読めよ。恋愛というものが分かる。この本をお前にあげるために持って来たんだ」

 彼は中を開いた。口絵の写真の裏に文字が書いてある。

 なかなか素敵な断章的な文言である。彼はこのようなスタイルで書くのが好きで、思い付くとハガキに書いて寄こした。独断的なものが多いが、的を突いているものもあった。

 それよりこのような形でプレゼントしてくれた彼の行為がありがたかった。当然本代だってかかっている。金銭的に恵まれない青春時代にプレゼントしてくれる友は少ない。ありがたいことである。私は彼の友情に感謝した。

 早速読んで、彼がなぜこの本に惹かれたのか分かった。

 主人公のアドルフはゲーテのウエルテルのような文学青年ではない。政治家として鳴らした作者の分身である。したがって現実を切り開いていくような行動的人間でもある。感受性は鋭敏だが、行動的である。

 S君も同じなのだ。典型的文学青年の私と違う。大体文学部の男子学生にはロマンチスト、学究肌が多い。したがって恋愛に関しても奥手で、告白できずもじもじしていることが多い。どちらかといえば、交際している女性はいない。また、女にもてない。体育会系の学生のように現実に体で飛び込んでいけない人が多い。

 ところが、S君は違った。文学部の学生にしては異色だった。だから彼は主人公に自分を重ねることが出来たのだろう。

 また、この本は、愛する年上の女性との恋愛を情熱に描いたばかりでなく、情熱が冷めた後のむなしさやすれ違う感情までをも綴っている。

 S君は私と違い、恋愛経験が豊富であった。恋愛の表裏を私より知っていた。だからこの恋愛劇を十分味わえたのだろう。 

 だからと言って、私のような恋愛経験がない者はこの作品は鑑賞できないということはない。恋愛の価値を芸術的に表現しているので私でも面白く読めた。読んでいるうちにこのような激しい恋愛がしたくなって来たくらいである。そう読者に思わせる作品は優れた文芸作品と言わざるを得ない。

 S君とは女性について嫌と言うほど語り合った。源氏物語の雨の夜の品定めと全く同じである。若者が恋愛論を交わすのは古今東西変わらない。

 

 S君とは一時年中行動を共にしていたので彼の女性との交遊を垣間見ることが出来た。 

 S君は、好きな女性が出来ると、必ず近づき、愛を告白する。だから相手に恋文を送った。

 S君はまた、自分の恋愛を人に語ることが好きであった。付き合っている女性や過去の女性の話を脚色して、面白おかしく自慢げに語った。恋文の下書も見せてもらったことがあったが、作家の言葉を引用したり、彼なりの恋愛観を綴ったり、かなり文学的だった。

 語る対象に私が選ばれたのは、私が女性経験が少ないことと文学青年だったからだろう。彼は恋愛に関して独特な考えを持っていた。恋愛を文学的に味わいたいと言ったらいいだろうか。

(左はS君、右が著者。S君は背が高く、格好がよかった:三田の演説館前で)

 語るだけでなく、好きになった相手を紹介してくれることも多かった。紹介する前、必ず「すごい美人なんだ。お前は見たらびっくりするよ」と自慢するので、私は期待したが、ほとんどが外れていた。

 こういう例があった。

 1974年(昭和49)だった思う。彼は三田のキャンパスで高校時代の文通相手と偶然邂逅した。相手は同年齢の神戸の女性で、その時慶応の大学院修士課程に在籍していた。彼は一浪しているので学部4年生の時である。彼女の出身大学は神戸のお嬢様学校として有名な神戸女学院である。大学院としてわざわざ東京の慶応を選ぶくらいだからかなり裕福なのだろう。

 S君は高校生時代に彼女に会いに神戸まで行った。手紙を何通も交わしたらしい。愛を告白したが、結局断られた。要するにふられたのである。

 その相手とめぐりあったのだから慕情が再発した。

「今度彼女と喫茶店で話すことになった。お前は遠くから観察し、彼女の印象を聞かせて欲しい」

 S君からこう頼まれた。

 これは面白いと私も提案に乗り、二人の席の近くに座り、盗み聞きすることになった。

 場所は三田キャンパス近くの「アルカディア」という喫茶店。彼らが先に入り、私が後から入る方法をとった。ところが、そばの席が空いてない。だからちょっと離れた席に座った。じろじろ見ていたら怪しまれるので新聞で顔を隠し、時々盗み見た。映画に出て来る私立探偵のように思え可笑しかった。

 S君の背中の先に相手が見えた。「すごい美人なんだ」というから期待したが、案の定違っていた。目が大きく、中肉中背か。スタイルも普通。ただ、真面目そうな感じがした。服装は派手ではないが、地味でもなく、センスのある格好をしていた。都会のお嬢さんと言った感じがした。

 その後、彼から感想を聞かれたので、私は正直に上記の印象を述べた。「お前はいつもすごい美人だというけれど、一度も当たったことがないなあ」と付け加えると、彼は苦虫を踏み潰したような表情を見せた。

 結局S君の交遊再開の希望は断られた。彼女には付き合っている男性がいた。しかしS君は高校生の時と違いショックは受けなかった。彼も別な女性とも付き合っていたし、さらに新たな女性にも果敢に挑んでいた。彼が愛読していたフランス文学の世界を地で行っていたからこの程度の失敗は卒業していた。

 喫茶店「アルカディア」はその後つぶれてしまった。 

 

 続いてサヴァランの『美味礼讃』である。 

 この頃(73年)か、それともその前後か、NHK₋FMで『食道楽』(村井弦斎)を朗読していた。面白かったのでこの番組を聞くのが楽しみになった。

 登場人物が当時(明治時代)の料理や食物について蘊蓄を傾ける。それだけでは小説としてつまらないので、彼らの恋愛模様を織り込み、ユーモアも入っていた。

 今でも食べられている食べ物(カレーライス)や、当時でもあまり人の口に入らない物を面白くおかしく主人公が語っていた。

 私は食べ物に関する話が好きであった。私ばかりでなく、日本人の多くが好きかと思われる。その証拠にテレビのグルメ番組や料理番組が数多(あまた)放送されている。関係本も発行されている。今にはじまったばかりでなく、昔の日本も好きだった。

 この番組で初めて作者名と作品名を知った。読みたくなり本屋に行っても売ってない。岩波文庫に入ってない。図書館にもなかった。それで諦めたのを覚えている。

 余談になるが、それから40年後、本作が岩波文庫に収められたことを知り、早速読んでみた。老年になり感受性が鈍くなったのか、あまり面白くなかった。

 この作品に刺激され、食物に関する文学作品を調べたところ、『美味礼讃』に行きついた。岩波文庫に収録されている唯一の食物文学である。

 読んでみると、これは、単なる食味評論や食物文学ではないことが分かった。食物に関する哲学的エッセイのように思われた。それゆえ、各章の見出しも仰々しいし、内容も高踏的である。

滋養の効能や歴史が綴られている。栄養の専門書までとはいかないが、参考書のような作品で、栄養大学で使われているかもしれないと思った。

 したがって私が面白く読めたのは、「チョコレート」と「コーヒー」に関する部分であった。当時のチョコレートとはいわゆるココアであって、現代の我々が食する固形チョコではないことを知った。

 コーヒーの淹れ方も今とは違う。現代人が食したならば、まずいと思うのではなかろうか。

 また、当時一般的に食べられていた肉はいわゆるジビエ(野鳥や鹿やイノシシ等)で、牛・豚・鶏等の家畜ではなかったことが分かり勉強になった。まだ大量飼育する技術が確立されていなかったのである。特に牛は労働や運搬に用いられるために飼われおり、貴重で高価な存在であった。

 ただ、この本のよさは、食物を通して、当時(18世紀末から19世紀初頭)のヨーロッパの状況や歴史や政治が垣間見られる点である。

 サヴァランは法律家であり政治家でもあったので、動乱(フランス革命等)に当然巻き込まれ、波乱の人生を送ったが、楽天的で現実的な性格なのか、食事を楽しみ人生を愉快に過ごそうとした。口絵に用いられた作者の表情に窺える。作風にも現れ、私は明るく爽やかな読後感を覚えた。

 

 最後の作品はメリメの『エトルリヤの壺』である。

 メリメは元々官吏で、弁護士の資格も有していた。1830年代から60年代にかけてその仕事に従事し、その片手間に作品を執筆した。

 彼の代表作は『カルメン』であるが、作品は多くないらしい。私は本作品集しか読んでない。ここには彼の短編の中で最も有名な作品が収められている。

 どれも完成度が高く、感心したことを覚えている。中でも『マテオ・ファルコネ』が印象に残った。彼は自分の子の命より家名や名誉を優先した。舞台となったコルシカ島の羊飼いの共同体にはその地域独特の掟があるのだろう。このような考え方は古今東西にある。日本の昔で言えば武士道か。マフィアや宗教過激派にもあるだろう。

 要はその主題をどれだけ芸術的に描けるかである。その点で本作は素晴らしかった。

 他の作品も読者を引きずり込む力を持っている。短編の醍醐味を味わいたい方にぜひお薦めしたい。小説家を目指す方にとってもよき手本となる作品である。当時私もこのような短編が書きたいと思った。

  

               ――― 終 り ―――

 

※次回はフローベールを取り上げる。