1965年(昭和40)の12月のことである。今から60年近く前である。当時私は中2であった。

 悪友のY(彼は私のブログに何度も登場している)から英語を教わりに行かないかと誘われた。Yの家の近くに住む教育長のお嬢さんが教えてくれるという。彼女は当時東京の短大を卒業して家で花嫁修業をしていた。当時東京の大学に行かせてもらえること自体恵まれていた。まして4年制の大学に通う人は少なかった。女性はなおさらであった。短大でも珍しかった。優秀な女子高校生は国立の宇都宮大学に進む人が多かった。さらに優秀な学生はお茶の水大学や東北大学に進んだが、数年間に一人くらいしかいなかった。すごい秀才なんだなと小さな町では噂になった。

(我が町の駅、西那須野駅。この駅舎は70年代末まで使われた)

 お嬢さんの年は20歳をちょっと超えたくらいだろう。教わりに行った者は、私たち2人以外に、Yの近くに住んでいるKとIであった。彼らとは顔なじみだが、友達付き合いはなかった。

 教わりに行って驚いたことは、6畳くらいの部屋にソファーが置いてあったことである。もしかすると応接間として使用していたのかもしれない。板敷の床に絨毯が敷かれてあった洋室である。さすが教育長さんの家だと思った。何しろ4人共家にソファーがない。畳だけの家屋で暮らしている。当時の田舎の家はこっちの方が普通であった。

(当時の田舎の一般的な家の居間)

 次に覚えていることは、クリスマス会を彼女が開いてくれ、その時にポタージュが出されたことである。焼かれた食パンの細片が浮いていた。テレビや雑誌で見たことはあるが、このような料理を4人共食べたことがなかった。

 3番目は、隅に私の胸くらいの高さの本棚が置かれ、世界名作文学全集(本の色が緑色。河出書房新社か)が並んでいたことである。

 その頃世界の名作に興味を持ち始めた私は、『赤と黒』という題名の本に目が注がれた。

 子ども心に面白い題名だなと思ったのである。肝心の授業より本棚の方に気をとられている私にお嬢さんはすぐ気が付いた。

「この本はね、フランス文学の本でスタンダールという人が書いたの。赤は軍人の服の色で、黒は神父さんの服の色を意味しているの。ジュリアン・ソレルという若者が主人公」

 彼女は親切にも解説してくれた。

(スタンダール:1783~1842:グルノーブル出身)

 この時から『赤と黒』という書名とジュリアン・ソレルの名と作者名のスタンダールが私の心に刻み付けられた。今振り返ると、教えて下さったお嬢さんには感謝しかない。

 

 翌年中3になった私は、当時発刊されたばかりの河出書房の世界文学全集をとることになった。

(河出書房 世界文学全集 全50巻のうち半分くらいとった)

 衣料店を開いていた私の家の3軒先は本屋であった。そこの奥さんと母は友達で、私が母に世界の名作を読みたいとねだると奥さんがすぐにパンフレットを持って来てくれた。

 その全集は毎月一冊ずつ配本され、『赤と黒』も入っていた。

(現在も手元にある)

 その本が届けられた時、私は早速ひもといた。中にA5版のしおりが入っており、表紙に映画の一場面が載っていた。

 かつてフランスで映画化(1954年)され、当時の人気女優のジェラール・フィリップ(ジュリアン・ソレル)とダニエル・ダリュー(レナール夫人)が載っていた。母がそのことに気づき、ダニエル・ダリューは戦前だか戦後直後日本でも人気のあったことを話してくれた。

 解説を読むと、簡単に言えば、ジュリアン・ソレルが年上の夫人と不倫をしたが、出世のために彼女を捨てる話らしいが、ひも解いてみると、当時のフランスの政治状況、聖職者や軍隊や貴族の世界が描かれていた。予備知識がないとついて行けなかった。したがって途中で放棄したのだが、当時の私は性に目覚める頃に突入していた。挿絵にレナール夫人の裸婦姿が描かれている。

(文中では裸体の文字は出て来ない。挿絵画家の想像である)

 ジュリアンと夫人との性的場面はあるのか。その一点にばかり興味が走り、ページをめくってみたが、無論そんな描写はない。ただ、密会の場面はあるので、その部分を繰り返し読みながら淫らな妄想にふけっていた。

(ジュリアンとレナール夫人の逢引の場面)

 高校生になって私はヘルマン・ヘッセに夢中になった。この読書体験が私の鑑賞能力を高めたと思う。さらに世界史を学んだことも大きかった。私の高校時代、ベトナム反戦、ソ連のチェコ侵入、パリの五月革命、中国の紅衛兵など世界で若者が反乱を起こしていた。それも関係しているのか世界史に関心を持ったのである。その背景のもとに、もう一度『赤と黒』に挑戦した。高2の終わり頃(1969年)のことだったと思う。

 本書を読んでいくうち、本書の舞台がナポレオン治世後の王政復古時代であることが分かった。

(王政復古:1814~30)

 また、解説を読むと、スタンダールがナポレオン支持者であり、反王政派の共和主義者であることも知った。したがってジュリアン・ソレルの言動や行動にも作者の思想が反映されている。

 そのような時代になんとか出世しようと企み、レナール夫人を捨てて、貴族の娘マチルダと結婚しようと企むジュリアンに私は惹かれた。ヘッセの『郷愁』の主人公(ピーター・カーメンツィント)と並んで文学的ヒーローになった。

 しかし、当時の鑑賞力では、ジュリアンの人間性、彼とレナール夫人やマチルダとの関係、さらに聖職者や軍人の世界をしっかりと味わうことが出来なかった。そのうえ、本書には心理描写が多い。心の動きをあまり詳しく書くと、読む方としては辟易する。一応読み終えたが、途中で何度も投げ出した。

 

 この本を自分なりに味わえたのは大学1年(1971年)の時である。それまでに私は、さらに読書体験を重ね、ドストエフスキーの『罪と罰』やヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』などに感動していた。登場人物の人物造型に思いを巡らし、置かれた状況を調べたりする習慣を身に着けていた。

  また、大学生になり人文科学の学問(政治思想や歴史や哲学)の初歩を学んだことも関係している。フランス大革命からその後のフランス近代史はとりわけ面白かった。

 友人の影響も大きい。大学時代に知り合ったS君も本書に感動していた。彼とは、ジュリアンの行動についてよく語り合ったものである。

 それらを背景にして読んだのでジュリアンの魅力が一層増した。彼はただの野望を抱くだけの青年ではない。彼の人格形成には当時の社会背景が切り離せない。私にとってジュリアンは『罪と罰』のラスコリーニコフと同様、最も憧れる人物になった。

(ジェラール・フィッリプが演じたジュリアン・ソレル)

 さらに随所で語られるスタンダールの政治思想や恋愛に対する見方も面白く読めた。彼は前述したように共和主義者であり、フランス革命で勝ち取った諸改革を支持した。ただ、革命が起こり、ナポレオンが登場しても、王党派を支持する国民は多数いた。政治はいつどこの国においても、様々な政治勢力のせめぎ合いである。

(フランス革命:1989)

(ナポレオン:スタンダールは彼の軍隊に加わった)

 また、若い頃は数学が得意で、理工系の学校に通った。この姿勢や思考スタイルに依拠して物語を綴り、主人公を造型した。

 このような魅力的な人物を造型し、王政復古の時代で試すという、科学者のような作家に私は強い関心を持った。当時私はドストエフスキーに熱中していた。中高校生時代に強くひかれたヘッセは読まなくなった。感傷癖が強い彼の文学に飽き足らないものを感じていた。それゆえスタンダールが新鮮に思えたのかもしれない。

(彼は各章に副題をつけることで当時の社会情勢を浮き彫りにしようとした)

 私はこの本を読んでいくうち、本作を映画化したなら、アラン・ドロンがジュリアンの役にふさわしいだろうとふと思った。彼の代表作の『太陽がいっぱい』は主人公(リプリーという青年)が金と女を手に入れるために知人を殺す話である。『赤と黒』とかなり似ている。『赤と黒』の現代版物語と言ってもよい。

(アラン・ドロン)

 そのような青年をドロンは見事に演じていた。その他の作品でもドロンは似たような青年を演じていた。要するに上昇志向が強い役である。そして美貌である。実生活でも幼少期は不幸だった。だからこのような役をやらせると力を発揮したのだろう。

 彼の映画をけっこう見ていたので、本作を読んでいくうち、ドロンとジュリアンが重なって仕方がなかった。

 ところが、ドロン主演の『赤と黒』はこの世に誕生しなかった。私の夢想と違い、フランスの映画人はそう思わなかったのだろう。

 ただ、ジュリアン=ドロンのイメージは今も続いている。

 

 続いて私はスタンダールのもう一方の代表作である『パルムの僧院』に手を伸ばした。

 世界文学を読んでいた私は日本文学も少なからず読んでいた。その中に小林秀雄がいた。S君を初め私の周辺の文学好きには小林を高校時代に読んでいた者がいた。彼らの影響があったのだろう。小林を読んでいくうち、大岡昇平にたどり着いた。大岡は若い頃、小林の弟子のような存在で、スタンダールに傾倒していたのである。スタンダールの熱烈なファンのことをスタンダリアンという。大岡はスタンダリアンとしても有名だった。

(大岡昇平)

 その大岡が最も好きだった小説が『パルムの僧院』だった。彼ばかりでなく、スタンダリアンのフランス文学者で本書を推す人が少なからずいた。

 それで私も本作を読んでみようと思ったのである。

 この本の内容はすっかり忘れてしまったのだが、主人公のファブリスだけは印象に残っていた。

 この青年が明るく、純粋なのである。人間である以上、負の感情も持っているが、それよりもポジティブな面の方が強い。イタリア人だからか。陽気な一面もあるがそれだけではない。実に気持ちがいい。前向き。あまりくよくよしない。そうかと言っていい加減さは少ない。こういう人物が身近にいたらこちらの方も幸せになる。そう思わせる人物である。たとえは悪いかもしれないが、モーツアルトの音楽を思わせる青年という感じがした。小説の登場人物で言えば、ドストエフスキーの『白痴』の主人公ムイシュキン公爵に近いかもしれない。

(映画『パルムの僧院』のファブリス。私のファブリス像とはかけ離れている)

 『赤と黒』のジュリアンとは真逆な人物だ。ファブリスが太陽ならジュリアンは月。陽と陰。二人共文学上のキャラクターとして有名になった。それだけでもスタンダールは文学史に残る。

 今回、このブログを書くにあたって50年ぶりに本書を開いてみた。再読する気は起こらなかったが、当時この本を読んで幸せな気分になったことを思い出した。多くの文化人が「この書は幸福の賛歌である」と評したのは当然である。

 どうしてスタンダールはこのような主人公を造型出来たのか。それは彼自身が、人生を愛したからだろう。だから遺言で墓碑銘として「生きた 書いた 愛した」を刻んでくれと言い残したのだろう。彼は内向的な文化人すなわち書斎の人ではなく、何人もの女性を愛し、実生活を享楽した人でもあった。浮き沈みの激しい生活を、悲観することなく、楽観的に受け入れることが出来た人だったのだろう。

(スタンダールの墓:ここでは、書いた、愛した、生きたの順になっている)

 彼がイタリアを愛し、イタリアン人が好きだったことは分かるような気がする。フェリーニの映画によく描かれているが、イタリア人は喜怒哀楽が激しい。その一方実生活を楽しむ。そういうスタイルが彼に合っていたのだろう。

 彼は墓碑銘にわざわざ「ミラノ人」と称し、本名のマリ=アンリ・ベールでなく、そのイタリア語読みのアリッゴ・ベイレを刻んでいる。

 スタンダールに影響を受けたわけではないが、私もイタリアが大好きで、こんど生まれて来るならイタリア人として生まれたいと思ったくらいである。

 

 私がスタンダールを読んだ頃、スタンダールは最も人気のある作家の一人だった。それもあり、この有名な墓碑銘は一人歩きし、新聞のコラムや雑誌の随筆で多くの執筆者が引用した。

 その言葉もじって副題に付けた本まである。

 瀬戸内や開高もたぶんスタンダールが好きだったのだろう。だから編集者が題名の横に付けたのかもしれない。

 

 スタンダールはこのような人物だった。だから『恋愛論』を書けたのだろう。

 この本は『赤と黒』や『パルムの僧院』の前、30代で書いた。「恋愛」という行為を彼なりの考えで論じたかったのか。

 彼が愛した女性の中には人妻がいた。今の言葉で言えば、不倫である。ルソーも同じであった。彼らばかりでない。フランスの小説を読むと、実に人妻や年上の女性との恋愛を描いた小説が多い。『赤と黒』以外、私が読んだだけでも、コンスタンの『アドルフ』、バルザックの『谷間の百合』、フローベルの『ボヴァリー夫人』、ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』が頭に浮かぶ。若い男性と人妻による不倫を「文化」として見なされていたのかもしれない。

 しかし、私は『恋愛論』を途中で投げ出した。展開について行けなかった。私自身が恋愛に奥手だったからかもしれない。恋愛を実際に何度も体験しないとこの本の魅力は味わえないのかもしれない。私の周辺で、果敢に女性にアタックしていたS君(大学の級友)は面白かったと言っていた。

 本書の中で有名な部分は、スタンダールが「恋愛」を岩塩の「結晶作用」にたとえた箇所である。オーストリアのザルツブルクの塩抗に冬小枝を入れておくと、塩の結晶が出来るらしい。

(塩の結晶)

 私は『恋愛論』は放棄したが、スタンダリアンの大岡昇平が書いたスタンダールに関するエッセイや紀行文を愛読した。

(共に大岡昇平の全集から)

 この三冊以外に読んだ作品は、河出の『赤と黒』に収められていた中編『カストロの尼』と『ヴァニナ・ヴァニニ』だが、面白くなかった。どちらも中世の終わりの頃のイタリアを舞台にした男女の恋愛である。このような作品に大学生の私はついていけなかった。今だったら読めるかもしれない。

 あれは大学を卒業して帰郷した頃だろうか。オイルショックによる不況で大学生の就職は困難を極めていた。マスコミ志望の夢が破れた私は小学校教諭の道を選んだ。そのための通信教育を行いながら家庭教師というバイトを行い、同時に採用試験の受験勉強もしていた。

 郷里で銀行員をしていた姉が同僚から借りた本を私に見せた。「面白かったわ」と彼女は言った。彼女は映画やテレビの芸能には関心を示す一方、文学には興味がなかった。

 それが石川達三の『青春の蹉跌』であった。石川は純文学から出発し、後に通俗的な社会問題小説を次々に発表してベストセラー作家になっていた。

 本に巻かれていた帯を読むと、野望を抱いた青年の挫折の物語らしい。これは『赤と黒』に似ているではないか。そう思った私は息抜きに読んでみた。

 予想通り、『赤と黒』を換骨奪胎した作品であった。ジュリアン・ソレルを現代の日本に置き換え、最後に殺人を行わせる。『赤と黒』のストーリーをなぞったような作品である。けれども、『赤と黒』に見られた社会情勢の分析やや登場人物の心理描写は欠けている。なんとも物足りない。

 私は石川達三を読んだことがなかった。この本から受けた印象として、彼がストーリーテラーであることは分かった。だから売れ、次々と映画化されテレビ化されたのだろう。

 70歳をとうに過ぎた私は振り返る。私自身はスタンダールのような生き方はしなかった。『生きた 書いた 愛した』という墓碑銘からは程遠い。「生きた」だけが同じか。しかし彼から知らず知らずのうちに進歩的な精神や現実を楽しむ態度を学んでいたことは事実である。ヘッセ、ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー同様、彼にも感謝しなければならない。

 

              ――― 終 り―――
 

※次回はバルザックとデュマ・父について語ります。