今回、3泊4日で奈良を旅行した。2月20日(月)から23日(木)までである。

 

 今から半世紀近く前の話であるが、大学時代の終わり頃から日本の古典文学に興味を持つようになり、卒業後通信教育で学んだ。そのせいもあり、対象が古代史や寺社仏閣に広がった。

 当時読んだ本の中で衝撃を受けたのが梅原猛の『隠された十字架』(略して十字架)である。

(大学時代に買ったものは上の単行本であるが、いつの日か売ってしまった。今回再読するために下の文庫本を買った。)

 彼の法隆寺論である。ミステリーの手法を用いて聖徳太子や法隆寺の謎に迫る筆力に感動を覚えた。

 その本から影響を受けて和辻哲郎の『古寺巡礼』(略して古寺)や亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』(略して大和古寺)を読んだ。

(大学時代に買ったのは上の単行本である。そのことを忘れていつの日か下の文庫本を買った)

 この中で読みやすかったのは亀井の『大和古寺』で、難しかったのは和辻の『古寺』である。面白かったのは梅原の『十字架』である。

 ただ、これらの本を味わえたとは言えない。当時の理解力では追いつかなかった。

 その後、仕事で忙しくなったり家庭をもったりすると、読書する余裕がなくなったせいか、古代史、古典文学、寺社仏閣、仏像に関心がなくなった。

 ところが、退職し、ゆとりが出て来ると、日本史や寺社仏閣に再び関心を持つようになった。いつしか奈良・京都を訪れたいと思うようになった。

 今回奈良を旅行する機会に恵まれたので、上記の3冊に再挑戦した。半世紀の間に力がついたこともあり、これらの本をじっくり味わうことが出来た。

 その他に約半世紀前に買った中央公論社の『日本の歴史』シリーズの「1 神話から歴史へ」「2 古代国家の成立」「3 奈良の都」を拾い読みした。これらは縄文から奈良時代までを扱っている。ここ10年、古代史に興味を抱く度にひもといた。半世紀前はあまり読まなかったが、ここ10年お世話になっている。とりわけ今回「2」をよく読んだ。

 これらの本の影響から奈良をぜひとも訪れたくなった。

 最初は4月頃、行う予定だったが、政府の全国旅行支援を奈良県は2月末で締め切る話を知り、急きょ2月に行くことに決まった。

 旅行支援の内容は妻の方が詳しい。反対に私は疎い。彼女の話によれば、宿泊料金の半額が補助されるらしい。3泊とも同じホテル(ビジネスホテル)の連泊だが、1泊目と2泊目は7700円なので、半額補助。3泊目は10000円なので5000円になるらしい。計算すると2人で25400円分補助される。

 そこに全国共通クーポンが1日につき3000円もらえる。3泊するから9000円、2人で18000円である。

 これらを合わせると、43400円の補助である。

 電車の乗車券に関しては、JR東日本の『大人の休日倶楽部』に入っているので3割引きである。東海道新幹線で「のぞみ」に乗らなければ(「ひかり」「こだま」)、新幹線代もその対象になる。

 このような計算を妻はしたらしい。彼女は「我が家のツアコン」なので、宿泊先の予約や交通費購入を率先して行ってくれた。

 訪れる所は、1日目は興福寺、東大寺、春日大社である。平城京の外京(げきょう)と呼ばれる地区である。2日目は、法隆寺、中宮寺、法起寺などの斑鳩地区、平城京の西部(西ノ京)にある薬師寺、唐招提寺、そして平城宮跡。3日目は、飛鳥路を自転車で回り、高松塚古墳、天武天皇・持統天皇御陵、石舞台、飛鳥寺、藤原京跡などを巡る。4日目は、外京にある元興寺や奈良国立博物館を訪れる。

 寺を回り、仏像に手を合わせることが目的なので、我が古寺巡礼といえよう。

 

 なお、奈良を訪れるのはなんと55年振りである。高2の夏に修学旅行で訪れた以来である。

 私が通った高校は高2の夏休みに修学旅行を実施していた。学期中だと勉強に差し支えるからだという噂が流れていた。

 当時古代史、寺社仏閣、仏像に全く興味がなかった。法隆寺や東大寺に行ったという事実は記憶として残っているが、詳細は忘れてしまった。

(二月堂の写真。修学旅行の写真で唯一残っている。友達が撮ったものだろう)

 

 第1日:2月20日(月)

 故郷の西那須野駅から下り宇都宮線黒磯行きの始発電車(5:57)に乗り、隣駅の那須塩原駅で上りの東北新幹線東京行きに乗る。始発のこの電車は当駅発なので空いている。

 東京駅で8:03発の東海道新幹線大阪行き「ひかり」に乗る

 自由席に乗るので込み具合が心配だったが、空いているのにはびっくり。富士山が見える右側2列席に座る。

 快晴の冬空なので富士山がくっきり見えた。これは縁起がいいと勝手に解釈。

 京都駅に10:43着。約2時間40分の乗車時間。「のぞみ」で行っても30分早く着くだけだ。「ひかり」だと3割引きなので大阪まで行く場合は「ひかり」しか乗らない。

 京都駅でJR奈良線に乗り換える。構内に大勢の旅行客、中でも外国人が目立った。京都はインバウンドに人気があるようだ。

 11:03発の「みやこ路快速」に乗り、11:48奈良駅着。45分しかかからない。思っていたより近い。

(上が現在使われているJR奈良駅。下は旧駅舎で現在観光センターやSutabaが入っている)

 

 天気は時々小雨の曇り空。市内循環の奈良バスで「県庁前」に行く。Suicaが使えるので便利。ここから目と鼻の先の興福寺に行く。小雨が降って来た。

         

 この寺の最大の目的は「阿修羅像」(国宝:八部衆の1つ)を見ることである。これは国宝館に展示されている。まずここに入る。

 2月なのでがら空きかと思ったら、西日本のどこかの中学生が修学旅行で来ていた。それでもかなり空いている方である。おかげで「阿修羅像」をじっくり鑑賞することが出来た。この像は三面六臂で出来ている。

 この像が人気があるのはその顔立ちだろう。西域の影響を受けているせいか整っている。それも現代人が好む顔立ちである。3面の表情は異なる。

 次に腕の美しさである。細くて長い。女性の腕のようだ。均整のとれた細身の体つきも味わいがある。

 私も含め一般の人が見惚れる仏像は、このような顔立ちの整ったものや、優しい表情の観音像の類だろう。荒々しい形相の仏像や金色の阿弥陀仏は素晴らしいと思うが、見惚れる対象ではない。

 その他、足を止めらざるを得ない仏像が幾つかあった。

 興福寺で他に印象に残ったのは、五重塔と東金堂である。

(右が五重塔、左が東金堂。どちらも国宝)

 五重塔には入れない。

 東金堂には国宝の仏像(十二神将)があるというので私だけ入った。ちなみに妻は私ほど寺社仏閣や仏像に興味がない。

 

(東金堂のパンフレット)

 興福寺は元来藤原氏の氏寺である。飛鳥にあった時は山階寺という名称だったが、平城京に移されてから興福寺に変わった。

 他にもたくさんの建造物があったが、割愛した。

 

 続いて東大寺に行った。近くなので歩いて行ける。この辺一帯は奈良公園になっており、鹿がたくさんいる。気を付けなければいけないのは糞である。パチンコ玉くらいの大きさの糞がいたる所にある。一粒ずつ落ちているのではなくかたまりになっている。踏まれたものも多い。それも雨でぐしゃぐしゃになっている。それゆえ下を向いて歩かねばならない。

  南大門が見えて来た。

 ここの左右に運慶・快慶作の金剛力士像が立っている。想像通り大きい。ただ、金網に囲まれているので近くで見るより離れて見た方がよく見える。筋肉隆々の迫力が伝わって来る。

(阿形像)

(吽形像)

 有名なので多くの観光客が立ち止まっている。東南アジアの国の観光客が目立つ。私は日本史では古代同様鎌倉時代も好きなので興味深く鑑賞出来た。

 南大門をくぐると、左手に東大寺ミュージアムという建物が見える。

 ここで入館料を払わないと大仏殿に入れない。ミュージアムと大仏殿入館のセット券がお得なので、それを買う。

 パンフレットをくれた。

 開くと、お目当ての「日光菩薩立像」と「月光菩薩立像」の写真が載っている。

 これらの像は和辻の『古寺』で知った。そこに月光の写真が載っていた。一目見て心を奪われた。ゆえに現物をどうしても見たかった。

 これらは元々法華堂(三月堂)に置かれていた。和辻の『古寺』では日光は帝釈天、月光は梵天と表記されていた。日光・月光か帝釈天・梵天かまだ決着はついてないらしい。

 なお和辻は月光(梵天)の方にひかれていた。私も同意見である。月光の方がより優美・端麗だからである。

 ただ、亀井が『大和』で力説しているように、仏像は拝む対象であり、鑑賞の対象ではない。

したがって堂内あるのが本筋であって、美術館(ミュージアム)に置くのは邪道である。そうは言っても伽藍の耐震性が不十分である以上、コンクリート製の堅固な館内に置かれた方が安全である。上記の日光・月光菩薩立像や興福寺の阿修羅像も堂内で見た方が敬虔な気持ちになるだろう。

 しかし壊れては元も子もないので現状の在り方は仕方がないだろう。

 続いて中門に向かう。

 ここから左右に回廊が巡らせ大仏殿に続いている。したがってこの境内内に鹿は入れない。足元を気にしないで歩ける。

 中門をくぐると、前方に大仏殿(国宝)が見える。

 その大きさに目を見張ってしまう。それでも建立当初は幅がさらに長かったというのだから驚きである。

 また境内が広い。

(大仏殿から見た中門と境内)

 そしてこの広い境内の左右に高さ100m近い九重の塔(東塔・西塔)があったというからこれまたびっくりである。

(このミニチュアは大仏殿内で展示されている)

 出雲大社の正殿もそうだが、あの時代でも高層建築の技術が確立されていた。人間の力はすごいものである。

 大仏殿及び大仏は江戸時代に再建された。長い歴史の間に度々戦火に会い、焼失された。創建当時の物は台座の一部だけらしい。大きさも創建時より小さくなったらしい。

 私はあまり大仏にはひかれなかった。だが、仏の中の仏という感じはする。ここは写真撮影が許可されていた。普通禁止なので珍しい。

 

 続いて境内裏手にある正倉院(国宝)を訪れる。百メートルくらい離れているか。けっこう歩くので訪問客がほとんどいなかった。

 ここは東大寺伽藍の一部ではなく、宮内庁の管理下にある。歴史的価値の高い国宝が収蔵されているので管理が厳重である。監視員もいた。当然柵に囲まれ、中には入れない。

 予想以上に大きく堅牢な感じがした。校倉造の木々も大きい。宝庫にふさわしい風格が漂っている。

 

 続いて二月堂(国宝)に向かおうとしたところ、途中に大湯屋という建物があった。

(大湯屋)

 和辻の『古寺』に天平時代の蒸し風呂に関する一節がある。法華寺に「からぶろ」というその施設が残っている。半世紀前に読んだ時、昔の風呂が現在のような湯水ではなく、サウナのような蒸し風呂であることを知った。

 大湯屋は鎌倉時代に建造され、蒸し風呂ではなく、掛け湯の施設である。当時湯を沸かす木々は貴重だった。入浴となると、大量の湯を沸かさなければならない。だから掛け湯でとどめたのだろう。残念ながら中は覗けなかった。

 

 二月堂は高台にある。西側の部分が傾斜地に立っているので、せり出しているように見える。そこは床下に組んだ柱に支えられている。清水寺に似ている。

 二階のバルコニーのような所に立つと、眺望が開け、奈良の街や遠くの山々が見渡せる。

 二階の南側が正面になっている。

 

 最後に法華堂(三月堂)を訪れる。ここも国宝である。東大寺には国宝の建物が多い。

 ここの本尊は「不空羂索観音像(国宝)」で、大きい仏像である。それを見たかったので私だけ入ることにした。妻が言うには、あまりにも多くの仏像を見ると、どれも同じように見えるらしい。その気持ちは分かる。

 

(入館券)

  正面の背後の壁に台が伸びており、そこに腰を下ろして本尊を長時間眺めている客がかなりいた。仏像ファンかもしれない。見惚れているような感じだった。ただし、私はそこまで引かれなかった。

(パンフレットに載っている不空羂索観音像)

 

 時間が余ったので春日大社に足を伸ばすことにした。若草山沿いに歩けば15分ほどで行けるらしい。

 

 春日大社は藤原氏の氏神を祀っている。天平・平安時代の藤原氏の隆盛と共に本社も反映したらしい。興福寺と同じである。中の本殿は国宝である。

 『日本の歴史』や梅原の『十字架』を読むと、藤原不比等は大政治家だったらしい。彼は平城京の建造、大宝律令の制定、古事記や日本書紀の編纂に関わった。

 ここも私だけ入る。妻は疲れたので外で休むことにした。国宝殿拝観料を払うと、パンフレットをくれた。

参拝所(幣殿)の奥に見える朱色の建物が本殿(国宝)である。本殿の中は入れない。

 回廊を歩く。

 大社らしく朱色が鮮やかである。この鮮明さを保持するには定期的に塗っているのだろう。私はこの朱色には引かれない。朱色が落ち、古色蒼然と化した社の方に引かれる。

 夕暮れが近づいたので、宿泊先のホテルに向かうことにした。参道を歩いて10分くらいの大通りにバス停留所があった。

 ここからバスに乗ってJR奈良駅に行く。

 ホテルはJR奈良駅西口近の「ダイワロイネットホテル奈良」である。すっかり暗い。

 

 受付の際にもらえる地域共通クーポンは電子クーポンの形である。すぐに専用アプリに9000ポイント(9000円分)が入った。

 部屋でくつろいでから夕食をとりに駅に向かう。

 3日分の食事場所は妻が選んでくれた。全て地域共通クーポンが使える所である。今日はJR奈良駅内にある「魚民」で寿司を食べることになっている。

 共通券が二人で1日6000円分あるためたくさん注文した。

 

 つい食べ過ぎてしまった。 

 ホテルに戻り、温泉に入ってから就寝。よく歩いた一日だった。

 

 ※続く             

  次回は、二日目に回った法隆寺、薬師寺、唐招提寺などの感想を紹介します。