ドストエフスキー(以下ドスト氏と呼ぶ。昔日本の文壇でそう呼ばれていた。それが読者にまで広がっていた)とトルストイ以外に私が親しんだロシア文学の作家はツルゲーネフだった。
イワン・ツルゲーネフ(1918~1883)
しかし、彼の作品で読んだのは『猟人日記』と『父と子』だけである。
日本で人気のあった『初恋』は読む気が起きなかった。高校生の時、購読していた学研の『高校生コース』に『初恋』が紹介されていた。その内容は、主人公の男の初恋の相手(五歳年上)の恋人が実は自分の父親だったというものである。それだけで私はこの作品に距離を置いた。当時私は、主人公同様、年上の女性に淡い慕情を抱いていた。そして私は父が嫌いだった。もし彼女が父を好きだったら、どうなるだろう。私は作品内の関係を現実に当てはめたのだ。私は彼女に幻滅する。そう結論づけた。
また、他に読みたいロシア文学の作品が多かったことも『初恋』を遠ざけた理由である。
しかし、『猟人日記』と『父と子』が私に与えた影響は大きかった。ドスト氏の『罪と罰』やトルストイの『戦争と平和』に匹敵する。『猟人日記』と『父と子』は『罪と罰』や『戦争と平和』に比べたら短いが、長ければいいというものではない。心にインパクトを与えれば、何度も読み返したくなる。
『猟人日記』は、語り手の私が別荘がある田舎で見聞した様々な出来事を物語にして紹介する形をとっている。舞台の田舎は、ロシアの位置や登場する白樺から北海道を連想させる。
(上巻に収められている狩猟姿のツルゲーネフ)
全部で25編あり、連作短編小説と言ってもよかろう。
この作品の魅力は、第一に、作者の抒情性だろう。鋭い感受性でとらえた田舎の風景と人間模様を詩的に描いている。その視線はどこまでも温かい。彼は永遠のロマンチストであり、文学青年であるような気がした。当時の私自身がロマンチスト気質を多分に持っていたので、彼が提示する世界に十分共感できた。
25編の作品の中で、私が最も愛したのは、『田舎医者』、『クラシーヴァヤ・メーシのカシヤン』、『ピョートル・ペトローヴィッチ・カラターエフ』、『あいびき』、『チェルトプハーノフとネドビュースキン』である。こうして挙げられるのは、目次に印をつけておいたからである。
内容は忘れたが、登場する人物たちは個性的で魅力あふれる人物たちだった。ロシアの田舎で暮らす庶民たちである。その特長を見事にとらえている。モーパッサンに似ていると思った。ここまで書いてふと気付いたのだが、見川泰山の『田舎医者シリーズ』のエッセイが『猟人日記』に近いと思った。ただし、私がその本を読んだのは大学卒業後30年経ってからである。
続いて、自然描写だと思う。『ベージンの野』、『あいびき』、『森と草原』でロシアの自然が抒情豊かに描かれている。日光の移り具合、雲の変化、夕焼けの色模様、星の瞬きが目に浮かび、鳥のさえずり枯葉の擦れ合う音が聞こえ、林を渡る風が肌をかすめ、花の香が漂い、草原の草いきれが匂って来るようである。紅葉具合読者の五感を刺激するこの筆力こそ彼を偉大な作家に仕上げた。
ベージンの野:自然描写
栃木県の北部の田舎町で育った私は、この自然描写の世界を実際に経験した。半世紀前の田舎にはまだまだ森林や草原が広がっていた。小説家志望だったこともあり、私は、この描写力を習得したいと思い、上記作品の自然描写の部分を原稿用紙に写したことがあった。
日本文学には、花鳥風月を愛し、自然との共生に理想を見い出す伝統がある。和歌や俳句や詩がそれを物語っている。だからこそツルゲーネフが日本人に人気があった。それに一役買ったのが二葉亭四迷だろう。ロシア語が達者な彼は明治の中頃、ツルゲーネフの短編を翻訳し、言文一致の文体で表現した。代表的な作品が『あひびき』(『猟人日記』の一遍である『あいびき』)や『片恋』である。白樺林が目に見えるように、林を渡る風が聞こえて来るように訳された名文は当時の文壇に衝撃を与えた。
余談になるが、この作品から影響を受け、日本文学の伝統を引き継ぎ、五感に訴える自然描写をさらに極めたのが国木田独歩である。『武蔵野』で彼はその世界を繰り広げた。
『父と子』は別な意味で私はショックを受けた。作品が発表当時(1862年)の新旧世代の対立を描いていたからである。それも恵まれたインテリゲンチャア(知識階級。主に貴族)における思想対立である。したがって『猟人日記』における詩的な抒情性はない。ツルゲーネフはこのような作品内容も書けたのである。両刀使いがツルゲーネフの魅力であり、それゆえ後世まで読者が多かったのだろう。
主人公バザーロフは西欧留学から帰った青年で、西側の進歩的哲学思想の影響を受けていた。無神論者で、科学万能主義で、ニヒリストで、自由主義者である。すなわち神を否定し、物質と事実を尊重し、世相を皮肉り、ロマンチシズムを軽蔑し、皇帝政治を認めなかった。ちなみに後世当たり前に使われたニヒリストという用語はこの作品から生まれた。これだけでもツルゲーネフの功績は大である。
言わば新人類の走りである。政治活動に走ったら、間違いなく当局からねらわれる危険人物である。したがって大人たち旧世代の驚きは大きく、当然彼に反発した。この葛藤が作品で描かれたのである。『父と子』というネーミングは見事という他ない。
バザーロフの登場はロシアの文壇に衝撃を与えた。とりわけドスト氏は影響を受けた。『罪と罰』のラスコーリニコフ、『悪霊』のスタヴローギンン、『カラマーゾフの兄弟』のイヴァンはバザーロフの系譜につながる主人公である。劇画風に言えば、ダーティーヒーローの誕生といえよう。上記の三人の中ではイヴァンに最も近いだろう。
その後19世紀後期のロシアは混乱を極め、20世紀に入ったら革命を迎え、マルクス主義が勝利を収めた。その流れを俯瞰したら、1862年のバザーロフの出現は当然とも言える。
本作は西欧でも評価され、後世においても読まれた。ドスト氏の長編と比べると、中編くらいの長さであり、独白や心理描写が少ないので読みやすい。この点も世界中で多くの読者を獲得した理由だろう。
発表後1世紀以上を経た1970年、イギリスのシンガー、キャット・スティーブンスは本作に感動し、『Father and Son』という曲を発表した。日本では今一つ人気が出なかったが、私は彼の作る曲が好きであった。
大学時代、ドスト氏に凝っていた私がバザーロフに引かれたのは当然である。私ばかりでなく、ドスト氏愛好の若者の多くが『父と子』も紐解いてた。彼らと、安酒場や喫茶店や下宿で、バザーロフを巡って討論した。その風景は今も目に浮かぶ。
この頃だろうか、ロシア文学を年代的に読もうと思って、岩波文庫の『ロシヤ文学案内』を買ってみた。作家の数が膨大なので、興味を引いた作家だけ読むことにした。
近代ロシア文学の祖はなんと言ってもプーシキンである。私は岩波文庫に入っている彼の作品を全て買った。
この記事を書くに当たって書棚から取り出したが、『大尉の娘』が見当たらなかった。たぶん何十年か前に古本屋に売ったのだろう。
今回、この記事を書くに当たり、Amazonで『大尉の娘』の古本を購入することにした。
実はこの『大尉の娘』が面白かった。プガチョフの反乱を背景にした、波乱万丈の恋物語なのである。プーシキンは元々詩人なのに、このようなストーリーテラーの才能があることに驚かされたた。代表作の『オネーギン』は力を入れて読んだのだろう、気に入った言い回しや表現には線が引かれてある。それなのに全く内容を覚えてない。
『スペードの女王』も同様である。結末で女王が笑っているように見える場面だけ覚えている。
プーシキンには黒人の血が入っていた。当時としては珍しかっただろう。黒人の血が入った19世紀の作家では他に『モンテ・クリスト伯』で有名なアレクサンドル・デュマがいる。
彼は決闘で亡くなったが、彼の文学的遺産はすごかった。後世の有名作家はほとんどプーシキンを讃えている。
次にあげるのがレールモントフの『現代の英雄』である。
ミハイル・レールモントフ(1814~1841)
彼の生存期間ははプーシキンに重なる。プーシキンを尊敬していた。プーシキンと共通している点は、レールモントフも決闘で
死んだという事実である。彼はわずか26歳の若さで亡くなった。
トルストイの『戦争と平和』に主人公のピエールが決闘するシーンがある。80年代前半はよく行われていたのだろが、二人共若くして死んでしまったことにより、文学作品も中途半端な形で終わってしまった。
この『現代の英雄』は素晴らしい作品である。作品は中編だが、『罪と罰』に次ぐ感動を味わった。今はよほどの文学好きにしか読まれてないと思われる。私が大学生の頃、戦後派文学の埴谷雄高(代表作『死霊』)が文学青年の間で人気があった。彼が最も影響を受けた小説として『現代の英雄』を挙げていた。そのことを目にした時、うれしかったのを覚えている。
主人公はペーチョリンというニヒルで冷酷な貴族の青年である。私は『父と子』のバザーロフを思い出した。本作は『父と子』より20年前に発表されているのでバザーロフの先駆者である。ラスコーリニコフ、スタヴローギン、イヴァンにとっては祖先のような存在だろう。
ペチョーリンの登場もロシアのインテリゲンチャに衝撃を与えた。強烈な個性の彼は時代を象徴し、いやそればかりか未来を予想させるような人物になった。
主人公が一人称で語る章や、第三者が主人公の思い出を語る章から成り立ち、構成を工夫することで主人公の人間像を浮き彫りにする。一部と二部とに分かれ、全部で六章からなっており、各章とも短編として読める。激しい恋、死を賭けた勝負事、黒海沿岸での牧歌的な体験などが綴られている。芸術作品として完璧な仕上がり具合である。
とりわけ私の記憶に刻まれたのは、『タマーニ』という題の章である。これは黒海沿岸の小さな港町の名前である。当時はひなびた漁村だったのだろう。現在話題になっているクリミア大橋の近くである。
主人公はそこで謎めいた十代後半の少女と幼い盲目の少年に出会う。少女はなまめかしくもある。彼らは密貿易に携わっていることが次第に判明するのだが、彼らとの交流を詩情あふれる文章で描いていた。とりわけ小さな船で彼女と格闘する場面は素晴らしい。夜の海の風景が目に浮かんでくるようだった。こういう短編を読むと、レールモントフが元々詩人だったことも納得する。後世、この部分はトルストイやチェーホフから優れた散文だと絶賛された。ツルゲーネフの『猟人日記』にも通じる場面である。
今回この記事を書くにあたり、40年ぶりに読み返した。翻訳の古さは感じられたが、作品がはらむ詩的で妖しい雰囲気は味わえた。
余談になるが、私は、Youtubeで日本に住んでいる若いロシア人女性やウクライナ人女性のチャンネルをよく見る。そこに「東大アリョーナ」さんという人がいる。実際に東大法学部を出た人である。アリョーナさんという人が何人もいるので、「東大アリョーナ」というニックネームを用いている。
彼女はタマーニがあるクラスノダール地方(北コーカサス。黒海に面している。クリミア半島が近い。オリンピックが行われたソチもこの地方)の出身である。彼女が里帰りした際の動画に、レールモントフの銅像が現れた時は驚いた。
彼女のチャンネルを載せたので、興味のある方は開いてみて下さい。しっかりした立派な女性である。
次はゴーゴリである。ドストエフスキーを読んでいる頃、彼がゴーゴリの『外套』を絶賛しているのに気づいた。また早稲田の露文科出身の五木寛之がゴーゴリを好きだったことも知った。同じ露文科出身の後藤明生はゴーゴリから影響を受けていた。
ロシア文学史でもプーシキン亡き後の80年代前半、彼は量と質において大きな位置を占めていたらしい。
そんなことからゴーゴリを読んだのだと思う。私が読んだ作品は、『死せる魂』『狂人日記』『検察官』『外套・鼻』である。
ただ、覚えていることは私はゴーゴリは好きになれなかったという事実である。それゆえ、内容は忘れてしまった。とにかく世界がロシアの冬のように暗い。狂人、亡霊、腐敗、貪欲、非現実的などネガティブな言葉ばかり浮かんでくる。
こちらに読解力がなかったこともあろう。難しい言い回しや漢語がけっこうあるので、辞書を引いた跡が残っている。どの作品にも見られる。必死になって読んだことは間違いない。が、味わえなかった。
『死せる魂』は上下本の長編である。題名からして衝撃的だが、内容は前述したように覚えてない。今、なんとなく思い出したが、ようやく読み終えたという記憶だけはうっすらと残っている。今回、解説を読んでみたが、頭に入らなかった。
『狂人日記』。これもすっかり忘れてしまった。解説によれば、やがて精神を病むようになった下級官僚の話で、辛い現実と理想の乖離を綴ったらしい。
官僚と言えば、『検察官』(戯曲)ではそのあり方を風刺していたことを少し覚えている。中央の検察官が地方都市にやってくるので、市長たち地方官吏が慌てふためく内容である。彼らは公金横領や収賄などで腐敗しきっているからである。そのドタバタぶりがよく描けていると思った。本作だけが親しみやすかった。
『外套・鼻』で思い出したことは、亡霊が出てきたり、失われた鼻を求めて駆けずり回ったり、いずれも非現実的な内容の話だという事実である。カフカの作品に似ていると思った。ゴーゴリはカフカよりかなり前の人なので、カフカの方が影響を受けたのかもしれない。非現実的な話が苦手な私はこの作品も味わえなかった。
今となっては理由は分からないが、ゴンチャロフの『日本渡航記』を読んでみた。これまた内容はすっかり忘れたが、すごく面白いので、分厚いにもかかわらず一気に読んでしまったことを覚えている。
彼は大蔵省の官吏であったが、交渉団の一員として日本を訪れることになった。その滞在記をまとめたのが本書である。幕末を迎えようとしていた日本の風物や文化をよく観察し、具体的に描いている。観察眼の鋭さに驚いた。文明批評の記録としても貴重だと思った。
トルストイやドストエフスキーの後に現れ、瞬く間に世界で人気を博した作家チェーホフの本を3冊ほど読んだ。小説が2冊に、戯曲が1冊である。
数多い作品の中でこれだけしか読まなかったのは、彼の作品にそれほど引かれなかったからである。彼は短編小説家として有名だが、モーパッサンに適わないと思った。『可愛い女』や『退屈な話』などの代表作が網羅されていたが、面白かった、感動したという記憶がない。
戯曲の『桜の園』も私の感性には合わなかった。こちらに味わう力量が育っていなかったのかもしれない。
20世紀の作家でまず読んだのは、ゴーリキーの『どん底』である。ロシアは1917年に革命が生じ、ソビエト体制になった。しかるにこれから挙げる作家、ゴーリキー、ショーロホフ、ソルジェニツィンはソビエト体制との関わりなしに説明できない者たちである。
ゴーリキーはロシア革命に実際に参加した作家である。芸術は個人の内面の自由に依拠する活動であるゆえ、芸術をプロバガンダに利用する体制に疑問を抱いたが、最終的にはスターリンに利用された。
『どん底』は帝政ロシアの末期に都会で暮らすルンペン・プロレタリアートを描き、都会の「暗」をほじっくた戯曲である。
私自身が田舎から出て来た貧乏学生のせいか、アルバイトを通して都会で暮らすことの大変さを垣間見たせいか、当時学生運動が盛んだったせいか、本作を興味深く読むことが出来た。
ただし、作者が革命家のせいか、「どん底」で生きる人々を救うのには革命しかないという声が紙背から聞こえて来たような気がした。こうなると、文学作品は別な価値を帯びて来る。その一例である。
続いて挙げるのはショーロホフの『静かなドン』である。
私はこれを高校生の時に読み出した。今振り返れば、当時社会主義にかぶれた親友の影響があった。もう一つの理由として、私が好きなアメリカのフォーク・シンガー、ピート・シーガーの『花はどこへ行った』が挙げられる。彼は本作を読んで感銘し、この曲を作ったのである。
ピート・シーガー
高1の時に私はよくギターを弾きながら口ずさんだ。それだけこの曲が好きだった。それも読むきっかけになったことは間違いない。
『花はどこへ行った』の歌詞の大意は次の通りである。
野に咲く花→少女が摘む→少女は男を恋する→男は戦争に行く→男は大地で戦死する→そこに咲いた花を再び少女は摘む。
循環の発想で作られ、戦争の悲惨さや虚しさを訴えている。一種の反戦歌である。
『静かなドン』は革命に翻弄されるドン地方のコサックの生態が描かれており、その世界は歌詞の内容と合致する。シーガーはそこに戦争の虚しさを見い出したのだろう。
本作は、革命戦争ばかりでなく、コサックの仕事(主に農業)や恋愛も含まれているので最初は面白く感じられたが、その長さのあまり、上巻の途中で止めてしまった。大学生になって再挑戦したが、今度は面白さを感じなくなり、これまた下巻の途中で止めてしまった。
それでもドン地方の雄大な大地の雰囲気は味わえた。この辺りはウクライナに隣接しており、世界で有数な平地であり、穀倉地帯でもある。否応なしに現在進行中のウクライナ戦争の影響を受けているだろう。
ドン川
ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィッチの一日』は彼のラーゲリ(強制収容所)体験に基づいた小説である。
発表した62年がフルシチョフ時代だったので日の目を浴びることが出来た。ブレジネフの時代なら出版出来なかっただろう。
この内容はもう覚えてないが、結構面白く読めた記憶が残っている。収容所の生活は過酷ゆえ従来の作品なら暗い色調で描かれるのに、本作は違った。ユーモアもあり、明るいのである。それは主人公の性格が楽天的だからだと思われる。辛い生活の中でも楽しみを見つけようとしていた。逆に言えば、それだからこそ出版が認められたのだろう。
この作品で一躍世に出たソルジェニーツィンはラーゲリ医療体制を告発した『ガン病棟』やラーゲリの暗部を描いた『煉獄の中で』を執筆したためにブレジネフ体制から弾圧を受けた。
その彼に70年ノーベル文学賞を与えられたから騒ぎが大きくなった。西側では一躍時の人になった。彼の作品は続々世界中で出版され、中でもソビエト体制を批判したルポルタージュ作品『収容所群島』は話題を呼んだ。その影響下で私は本書を読んだのである。その頃、学生運動に幻滅した私は彼を支持する立場を取った。しかし、まだ東側陣営に幻想を抱いていた友達は彼を批判した。当然論争が生じて、仲たがいする一因になってしまった。それから50年が経った現在、あの頃の論争が妙になつかしい。
その後、ソルジェニーツィンは亡命を余儀なくされ、80年代末になると、彼の予言通りにソビエトは内部崩壊した。そのため彼は一時救世主扱いにされ、ロシアに凱旋することが出来た。しかし彼は次第にロシア正教を熱烈に支持し、スラブ主義に傾くようになった。最後にはプーチンを絶賛するまでになった。
晩年のドストエフスキーと同じようにソルジェニーツィンもナショナリズムに傾いてしまった。壮年の頃優れた文学者でも老いると自分を見失う一例である。
――― 終り ―――
今回をもってロシア文学の思い出は終わりです。
次回は文学シリーズをちょっと休んで、10月下旬に予定している山陰旅行(出雲・松江・安来・境港)の様子を綴ります。その後ドイツ文学の思い出に移ります。