ドストエフスキーの作品を読み終えてから、私はトルストイ(本名はレフ・トルストイだが、トルストイと略す)に取り掛かった。

レフ・トルストイ(1828~1910)

 私は、ある作家に傾倒すると、その作家の作品の多くを集中して読む癖があった。時には断簡零墨までひも解いた。トルストイはその一人と言えよう。ロシア文学では他にドストエフスキー(以下ドスト氏と略す)だけである。西欧文学ではゲーテやシェークスピア、日本文学では漱石、鷗外、谷崎などが挙げられる。そのような読書法をある評論家が勧めていたのを読んだ時、我が意を得たと思った。

 

 トルストイの作品は全集ではなく、主に岩波文庫で読んだ。岩波文庫はたくさん持っているが、冊数から言えば、彼の作品が一番多い。『戦争と平和』が8冊を占めていることが大きい。

 

 小説では、『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』などの長編。『幼年時代』『少年時代』『青年時代』の自伝三部作。『クロイツエル・ソナタ』、『イワン・イリッチの死』、『光あるうちに光の中を歩め』などの中編である。

 エッセイでは、『人生論』、『芸術とはなにか』、『懺悔』である。 

 

 ドスト氏のところでも述べたが、これらの本の内容もすっかり忘れた。思い出せるのは、『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』だけである。それでさえ一部分である。印象的な場面や文章しか覚えてない。

 なお、これは上記の二人だけでなく、他の作家にも当てはまる。「読んだ」という記憶しか残ってない。老いる、時が過ぎるとはそういうことなのだ。

 だからと言って、彼の作品が精神形成に役立たなかったとは言えない。これは書物全般に言えることであるが、感動した本は「無用の用」であり、思索や行動を支える地下水になっている。

 また、これもドスト氏のところで述べたが、トルストイの作品も社会に出てから読み返したことはない。暇がないこと、忙しさのために頭脳が受け付けなくなったことが挙げられる。

 では、暇に恵まれる老人になった現在はどうか。これまた読む気がしない。外国文学(主に西欧文学)から離れてしまった40年の間に、外国文学そのものに興味がなくなった。

 理由は幾つかあるが、まず、西欧人の発想や感受性や世界観について行けなくなったことが言えよう。やはり日本人と違う。東洋人とも異なる。

 次に、翻訳文独特のおかしな日本語に耐えられなくなった。翻訳文の多くは日本語になってない。長い作品ほど顕著である。作品の持つ構造上、読むに耐えうる日本語に訳すのは難しいのだろう。

 さらに、作品の長さに我慢出来なくなった。一般に外国文学の名作は長い。そのせいか、文章そのものも長い。会話や描写にも当てはまる。それゆえ、しつこく、重複が多い。

 その他として、文庫本の字が小さいことも挙げられる。今の私は読書の際、メガネ型ルーペが外せない。

 その結果、現在読む小説の大半は日本の作家の作品である。

 

 さて、記憶をたどって、出来る限りトルストイの小説の特長を思い出してみよう。

 まず覚えていることは、描写の素晴らしさである。情景描写や人物描写や行動描写は目に見えるようである。写実主義(リアリズム)の手法を使っているからだろう。したがって地の文が充実している。

 何かで読んだが、トルストイは同時代のモーパッサンを好んだらしい。

ギ・ド・モーパッサン

 彼は、師匠のフローベルから学んだリアリズムの達人である。リアリズムは、近代小説の基本であり、王道になった。これを習得してない作家の描写を読むと、脳内スクリーンにイメージが映されない。日本の作家で、描写の達人と言えば、私が読んだ限り、志賀直哉、芥川龍之介、森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎が挙げられる。トルストイはモーパッサンから影響を受けただろう。

 このリアリズムをいかんなく発揮したのが、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』である。とりわけ前者は登場人物が559人である。貴族から農民まで様々な階級の多様な人物を描いた。性格の違う人間をこれだけ書き分けられた彼の力量にただ脱帽するだけである。

 

 続いて感じたことは、ロシアの大地と農民を愛したことである。著作のいたる所で見られる。農民出身ではないのに農民に肩入れし、理想主義に徹するトルストイの文学姿勢はドスト氏から『貴族の文学』と揶揄されたが、トルストイのすごい点は、農民への愛がロシアにとどまらず、やがて世界中の虐げられた人にも向けられたことである。すなわちコスモポリタンとして成長した点である。

トルストイと農民

 最後は、トルストイの思想である。私が感じたのは、ヒューマニズム(人道主義)である。その根底にあるのはキリスト教である。しかし、国家と結びついた当時のロシア正教会は否定した。正教会の方も報復措置を取り、トルストイを破門した。

ロシア正教会

 彼が正教会に反旗を翻したのは、俗化し、形式化し、権威ばかりをちらつかせたからだろう。ゆえに彼は、教会という権威から離れた原始キリスト教にキリスト教の本質を見た。一種の理想主義者と言えるが、当然当時の政府や教会からにらまれた。彼を救ったのは、世界中に広がる読者たちだった。世界的な有名人なので国や正教会は排除出来なかった。

 こういうこともあり、トルストイは偏狭な愛国主義やナショナリズムから脱却し、コスモポリタンの立場から、戦争を人類悪ととらえ、戦争そのものを否定した。

 元々キリスト教は、「右の頬を打たれるなら左の頬も打たれよ」と謳っているように争いを否定している。ところが人はそれを信じても戦ってしまう。矛盾が人間の特性である。

 19世紀は帝国主義と戦争の時代であり、ロシアも数々の戦争を行った。国益のために他国を侵略することは国民に受け入れられた。当時戦争反対を唱えることは国賊扱いされ、死を賭すような勇気がいった。それにめげなかったことに彼の偉大さがある。

真の芸術家は、現実の利益を優先する政治家と違い、永遠の本質を見抜いている。そうでなければ、時代や国境を越える作品を残せないだろう。

クリミア戦争

 20世紀に入りロシア帝国がソヴィエト連邦に生まれ変わると、政府はトルストイを評価し、ドスト氏を否定した。ところがソヴィエト体制が崩壊し、プーチンが現れると、ロシア正教会を重視するドスト氏を持ち上げた。この例は、ロシアにおける政治と文学の関わりを知る上で重要である。

 現在のウクライナ戦争、また、一向に止まない世界各地の紛争見ると、私は、文学者の姿勢としては、偏狭なナショナリズムに陥ったドスト氏よりコスモポリタンのトルストイの方が正しいと思っている。

 彼の思想は、ロマン・ロランやガンジーなど世界中の文学者、芸術家、政治家に影響を及ぼした。

ロマン・ロラン

 現代なら、ジョン・レノンに受け継がれたのではないだろうか。彼の『イマジン』はまさにトルストイの思想と同じである。

イマジンを歌うジョン・レノン

 

 それでは彼の数々の作品から、私の記憶に残っている『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『復活』、自伝三部作を主として見ていきたい。

  『戦争と平和』を読んだのは73年だったと思う。学芸大学駅前に住んでいたアパートで読んだことを覚えている。何しろ岩波文庫で8冊あるので数か月かかったのではないだろうか。

『戦争と平和』全8冊(そのうえ分厚い)

 『罪と罰』のように読了後、景色が違って見えるような感動ではなかったが、心の中を一陣の薫風がさっとかすめるような感動を味わった。

 私の心に刻印された人物はアンドレイ公爵である。彼は武人であるが、理知的で冷静に物事を判断できた。男性の見本のような人物であり、トルストイの理想像であったように思われる。戦場で重傷になった彼が死ぬ前に死と生を省察する場面は私に深い印象を残した。

ソ連映画『戦争と平和』のアンドレイ公爵

 次に主人公のピエールである。

同映画のピエール

 彼はアンドレイと比べると人間臭く、トルストイと等身大の人物のように思われた。恋に破れたり、決闘したり、民間人であるのに戦場をさまよったり、ナポレオンを暗殺しようとして捕まったりした。彼が収容所で知り合った農民プラトン・カラターエフとの会話は素晴らしい。カラターエフもトルストイの理想像だろう。

 アンドレイとピエールの友情は美しい。二人が人生や戦争や愛について語る場面は青春を表している。

 彼らに比べると、ナターシャの魅力は今一つである。

同映画のナターシャ

 恋したり失恋したりするが、私の心を揺さぶらなかった。貴族のお嬢さんの贅沢な悩みといった感じがした。彼女ばかりでなく、女性たちが登場する場面全般私の興味を引かなかった。女性に関して言えば、ドスト氏の作品に登場する女性たちの方が魅力がある。

 クトゥーゾフ将軍や皇帝ナポレオンの描き方は面白かった。とりわけ前者のキャラクターは強烈であった。彼らがリーダーをなって繰り広げる戦場シーンは迫力があった。

クトゥーゾフ将軍の肖像画

 この小説の最後で、編を改めて、彼は自分の歴史哲学を語る。かなりの長文で、エッセイでもあり、論文でもあるような別編である。小説家の論理なので飛躍が多く、論理性が脆弱な点は否めないかもしれないが、自己の歴史哲学をこれだけ展開する作家は珍しい。一言で言えば、戦争は少数の為政者たちや指導者が引き起こすものではなく、人民の熱狂も含めたあらゆる原因の総和から発生するというものらしい。訳者の解説によれば、このような見方は新説ではなく、従来からあったそうだ。ドスト氏やツルゲーネフからは批判されたという。

 大切な点は、この歴史観に基づいてこの壮大な作品が展開され、それが類まれな芸術作品に仕上がったという事実である。そうでなければ、この論文的エッセイは誰からも顧みられないだろう。

 

 次は『アンナ・カレーニナ』である。

『アンナ・カレーニナ』(全7冊)

 この作品はトルストイにライバル意識をむき出しにしたドスト氏からも絶賛された。彼ばかりでなく多くの文学者からも評価された。恋愛小説の教科書(志賀直哉の見方)ともいうべき見事な芸術作品に仕上がった。確かに女性の揺れ動く姿をとらえたという点で私にも納得出来た。

 この小説はアンナとアンナを巡る二人の男性との話が主軸であるが、アンナの恋愛と関係ないリョーヴィンという貴族男性の話も同時進行に描かれ、二つの内容が縄のようにあざなっている。リョーヴィンは副主人公と言ってよかろう。

英米映画『アンナ・カレーニナ』のアンナ・カレーニナ

 不思議な物で半世紀経っても印象が消えないのはアンナよりリョーヴィンの方である。

同映画のリョーヴィン

 アンナの恋愛はペテルブルクを舞台にしているが、領地経営に生きがいを見い出すリョーヴィンの生活は当然田舎である。両者を対比して描くことで、人生とは何かを問うている。

 私には、主軸であるアンナの恋愛模様より、このリョーヴィンの生活態度や人生観が記憶に残った。リョーヴィンは、ロシアの大地と農民へリスペクトを忘れず、キリスト教信仰を深め、農業に従事することに生きがいを見い出す人間である。すなわちトルストイの理想を具現化した人物である。

草刈りをするリョーヴィン:岩波文庫の挿絵

 アンナたちが清濁併せ飲むキャラに対し、リョーヴィンは清廉潔白である。両者はあまりにもかけ離れ過ぎ、アンナたちの方が人間臭いからこそリョーヴィンの印象が強かったのだと思う。

 私としては、リョーヴィンの思想は分かるが、ついていけない、正直鼻に突くことは否めないと思った。

 

 3番目は『復活』である。

 

 芸術作品としては『戦争と平和』及び『アンナ・カレーニナ』と比べるとかなり劣る。

 主人公のネフリュードフ公爵は若い頃下女のカチューシャを犯してしまう。彼女は彼の子を産み、生活出来なくなったので娼婦に転落する。その彼女が殺人を犯し、シベリアに流刑されることになった。陪審員として裁判に参加した公爵は罪の意識に目覚め、反省し、なんとか彼女を救い出そうと奔走する。やがて一緒にシベリアに行くようになる。

絵画『復活』:カチューシャとネフリュードフ

   公爵の生き方にはトルストイの実生活が反映されている。トルストイは事実、彼は若い頃、放埓な人生を送り、農奴の女性を犯した。しかし大人になって悔悟し、禁欲に目覚め、清廉を求める理想主義者になった。こう言うと聖人君子に易々と転換したように思われがちだが、実際はそうではない。肉欲に悩み、名誉欲も捨てきれなかった。欲望を断ち切れなかったから、小説家・芸術家の道に進んだのである。

 『戦争と平和』のピエールや『アンナ』のリョーヴィンは彼の分身であったが、彼らよりもネフリュードフの方がトルストイに一番近い、等身大の人物であるように思われた。

 しかし、私は、ネフリュードフの生き方に肯くことは出来なかった。偽善者の臭いがしているような気がした。極端から極端へ走る思考について行けなかった。その点はカチューシャに見抜かれていた。ただ、彼女のキャラは際立っていたが、『罪と罰』のソーニャや『カラマーゾフ』のグルーシェンカにはかなわない。人間の描き方では、ドスト氏の方が優れている。トルストイは掘り下げが浅い。

 

 『自伝三部作』の印象に残っているのは『幼年時代』と『少年時代』である。『青年時代』はあまり残ってない。青年時代といっても少年時代に近い時期が描かれており、まもなく惑溺する放埓な生活が描かれてない。

自伝三部作:『幼年時代』『少年時代』『青年時代』

 前の二部作は、鋭い感性で日常をとらえ、初々しい子どもの姿を読者に提出する。19世紀のロシアの貴族社会を子どもの視点で覗くことが出来大変興味深かったが、それ以上に子どもの感情は古今東西変わらないことを知った。このような作品は日本で言えば私小説の類に属するだろう。ただ、すべて体験かどうかは断言できない。小説である以上、フィクションを混ぜないと成立しないからである。

 また、収まれた挿絵がよかったことも覚えている。内容にフィットしていた。

『幼年時代』の挿絵

『少年時代』の挿絵

 

 他の作品について簡単に触れよう。

 『クロイツェル・ソナタ』は肉欲の異常さを描いた内容である。

『クロイツェル・ソナタ』 

 表題はベートベンの曲名だが、トルストイはこの曲から異様な感動を受けたらしい。音楽には時として人をデーモニッシュにする。私も何度か経験した。それを小道具として使ったこの作品は完成度が高い。

 

 他の作品を一言で言い表す。

 『懺悔』→内的苦悶の吐露 『人生論』→人生観 『芸術とはなにか』→芸術論 『光あるうちに光の中を進め』→キリスト教論  『イワン・イリッチの死』→死生観

『懺悔』

『人生論』

『芸術とはなにか』

『光あるうちに光の中を歩め』

『イワン・イリッチの死』

 彼の持論は葛藤の足跡を克明に叙述しているのですごいと思ったが、時に退屈した。

 

 ロシア文学を読みふけっていた頃、小林秀雄にも熱中していた。昭和11年に彼はトルストイの家出を巡って正宗白鳥と論争を行った。

正宗白鳥

小林秀雄

 その経緯については彼の作品『文学者の思想と実生活』に詳しく載っている。

小林秀雄『文学者の思想と実生活』

 簡単に言えば、トルストイの家出は妻のヒステリーが原因と唱える正宗白鳥に対し、動機はそうかもしれないが、その背景に思想的苦悩があったはずだと小林は駁論した。論理性においては正宗は小林に適わない。当時私はどちらかと言えば小林にくみした。

 しかし老境に入った私は、正宗の考えは卓見だと思うようになった。というのは、老いることがこんなに大変だと気づきだしたからである。これは年をとってみなければ分からない。論争当時、正宗は還暦目前、小林は30代半ばだった。戦前の還暦は老人である。正宗は老いの大変さに気づいたのだと思う。ちなみにトルストイが家出したのは82歳である。1910年当時の80歳は現代に置き換えれば100歳くらいの老齢である。

トルストイ夫妻

 そのような年になると、病気をかかえたり、認知症をわずらったりしている可能性は捨てきれない。生きていること自体が大変なのだ。高尚な思想で悩むより、日常のささやかな出来事に一喜一憂することの方が多い。

 正宗の意見は、これからも深化しつつある高齢化社会にますます輝きを放つだろう。

 

                       ――― 終 り ―――

 

  次回はロシア文学の思い出の3回目を綴ります。ツルゲーネフなどその他の作家を取り上げます。