この時期、映画音楽もよく聴いた。また、ラジオからひんぱんに流れていた。喫茶店でもよく流していた。今は、コーヒー・チェーン店の拡大により、昭和の喫茶店は姿を消してしまったが、喫茶店と映画音楽は一心共同体ともいうべき関係だった。

 購入した映画音楽のサントラ盤については各国の「映画の思い出」で語った。おさらいするような形でまとめてみる。〈シングル〉と記されてないのはアルバム(LP)である。

 

  1971年に購入したサントラ盤

   

       男と女(仏:1966年)

卒業(米:1967年)

   

                         真夜中のカーボーイ(米:1969年) 

                  マッシュ〈シングル〉(米:1970年)

 我が青春のフローレンス〈シングル〉(伊:1970年)

  72年

 明日に向かって撃て(米:1969年)

  73年

冒険者たち〈シングル〉(仏:1967年)

  フォローミー〈シングル〉(米:1972年)

 ゲッタ・ウェイ〈シングル〉(米:1972年)

 ラスクムーン〈シングル〉(仏:1972年)

  74年

 ドクトルジバゴ(米:1965年) 

 

ロイ・ビーン(米:1972年)

  スティング〈シングル〉(米:1973年)

 

 追憶〈シングル〉(米:1973年)

 パピヨン〈シングル〉(米:1973年)

  75年

 フェリーニのアマルコルド〈シングル〉(伊:1973年)

 ブルー・ハワイ(米:1961年) 

 

 感動した勢いで買ったサントラ盤にはシングル盤が多い。アルバムは時間が経って買ったものがほとんどである。これらのアルバムには聴きごたえがある曲がたくさん収録されているが、映画紹介の折、代表的な曲だけしか取り上げなかったので、その他の印象的な曲を紹介する。

 まず、『男と女』である。

 ボサノバ調の主題歌があまりにも有名だが、それよりも個人的に好きな曲が幾つかあった。

 1つは『Plus Fort Que Nous』である。美しいメロディは主人公の揺れる想いを描いたように思われ、実に心にしみた。

 もう1つは『 A L'Ombre De Nous』である。これまた哀愁を帯びたバラードで、冬の荒涼としたドーヴィル海岸(舞台の一つ。ノルマンディ地方)の風景やパリの街が思い出された。

 これらの旋律を聴く度に、フランス語の響きの特性を生かすフランシス・レイの作曲能力はなんとすごいんだろうと思った。

 この作品以降、彼はブレイクし、実にたくさんの優れた映画音楽を残した。67年から70年代の前半までラジオから実によく流れた。特集がしょっちゅう組まれた。

 

 次に映画『卒業』のアルバムである。

 S&Gの初期の作品『四月になれば彼女は』が効果的使われていた。

 

 三番目は『ブルー・ハワイ』である。

 ラストの結婚式で使われたのが『ハワイアン・ウエディング・ソング』である。戦前にハワイの教育者が作ったらしい。

 

 映画もよく、音楽もよかったが、なぜかサントラ盤を買わなかった映画についてふれよう。

 まず『ひまわり』(伊:1970年)である。ヘンリー・マンシーニのこの曲を聴く度に別れのシーンがよみがえる。彼の傑作である。ウクライナのひまわり畑がロケで使われていることもあり、ロシアによるウクライナが侵略されている現在、再び脚光を浴びている。

 『ティファニーで朝食を』(米:1961年)の主題歌『ムーン・リバー』。高校時代に初めて見たが、上京して二度ほど見た。名画座でよく掛かっていた。なお、当時は2本立て、3本立てが当たり前だった。それだけヘップバーンの人気が高かったことの証明である。ヘップバーンのかすれたような歌声が可愛い。『ひまわり』と並ぶマンシーニの代表作である。

 続いて『おもいでの夏』(米:1971年)である。『シェルブールの雨傘』で一躍有名になったフランス人の作曲家ミシェル・ルグラン』の傑作である。引いて行く波を思わせる美しいメロディだ。

 ルグランには『華麗なる賭け』(米:1968年)の主題歌『風のささやき』という名曲もある。原題は「The Windmills Of Your Mind』という。直訳すれば「あなたの心の風車」か。実に誌的な題名だが、『風のささやき』という題名も素晴らしい。この曲の魅力をよく伝えている。

 

  映画はつまらなかったが、音楽はよかったという映画音楽を述べよう。その代表が『ベニスの愛』(伊:1970年)である。

 2つの印象的な曲があり、その一つが『ベニスの愛のテーマ』(S・チプリアーニ)というこの映画のために作られた曲と、もう一つは、主人公のオーボエ奏者が劇中で吹く、イタリア・バロックを代表するA・マルチェッロの『オーボエ協奏曲二短調第2楽章 アダージョ』である。

 前者はサントラのオリジナルより、ポール・モーリアの編曲の方が断然よかった。ラジオからもポール・モーリア版の方がよく流れた。なお、同時期に発売されたフランシス・レイの『ある愛の詩』はこの曲の盗作ではないかと騒がれ、話題を呼んだ。

 後者の曲も、この映画のおかげで、一般人の注目を集めるようになり、ラジオでよく掛かった。

 なお、当時オーボエ奏者の第一人者であったハインツ・ホリガーが来日する際、アルバムの帯に『ベニスの愛』と特筆大書されて販売されていたのもなつかしい思い出である。便乗商法の一例だろう。

 バロック音楽に凝っていた私はこのアルバムを買った(『思い出のバロック音楽』でこのことについてふれた)。『アダージョ』ばかりでなく、その前後の第1,第3楽章もいい曲である。

 

 

   当時私が好きだった映画音楽家を挙げよう。好きだった作品も紹介する。ただし、78年以降の作品は含まれない。

 まず、ニーノ・ロータ(伊:1911ー1979)である。

  

 彼の作品で好きなのは『太陽がいっぱい』、『ジェルソミーナ』(『道』の主題歌)、『ロミオとジュリエット』、『ゴッドファーザー』、『フェリーニのアマルコルド』である。マイナー調のメロディはどこまでも美しい。

 次にヘンリー・マンシーニ(米:1924ー1994)である。

 なんと言っても、『ムーン・リバー』(『ティファニーで朝食を』主題歌)と『ひまわり』である。次に『シャレード』。『ピンクの豹』のような愉快な曲が作れる点も彼が優れた作曲家であることを示している。

 3番目はモーリス・ジャール(仏:1924ー2009)である。

 好きな順に挙げれば、『ドクトル・ジバゴ』、『アラビアのロレンス』、『ロイ・ビーン』、『ライアンの娘』である。巨匠デヴィッド・リーンと組み、大作の音楽に力を発揮した。

 続いてエンニオ・モリコーネ(伊:1928ー2020)である。

 中学時代に『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』が好きになった。マカロニ・ウエスタンで日本では知られるようになった。大学時代に『我が青春のフローレンス』、『勝利への賛歌』(『死刑台のメロディ』挿入歌)が好きだった。 

 そしてミッシェル・ルグラン(仏:1032ー2019)である。

 彼の作品では『シェルブールの雨傘』、『風のささやき』(『華麗なる賭け』の主題歌)、『おもいでの夏』が挙げられる。ピアニッシモのような繊細な詩情あふれるメロディを紡んだ。

 お次はフランシス・レイ(仏:1032ー2018)である。

 一度聴いたら忘れられない感傷的な旋律を次から次へと生み出した。『男と女』、『白い恋人たち』、『雨の訪問者』、『個人教授』、『ある愛の詩』は日本でヒットした。喫茶店でもよく流れた。

 最後はジョン・バリー(英:1033ー2011)である。

 中学時代に007シリーズの編曲や『ゴールド・フィンガー』、『サンダーボール作戦』の主題歌作曲者として知った。『野生のエルザ』も有名だが、『さらばベルリンの灯』(映画は見ていない)が特に好きで、レコードを買った。上京して見た『真夜中のカーボーイ』の音楽も素晴らしかった。

 

 彼らの音楽は我が青春を彩ってくれた。また、心を豊かにしてくれた。ありがとう。

 

                      ――― 終り ―――

 

 次回は和製ポップスの思い出を語ります。