この時期、私は読書中心の生活を送っていた。最後の2年間は通信教育や教員採用試験の勉強に追われていた。

 音楽はバロック音楽やクラシック音楽を主に聴いていた。大体、読書に飽きると、ラジオのスイッチを入れた。

 ただ、バロックやクラシック一辺倒ではなかった。洋楽ポップスも聴いた。中高時代に熱中したので、その魅力は捨てがたかった。バロックやクラシック音楽はNHK—FMで、洋楽ポップスは主にFM東京で聴いた。

 感動した曲や忘れられない曲については、後日レコードで買った。アルバイトで得た金を当てた。

 その種類は、ポップスと映画音楽に大別される。両方の思い出を語るとすると、かなりの量になるので、ここではポップスのみに絞り、映画音楽については別に語る。

 

 それでは時系列に追って行こう。

 

 1971年(大学1年)で思い出すのは、エルトン・ジョンの『Elton John』というアルバムである。

       

ジャケット・表

ジャケット・裏

 まずA面トップに入っている『僕の歌は君の歌』(Your Song)を70年に聴いた時、心にしみ、いい曲だなと感心した。

 『君は護りの天使』、『60才のとき』、『人生の壁』もよかった。メロディがきれいなことと、ハープやストリングスを用いたバロック風アレンジの素晴らしさが私の心をつかんだ。それで大学生になった時、東京でこのアルバムを買い、帰省中よく聴いた。当時高校生になった妹もこのアルバムが好きになった。彼女の音楽傾向は私の影響を受けていた。

 続いて発売されたアルバム数枚は面白くなかったが、73年に発表された『ダニエル』(アルバム『ピアニストを撃つな!』に収録)には魂が揺さぶられた。私は引っ越したばかりの古い木造アパート(東横線学芸大学駅にあった)の窓に腰をかけ、午前の日光を浴び、インスタント・コーヒーを飲みながらタバコをくゆらせていた。その時、この曲がラジオから流れたのである。なんていい曲なんだろう。なんて心を幸せにしてくれる曲なんだろう。今でもこの曲を聴く度に、窓辺に腰をかけ、日光を浴びながら、片手にコーヒーカップ、片手にタバコの姿を思い出す。ただし、このレコードは買ってない。

               

  

 71年に買ったその他のレコードでは、クロスビー、スティルス&ナッシュ(Crosby、Stills&Nash:以下CSNと略す)のアルバム『Crosby、Stills&Nash』が挙げられる。これは69年(高3の時)に発表された。

  翌年(浪人の時)、ニール・ヤングが加わわって、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(Crosby、Stills、Nash&Young:以下CSN&Yと略す)で、『デジャ・ヴ』が出された。

  どちらもすごいアルバムと思ったが、当時は金がなかったり受験勉強のことが頭にあったりして買えなかったので、今回アルバイトで得た金で両方を買った。

 CSN&Yは、デヴィッド・クロスビ―がバーズ、ステファン・スティルスとニール・ヤングがバッファロー・スプリングフィールド、グラハム・ナッシュがホリーズ出身で、当時名付けられたスーパー・グループの1つである。

 『Crosby、Stills&Nash』では、『組曲:青い眼のジュディ』の印象が強烈だった。

 これは生ギターを前面に出したフォークロック風の曲であるが、ギターの音色が聴いたことのないような響きである。後で知ったのだが、オープン・チューニングという弦の張り方をしていたのだ。こんな方法があるんだと驚いたものである。次に、構成である。組曲といくらいだから、変化に富んだ幾つかのパートから成り立っている。アルバムでは7分以上あり、シングルでは4分台に縮小されていた。だが、各パート(4つ)の曲調が飽きないのである。さらにギターを弾いているスティルスのテクニックにも聞きほれた。こんなに生ギターをロック風に弾く奏法は初めてだった。

 変化に富んだ大作と言う点で、66年のビーチ・ボーイズの『グッド・ヴァイブレーション』に続くロックの名曲だと思う。この系譜はレッド・ツッェペリンの『天国への階段』やクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』に繋がっていく。

 この曲をデビューしたばかりのガロがテレビで演奏していた。これは期待できるバンドだと思ったが、歌謡曲路線に走り、自滅してしまった。残念なことである。

 スティルスの他の曲の『どうにもならない望み(Helplessly Hoping)』や『泣くことはないよ(You don't have to cry)』もフォーク調の実にメロディがきれいな曲で、『青い眼のジュディ』も含め彼の紡ぐメロディは私の好みに合っていた。

 他に、ナッシュの軽快なポップ曲『マラケッシュ急行』、クロスビ―の生ギター曲『グウィニヴィア』もよかった。

  

『デジャ・ブ(Deja Vu)』とはフランス語で、既視感という意味である。ここ30年くらいこの言葉は心理学の分野で日本でもよく使われるようになったが、70年の頃は聴きなれない言葉だった。その点この言葉をタイトル名にしたCSN&Yは先駆者である。

 この中では、A面トップにあるスティルスが作った『キャリー・オン』に魅せられた。

 

 ここでもオープンチューニングが用いられていた。ただし、ロック色が強まり、エレキが用いられ、演奏に迫力がある。2部構成からなり、心にしみるメロディ、3人の見事なハーモニーが堪能できる。なお、スティルスの生ギターのオープンチューニング奏法はレッド・ツッェペリンに影響を与えた。

 クロスビーの曲では、『デジャ・ヴ』が光る。深遠性が感じられる。ナッシュの『ティーチ・ユア・チルドレン』と『僕たちの家』はメロディがきれいで一度聴いたら忘れられない。シングル・カットされスマッシュヒットになった。ヤングの『ヘルプレス』と『カントリー・ガール』は、彼おなじみの泣き節で貫かれた曲である。

  CSN&Yにほれ込んだ私はしばらくしてライブアルバム『4Way Street』(2枚組)を買った。

 ここにはスティルスの『愛への賛歌』、ナッシュの『シカゴ』、ヤングの『オハイオ』『サザンマン』が収録されていた。それぞれ、ソロアルバムで発表したものである。すべていい曲なので、これはお得と思い買った。ただ、『青い眼のジュディ』がその一部しか演奏されてなかったり、『キャリー・オン』のオープンチューニングの生ギターがエレキで代用されていたり、『ティーチ・ユア・チルドレン』のスチールギターが使われていなかったりした。オリジナルと違うのは返す返す残念だった。また、売り物のハーモニーも今一つきれいではなかった。さらに当時の録音技術が悪いせいか、音が不鮮明のような感じさえした。したがって肩透かしをくらったような感じがした。

 72年になると、ヤングのソロシングルの『孤独の旅路』が全米1位になった。彼独特の泣き節調の曲であるが、聴いた時、実にいい曲だと思った。

 そして思い切ってこの曲が収録されているアルバム『ハーベスト』(全米1位)を買ってしまった。ただ、どれも似たようなマイナー調の曲ばかりでいただけなかった。

 

 こうみてくると、中高時代、ストーンズ、ビートルズ、ビーチボーイズ大好きだった私が、大学時代の初期はCSN&Yに首ったけだったことが分かる。

  

 71年に買ったアルバムは他にもある。サイモンとガーファンクルの『明日に架ける橋』である。

S&Gは中学時代から好きだったが、高校生の時に見た『卒業』でさらに好きになった。このアルバムは70年に発売された。当時は浪人だったので買う余裕がなかった。表題の曲ばかりでなく、『ボクサー』『コンドルは飛んで行く』『セシリア』も好きだった。

 フォーク系では、ボブ・ディランの初期の傑作『フリーホイリーン』(63年)と『ナシュビル・スカイライン』(69年)を71年から72年にかけて買った。

 中高生の頃、ディランの声や歌唱スタイルを受け付けることができなかったのでレコードを買ったことがなかったが、この頃受容出来たのだろう。

 どちらのアルバムにも私の好きな『北国の少女』が入っている。前者のアルバムには、『風に吹かれて』『くよくよするなよ』などお馴染みの曲が網羅されているが、一番心が揺さぶられたのは『激しい雨が降る』である。

   

                   (ジョニー・キャッシュと共演している)

 

 72年には、ビートルズの『ラバー・ソウル』(65年)と『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド』(67年)を買った。

 中学時代に『ラバー・ソウル』から4曲(『ひとりぼっちのあいつ』『ミッシェル』『ガール』など)チョイスしたEP盤を買ったが、高校時代に売ってしまった。それで今度はアルバムを買ったという訳である。上記以外の曲では、『イン・マイ・ライフ』『ノルウェーの森』が気に入っている。

 『サージェント』はコンセプトアルバムの走りで、音楽評論家の評価が絶大である。私も初めて聴いた時、すごい作品だと思った。つまらない曲が1曲もない。遅まきながら、この度購入した。とりわけ、『シーズ・リーヴィング・ホーム』『Being For The Benefit Of Mr.Kite!』『A Day In The Life』が好きである。

 

 73年で覚えているのは、『レッド・ツッェペリンⅣ』である。

 71年にこのアルバムに収録されている『天国への階段』を聴いた時に感動した。その曲が忘れられずこのアルバムを買った。ただし、心に響いたのは『天国への階段』のみであった。『ブラッグ・ドッグ』や『ロックン・ロール』も今一つ響かなかった。他の曲には退屈した思い出がある。

 

 73年、粟立つような感動を覚えたのは、ジョルジュ・ムスタキの『私の孤独』と『もう遅すぎる(il est trop tard)』をラジオで聴いた時である。品のある美しいメロディ。フランス語の響き。力を抜いたような歌唱法。三位一体の魅力は私の心をさわやかにした。

 この曲が入っているアルバム『異国の人』を買いたいと思った。

 お札を握りしめ、学芸大学駅前西口にあった小さなレコード店に行くと、ガラス戸に『異国の人』のジャケットのポスターが張ってある。若い店主が、「今、ムスタキが注目を浴びつつあります。きっと流行ります。お客さん、センスがいいですね」と私をほめてくれた。

 帰省して聴いた時、再び心が揺さぶられた。つまらない曲が一つも入ってなかった。このアルバムは、春から夏にかけて聴くと、「生きているとはすばらしいことだ」と思わせてくれる。

 それから何年過ぎただろう、社会人になってから上京した際、神田の古レコード店で、『私の孤独』や『もう遅すぎる』が収録されている楽譜集を見つけた。当時ギターを再開していたので、これは掘り出し物と思って購入した。

 ムスタキ同様、フランスのイージーリスニグ・オーケストラのポール・モーリアのベストアルバム『ベスト・アプローズ・ポール・モーリア』(2枚組)も買った。『エーゲ海の真珠』など初期の代表作が網羅されている。

『恋はみずいろ』を高校時代に聴いて以来好きになったのだが、さらに好きになったのは『ジェット・ストリーム』の影響だろう。この中で特に好きなのは『黒いワシ』である。女性シャンソン歌手のバルバラが作った曲である。何度聴いても飽きない。

 

 私の同郷の友がジャズ好きで、彼の下宿に行くと、コルトレーンの『マイ・フェヴァリット・シングス』を聴かされた。素晴らしい演奏だと思ったが、レコードを買うまでには至らなかった。彼の誘いで、自由が丘のジャズ喫茶『ピット・イン』に行ったこともある。この影響もあり、あまりジャズが好きでなかった私も少しは聴くようになった。そんな中で買ったのが、チック・コリアのアルバム『ライト・アズ・ア・フェザー』である。ただ、この曲と『スペイン』(アランフェス協奏曲をモチーフにしている)がよかっただけで、他の曲には引かれなかった。

 

 74年に買ったレコードは、まずブレッドの『ブレッド・スーパーデラックス』が挙げられる。

 その一か月前のことだろうか、私は川越出身の友S君と川越郊外をドライブしていた。免許を取ったS君が実家にある車に私を乗せてくれたのだ。夕べの荒川が黄昏に包まれ、秩父連山が色濃くなり始めた頃、彼がカー・ラジオのスイッチを入れた。美しいメロディのバラードが流れて来た。以前どこかで聴いたことがある。歌っている男性シンガーの声から、アメリカのソフトロックのバンド「ブレッド」であることはすぐ分かった。代表曲の『イフ』や『二人の架け橋』を聴いていたからである。私の予想通り終了後、解説者もブレッドの名を口にした。しかしこの曲の題名は語らなかった。

 感傷的で甘酸っぱく、この曲の魅力は実に窓外の景色にマッチし、私をロマンチックな気分にさせた。

 帰宅後、音楽雑誌『FM-fan』で調べたが、分からずじまいだった。ただ、どうしても忘れられず、ブレッドのベスト盤を買うことにした。ベスト盤なら収録されているだろうと思ったのだ。

 ところが、この曲が入ってなかった。私はショックを受けた。それからどのくらいたっただろうか。私が探していた曲がついに分かった。ラジオをたまたまかけたら、探していた曲が流れたのだ。『オーブレー』という曲だった。

 感動した曲は、出来るだけレコードを買うことにしていたが、この『オーブレー』はエルトン・ジョンの『ダニエル』と並んで購入しなかった、いや、当時金が無くなったとか何等かの事情があったのだろう。

 この『スーパー・デラックス』は『オーブレー』が入ってなくても、聞きごたえのある曲が詰まっている。ソフトロックが好きな人には絶好のLPだと確信している。

 ブレッドの素晴らしさを、西洋ポップス好きの友人KM君に熱く語ったらしい。私は忘れてしまったのだが、彼は覚えていて、約半世紀が過ぎた今でも話題にしてくれている。

 

 75年、ブレッドと似たような傾向のバンド、ビージーズのBEST盤を買った。『マイワールド・ベストコレクション』という

2枚組のアルバムである。

 デビューから72年のヒット曲『マイ・ワールド』までが収められてある。

 67年、私が高1の時、ビージーズが登場した。その頃はよく聴いたが、その甘い路線について行けず、以降聞かなくなった。ところが大学生活の後半になってから彼らの甘い歌声が妙になつかしくなった。背景に映画『小さな恋のメロディ』の影響があるだろう。このアルバムに映画で使われた多くの曲が入っていたことも購入した理由である。

 

 

 英米のポップスばかりでなく、フランスのポップスも聴いた。当時、フレンチ・ポップスと呼ばれていた。オーソドックスなシャンソンとはやや違う。大きな意味で言えば、上記のムスタキ、ポール・モーリアやレイモンド・ルフェーブル等のイージーリスニング・ミュージック、フランス映画音楽(フランシス・レイなど)も含まれるだろう。

 フレンチ・ポップスには、一度聴いたらとりこになるメロディの曲がけっこうある。その1つにダリダとアラン・ドロンのデュエット曲『あまい囁き』がある。ダリダの歌とドロンのセリフの見事な相乗効果。フランス語だから洒落た曲に仕上がった。これはリアル・タイムで買った。

 76年にはミレイユ・マチューのBEST盤『ゴールデン・アワー・ミレイユ・マチュー第2集』を買った。

 この中にフランス映画『男と女の詩』(クロード・ルルーシュ監督、フランシス・レイ音楽、リノ・ヴァンチュラ及びフランソワーズ・ファビアン主演)の主題歌『La Bonne Annee』が収録されていたからである。

 「フランス映画の思い出」の記事で語ったが、74年にその映画を見た。マチューが歌う素晴らしい主題歌が耳から離れなかった。それでこの曲が入っているベスト盤を待っていたのである。

 彼女は舌を使い、喉を震わせ、うなるような歌唱をする。腹の底から声が噴出するので肉体が楽器のようだ。その割には太ってない。シャンソンの後継者である一方、その域を超えているように思われた。

 『男と女の詩』以外に『モン・パリ』、『北の北には』など聞きごたえのある曲が満載されている。

 

 この時期の音楽を概観したら、次のことが判明した。

  ハード・ロックをあまり聞かない。

  メロディアスな曲が多い。読書中心の生活だったので、脳の疲れを取る曲を好んだのだろう。

  70年代に発売されたストーンズのアルバムを買ってない。

  レコードはリアルタイムで買うより、好きだった曲を後日金銭的に余裕が出来た時に買うパターンが多かった。

 

                      ――― 終 り ―――

 

※次回は映画音楽の思い出について語ります。