青春時代に見たアメリカ映画を好きな俳優で振り返ったが、他にも忘れられない作品がたくさんある。ただ、私が映画に熱中したのは71年から74年までの間であった。75年以降から名画座に足を運ばなくなり、77年にいたっては数える限りしか行かなかった。したがって同時代の作品でも75年以降に公開された作品は全く見ていない。

 ここでは同時代の作品と、往年の名画とに分けてみる。

 

 第1部は同時代の作品である。

 まず、学生運動を題材にした映画から始めよう。

 60年代後半から70年代初頭にかけて西側民主主義国において学生運動が盛んになった。一言で言えば、若者の反乱である。映画が世相の反映である以上、それを題材にした映画が作られた。その代表が『いちご白書』と『...YOU...』である。ニューシネマの特長は既成文化や価値観に異議申し立てである。ゆえにこの2作品もニューシネマの範ちゅうに入るのだが、『卒業』や『明日に向かって撃て!』『真夜中のカーボーイ』に較べると見劣りした。作品の完成度が今一つなのである。

 『いちご白書』(70年)は学生運動の内実をシリアスにとらえた内容ではなく、その運動を通して恋愛や音楽に目覚める主人公の行動に主眼を置いた「青春」ものである。したがって甘さと幼さが感じられ、感動はしなかった。ただ、用いられた音楽はよかった。バフィ・セント=メリーが歌う主題歌『サークル・ゲーム』(ジョニ・ミッチェル作)を初め、私が当時好きだったCSN&Yの『アワ・ハウス』、ニール・ヤングの『ローナー』、ジョン・レノンの『平和を我等に』が網羅されていたからである。

 

 『...YOU...』(70年)はキャンディス・バーゲンとエリオット・グールド主演の映画である。

 『MASH』でグールドのファンになった私はこの映画を期待しにして見に行った。『MASH』での役が強烈過ぎたために、この映画のグールドは物足りなかった。ただ、『いちご白書』よりこちらの方が映画としての出来はよかった。キャンディス・バーゲンは当時のアメリカ人女優の中でキャサリン・ロスと人気を二分していた。

 主題歌『ゲッティング・ストレート』がよい。

 

 既成の価値観に対する疑問は西部劇にも現れた。白人史観に準拠して作られた今までの西部劇の中には先住民(インディアン)が悪者で騎兵隊が正義の味方という図式が見られた。これを否定したのである。その代表が前回紹介した『小さな巨人』であり、『ソルジャー・ブルー』(70年)である。

 映画自体の完成度はそれほど高いとは言えないが、問題提起した事実は映画史に残ると思った。主演はキャンディス・バーゲンである。

 この動きの一環として現れたのだろうか、インディアンという呼称を止めてネイティブ・アメリカンという呼び方に広まって来た。

 

 この流れに属するのだろう、アメリカの歴史や政治を批判した秀逸な映画があった。

『ジョニーは戦場へ行った』(73年:ダルトン・トランボ)はその1つである。ジョニーは戦争で両腕と両脚を失い、さらに五感も働かずベッドに寝ている身だが、意識だけはある。彼は「殺してくれ」とだけモールス信号で周囲の人に意志表示をする。戦争の悲惨さが画面から伝わって来た。アメリカ映画の良心が感ぜられる映画である。監督のトランボは50年代の赤狩りでハリウッドを追われたが、偽名で『ローマの休日』の脚本を書いた。

 

 青春を主題にした映画で心にしみる作品があった。

 まず、ニューシネマ系としては『さよならコロンバス』(69年)が挙げられる。将来への展望がない図書館職員の主人公と金持ちの女子大生の恋愛。最初はうまく行ったが、異なる宗教、セックスに対する考え方の違いが表面化したり、女子大生の家族の反対にあったりして、最終的には破局を迎える。

 文学青年の主人公を女子大生の兄(体育系大学生)が馬鹿にする場面が面白かった。自分を見ているような気がした。古今東西、軟弱な男の子はもてないのだ。

 この映画と反対に、金持ち(富豪)の若者と庶民の女子大生の恋愛を描いた映画が『ある愛の詩』(70年)である。主演は『さよならコロンバス』のアリー・マックグロウ。この映画で彼女は一躍知られた。

 二人は困難を乗り越えて結婚するが、彼女は不治の病にかかり、亡くなってしまう。これまた、古今東西の芸術作品によく見られる主題である。日本で有名なのが『野菊の墓』だろう。

 世の子女の紅涙を絞り、大ヒットしたが、作品は通俗に終わらなかった。家族の反対を押し切って彼女と結婚した男の行動力はさすがアメリカと思われた。

 音楽は当時人気絶頂だったフランス人音楽家のフランシス・レイ。主題歌が大ヒットした。

 

 レイの大先輩であるミッシェル・ルグランに音楽を担当させて作られたのが『おもいでの夏』(71年)である。

 ルグランのメロディは遠ざかって行く引き潮のように美しい。

  少年3人組、年上の女性への憧れ。ひと夏の経験(童貞喪失)。この種の映画は古今東西けっこう多い。題名は忘れたが、似たような作品を何本か見た。

 戦時中の出来事を回想するという視点で作られているので画面映像を朦朧体風にしている。その結果過去の雰囲気が醸し出され、またルグランの音楽も貢献していた。

 

 時は移り、60年代初頭のカリフォルニアの田舎町に舞台を移して作られたのが『アメリカン・グラフィティ』(73年:ジョージ・ルーカス)である。

 

 アメリカは豊かになり、高校生は車と音楽と女の子に夢中だった。高校卒業した男の子たちの夏の一夜が描かれている。アメリカのポップスとラジオが好きな若者(その代表が作家の村上春樹)にとってはたまらない作品だっただろう。

 この作品は、やがて『スター・ウォーズ』で大物になるルーカスの出世作になった。

  

  青春映画であり、ヒューマニズムドラマでもある作品で心に残った映画があった。一つは『ひとりぼっちの青春』(69年:シドニー・ポラック)で、もう一つは『ラスト・ショー』(71年:ピーター・ボグダノヴィッチ)である。

 若者の悩みを描き、映像の背後で人生の意味を問いていた。当然シリアスな内容なのでやや退屈さは免れない。終了後心の中を冷たい風が吹き抜けていくような感じさえする。

 ポラック監督は他に私の好きな『大いなる勇者』と『追憶』を監督した。

 『ラスト・ショー』はある意味ではアメリカ版『ニューシネマ・パラダイス』だろう。

  ヒューマニズムドラマといえば、『スケアクロウ』(73年)も忘れられない。一種のロード・ムービーだが、男の友情を主題にし、片方に悲劇(本作では精神錯乱)が生じる点で『真夜中のカーボーイ』と同じ構図だった。ジーン・ハックマンが庶民階級の中年を好演していた。これもニューシネマに数えられる。

 次に紹介する映画はなんのジャンルに属するのだろう。スリの集団を描いた以上、犯罪映画であるが、それにとどまらなかった。一人の若者が成長するという点で青春物語になり、年上の男と青年との友情の物語でもあった。

 それは、『黄金の指』(1973年)である。ヒット作ではないが、キネマ旬報ベスト10に入った良品である。玄人映画ファン好みの映画かもしれない。

 主演は私の好きなジェームズ・コバーン。副主人公は若いマイケル・サラザン。若いマイケルを助けるためにコバーンが警察に捕まるラスト・シーンや、 船にまとわるカモメにエサを放り投げる詩情にあふれたシーンが印象的である。

 

 70年代前半に話題を呼んだジャンルがある。その一つがパニック映画である。事故に遭遇した人々の混乱を描いたもので、代表は、『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)と『タワーリング・インフェルノ』(74年)である。後者については前回ふれた。

 『ポセイドン・アドベンチャー』は津波の襲われ、沈没しそうな大型客船から脱出する物語である。はらはらどきどきしする内容に満足したが、感動はしなかった。脱出のリーダ―となる牧師の説教が面白かった。その役を演じたのはジーン・ハックマンである。

(ジーン・ハックマン)

 彼は『俺たちに明日はない』のわき役として光ったが、『フレンチ・コネクション』(71年:ウィリアム・フリードキン)で見事第44回アカデミー主演男優賞に輝いた。彼はこれ以降、作品に恵まれた。

 本作もアカデミー作品賞に輝いた。刑事映画としてよく出来ており、観客を飽きさせない場面展開に満足したが、これが果たして作品賞に該当する作品かどうか疑問に思った。

 

 しかし、70年代前半で最も話題を呼び、質的にも優れ、興行的にも成功した映画は、何と言っても、『ゴッドファーザー』(72年)であった。

 長編小説を読むような重厚な作品で、ストーリー、演技、演出、音楽など映画の要素が見事に調和していた。組織の内実、組織間の抗争、恋愛、家庭の問題がリアルに描かれていた。マフィアの暗黒さを象徴しているかのような黒を基調とした画面構成は素晴らしかった。

 主演のマーロン・ブランドの存在感は圧倒的である。

 アル・パシーノもこの映画からスターの階段を上り始めた。音楽は巨匠ニーノ・ロータ。メイン・テーマは今でも耳に残っている。ラブ・テーマも大ヒットした。

 この後、マフィア映画が続々と作られた。

 

 オカルト映画も話題を呼んだ。中でも『フレンチ・コネクション』で一躍有名になったウィリアム・フリードキン監督が73年に作った『エクソシスト』は反響を呼んだ。

 オカルト映画は不気味さと超常現象を売り物にした娯楽作品が多かったが、『エクソシスト』は、人間という存在の不思議さを追求した奥深い映画だった。日本では74年に公開されたが、私は名画座に下りて来た75年に見た。

 時間は遡るが、『ローズマリーの赤ちゃん』(68年:ロマン・ポランスキー)もオカルト映画の走りのような作品だった。

 私は公開後5年ほど経って見た。悪魔に犯されるという発想がユニークな上に、最後まで観客を引っ張て行く力がある作品だった。確か自由が丘劇場で見たと思う。ミア・ファーローの演技が光り、ラストシーンのどんでん返しが驚かされた。

 監督のロマン・ポランスキーはポーランド生まれのユダヤ人で、母親はアウシュビッツで虐殺された。この後、『チャイナタウン』、『テス』、『戦場のピアニスト』を撮り、名監督になった。

 マフィア映画、パニック映画同様、オカルト映画も次々に作られた。 

 

 オカルト映画やホラー映画ではないが、不気味さと怖さの点で忘れられない作品があった。『脱出』(72年)である。『真夜中のカーボーイ』のジョン・ボイトが主演した。

 人間の獣性や醜悪さを追求した点で優れた映画に仕上がっていた。ショッキングなシーンがあるので子どもは見られないだろう。男の臭いがぷんぷんするバート・レイノルズの存在が目立った。山中に住むプア・ホワイトの子ども(障がいがある)が弾くバンジョー(『Deuling banjos』という曲)のシーンも妙に印象に残った。

 

 男臭い映画と言えば、『北国の帝王』(73年)も特筆に値する。1930年代の不況のアメリカで、職を求めて貨物列車の無賃乗車をするホーボーと呼ばれる浮浪者がいた。その中にA-1と呼ばれるホーボーのレジェンドがいた。このA-1と無賃乗車を許さない鬼のような名物車掌との闘いがこの映画である。A-1役のリー・マービンと車掌役のアーネスト・ボーグナインの死闘は観客をスクリーンにくぎ付けにさせた。

 この作品がただのアクション映画に終わなかったのは、時代背景をきちんと押さえ、両者の人間性をしっかりと描いたからだろう。リー・マービンも私の好きは俳優である。


 ハリウッドはSF映画をよく作る。私はあまり好きでないが、『猿の惑星』(68年)と『2001年宇宙の旅』(68年:スタンリー・キューブリック監督)には興味を持った。

 どちらも高校生の時に公開されたが、私は上京してから見た。

 SF映画の名作は発想とストーリーがとにかくユニークである。『猿の惑星』の方が娯楽性が強く、最後のどんでん返しは見事であった。

 『2001年宇宙への旅』は観客に思考を要求する、ある種の哲学的な映画であった。鬼才キューブリックならではの映画である。

 初めのシーンで類人猿が武器として使う動物の骨が、未来の人間が操るコンピュータにつながり、そのコンピュータがやがて人間の命令に背くというストーリーに驚かされた。謎の石板の存在が圧倒的。これは果たして何か、見ただけでは分からなかった。ただ、木星への旅から画面に起伏がなくなるので退屈したが、映画史に残るような名作であることは間違いない。

 リヒャルト・シュトラウスの『ツラスツトラはかく語りき』を初め、クラシックの名曲が使われているが、これが映像とまた合うのである。やはりクラシックは偉大なり。

 次の作品もキューブリックである。『時計じかけのオレンジ』(71年)で、一種のSFである。

 近未来の不良青年たちの生態を描くことで人間の持つ醜悪さを浮き彫りにさせた。映像が独特で、不気味なトーンが最後まで続いた。

  

 高校時代、『サウンド・オブ・ミュージック』や『南太平洋』で私はミュージカルが好きになったが、大学生になるとミュージカル映画にあまり興味が湧かなくなった。その中で印象に残ったのは『屋根の上のバイオリン弾き』(71年)と『ジーザス・クライスト・スーパースター』(73年)である。

 両作共、『華麗なる賭け』の監督ノーマン・ジュイソンの作である。

 どちらかと言えば、『屋根』の方が面白かった。帝政ロシアの歴史に関心があったからだろう。ユダヤ人農民の哀歓に共感した。ミュージカルである以上、音楽やダンスの場面に魅力がなければならない。主題歌の『サンライズ・サンセット』がいつまでも耳に残った。

 『ジーザス』は『ヘアー』と同じロック・ミュージカルである。おなじみの曲が幾つかあったが、長々と続くダンス・シーンには辟易した。

 

 最後に洋楽好きの私が見た音楽映画を幾つかご紹介しよう。

 まず、『アリスのレストラン』(69年:アーサー・ペン監督)である。これは伝説のフォーク歌手ウッディ・ガスリーの息子アロー・ガスリーが主演したコメディ風青春映画である。ピート・シーガ―がゲスト出演し、監督が『俺たちに明日はない』のペンなので興味をそそられた。

 『ウッド・ストック』(70年)やローリング・ストーンズのアメリカコンサートの記録映画『ギミー・シェルター』(70年)も見た。

 主題歌『ウッドストック』をCSN&Yが歌っていた。

  ただ、『ウッドストック』も『ギミーシェルター』も今一つ面白くなかった。これらを72、3年の頃見たのだが、その頃私はクラッシク音楽に入れ込んでいたせいかもしれない。

 

                        ――― 続く ―――