第4番目は、ダスティン・ホフマンである。

 彼はデビュー作の『卒業』(67年)で一躍スターになった。日本でも大ヒットし、私も高校生の時に見た。この思い出については、『我が懐かしき映画・高校編』の記事でふれた。

 彼はハンサムではなく、小柄であり、金髪碧眼の持ち主ではない。人気スターとしての条件を全く持ってない。近所のお兄さんといった感じの風貌で、見かけても目立たないだろう。

 したがって、外見ではなく、演技力で人気のある俳優だった。だからどちらかと言えば、女性より男性に、一般客より映画通に、ブルーカラー層よりインテリ層にファンが多かった。

 私も彼の演技力に魅了された一人である。

 彼は、年に1、2本の映画にしか出演しなかったが、ほとんどの作品が日本で公開され、それらの大半を私は見た。

 時系列に列記すると、以下のようになる。

 『真夜中のカウボーイ』(69年)

 『ジョンとメリー』(同)

 『小さな巨人』(70年)

 『わらの犬』(71年)

 『アルフレード、アルフレード』(72年)

 『パピヨン』(73年)

 ただ、76年に公開された『大統領の陰謀』は見ていない。

 

 監督はスティーブ・マックイーン主演の『ブリット』を撮ったピーター・イエーツ。相手役は個性派女優のミア・ファーロー。豪華人の組み合わせ。ただ感動はしなかった。したがって内容は覚えていない。

 監督は『ゲッタウエイ』のサム・ペキンパー。暴力シーンに迫力があった。

 このコメディは『イタリア映画の思い出』でふれた。

 いずれも上質の作品であり、彼の演技力は光っていた。彼は多彩な役を見事にこなし、後に大スターになった。

 この中で私が最も感動したのは、『真夜中のカーボーイ』(ジョン・シュレンシンジャー監督)である。

 一言で言えば、男同士の友情を描いた作品である。

 内容はこうである。

 カウボーイ気取りのテキサスの青年ジョー(ジョン・ボイト)はニューヨークに行き、金持ちの女性の性の相手をして一儲けしようとたくらむ。この発想が面白い。私も田舎者なので彼の気持ちは分かる。

 しかし、当たり前だが、うまく行かない。そんな時、ジョーはスラム街に住むホームレスのような男ラッツォ(ダスティン・ホフマン)と知り合う。その名の通り、ネズミのように薄汚く、そのうえ片足に障害がある小男である。ラッツォはジョーをだまそうとするが、見破られ、罪滅ぼしにジョーの女探しに協力する。

 ラッツォの部屋で共同生活をするうちにジョーはラッツォが病魔におかされていることを知る。ラッツォはフロリダで暮らすことを夢見る。彼の願いをかなえるためにジョーは奮闘し、長距離バスの切符を手に入れる。

 彼の友情が最大限に発揮されるのは、長距離バスの中で小便を漏らしたラッツォのために半袖シャツを買う場面である。その時、ジョーはラッツォの衣服と自分のカウボーイ衣装をゴミ箱に捨てた。この動作は象徴的な意味を持つ。彼もカウボーイに別れを告げたのだ。

 しかしラッツォは力を失くしていた。バスの中でジョーはラッツォに向かって独り言のように話し続けるが、いつの間にかラッツォは息を引き取っていた。このくラストシーンは涙なしに見られない。

 ホフマンがラッツォの役を見事に演じていた。片足を引きずりながらニューヨークの街をさまよい、都会での孤独と、敗者の悲惨さを見事に表現した。

 映像は大都会が敗者にとって残酷であることを観客に突きつける。

 私は自分を振り返えらざるを得なかった。私もジョーと同じく、大都会での成功を夢見て上京したのだが、そんな私に父は、「成功するのも東京。駄目になるのも東京」と口酸っぱく言った。

 私は聞き流したが、アルバイトをしながら学生生活を送っていくうち、父の話は的を突いていることを知った。都会で暮らすのには、金が十分にないと大変であることが身に染みた。

 生活が保障される職業に就き、心身共に健康でなければ、落ちこぼれる可能性がある。一歩間違えれば私だってラッツォになってしまう。

 私はこの映画を大学合格直後に見たのだが、パンチをくらわされたような衝撃を受けた。自分の未来を暗示してしているかもしれないとも思った。

 ジョーとラッツォがフロリダに向かうシーンでは、イソップ寓話の『田舎のネズミと町のネズミ』を思い出した。大都会で暮らせないのなら、地方に移るのがベターな選択である。

 本作がアカデミー賞作品賞に輝いたのは当然である。ホフマンが主演男優賞を取ってもおかしくなかった。くれぐれも残念だった。

 音楽も素晴らしい。007で有名なジョン・バリーである。ハーモニカによるテーマ曲は哀切極まりない。

 ニルソンの歌う主題歌『うわさの男』もよかった。

 何年か後、アルバイトで得たお金でこのサントラ盤LPを買った。

 

 

 第5番目はピーター・フォンダである

 彼は『イージー・ライダー』(69年:デニス・ホッパー監督)の制作・主演で一躍アメリカン・ニューシネマのヒーローになった。

 この映画は、『卒業』、『俺たちに明日はない』、『明日に向かって撃て!』、『真夜中のカーボーイ』と並ぶニューシネマの名作である。当然この映画も西側諸国の青年に大きなインパクトを与えた。もしかすると衝撃度では一番だったかもしれない。

 私は浪人時代(70年)は受験勉強のために映画鑑賞を封印した。合格した71年、その反動で映画を見まくった。憧れの東京には名画座がたくさんあり、私が見たい映画がどこかで上映されていた。

 本作も、『明日に向かって撃て!』や『真夜中のカーボーイ』と同じく71年に見た。

 これは反体制的な若者二人が変形ハンドルの大型バイクにまたっがてカリフォルニアからニューオーリンズまで旅に出る物語で、途中様々な人に出会い、彼らと交流する。

 西部と南部。都市と農村。リベラルと保守。戦争と反戦などの相反する価値を取り込み、ヒッピーコミューンやドッラク文化にも触れ、60年代末のアメリカの世相がよく描かれていた。

 フォンダのヘルメット、バイク、革ジャンにアメリカ国旗の模様が描描かれているのは意味深い。皮肉を込めているのだろう。

  映画で重要な役割を果たしている道具がバイクとロック音楽である。フォンダが乗る変形ハンドルのバイクは瞬く間に人気が出た。

 ロック音楽が多く使われ、中でもステッペン・ウルフの『ワイルドでいこう!』の印象が強い。この曲はバイクのエンジン音と見事に調和した。この曲が流れ出した瞬間クレジットタイトルが現れた。実に絶妙なタイミングだった。今から旅に出るぞという二人のうれしさを見事に表現した。

 その他の曲では、ザ・バンドの名曲『ザ・ウエイト』が印象的である。このミディアムテンポのカントリー風ロックをBGMに、赤茶けた自然の中を、髪をなびかせ、気ままに走るシーンは旅情をかきたてる。

 エンドロールに流れるロジャー・マッギン(ザ・バーズのリーダー)の『イージー・ライダーのバラード』も佳曲である。

  なおラストシーンで二人は保守的な農夫によって射殺される。異質な者を排除するという当時の差別主義者の蛮行なのだが、昔に遡るほど、田舎に行くほど、差別は根強かった。アメリカの若者に希望がないことを暗示したようなシーンだった。

 下の動画はそのシーンである。最後に『イージー・ライダーのバラード』が流れる。

 

 フォンダはこの後、『さすらいのカウボーイ』(71年)を作った。監督と主演を兼ねている。

 地味なために日本でヒットしなかったが、キネマ旬報ベスト10に選ばれたくらいの良質な名作に仕上がった。当然映画ファンに受けがよかった。私にとっても心に残る一作になった。

 何年か前にNHKBSプレミアムで放映された。このような隠れた名画を取り上げたNHKのスタッフの慧眼に私は感謝した。

 カウボーイの孤独と友情、家族、放浪が丁寧に描かれている。とにかくアメリカの男は放浪が好きなのだ。見終わった時、友情とは何か。家族とは何かを考えさせられた。明確な主題が本作を貫く背骨になっていた。

 この作品のもう一つの良さがカメラワークである。冒頭の河で泳ぐ場面、川面のきらめき、馬で河を渡る場面をスローモーションで美しく撮影し、カウボーイの心情を間接的に表現した。朝焼けや夕陽、砂の紋様、綿毛が飛ぶ森などの自然描写にも詩情があふれていた。

 その効果を音楽が高めていた。ブルース・ラングホーン(日本では無名。フォーク系の歌手)の控え目で、スローなカントリー調の曲が作風に合致している。

 この相互作用により、映画の中を時間がゆっくりと流れている。

 台詞を多用せず、映像美と音楽で主人公たちの心情を表現する方法はクロード・ルルーシュと似ている。フォンダは彼から影響を受けているのだろうか。

 最終近く、悪漢に捕らわれた親友を救うために妻を振り切って出掛ける場面から物語は山場を迎える。西部劇でのおなじみの銃撃シーンが登場する。しかし、主人公のフォンダは死に、親友は無事助かる。彼の死を知らせるために親友が家を訪れるラストシーンは胸に響く。台詞を入れないで、遠くから写し、観客の想像にゆだねさせる。余韻が残る手法である。

 親友役の個性派俳優のウォーレン・オーツがいい味を出していた。

  この映画も『ロイ・ビーン』と同じく、全編が無料公開されていた。興味のある方は以下の動画をクリックしてください。

 私はこの映画を3年生の時に仲良くなったKM君に推薦した。私が彼の下宿で熱弁を振るったせいだろうか、彼はどこかの名画座に見に行った。後日、彼から感動したという報告を聞き、うれしかった。推した甲斐があったと思った。

 この作品をその後何回見ただろう。80年代に入り、ビデオ・テープの時代になると、レンタルして借りて見た。また、たまたまテレビで放映された時には録画して見た。90年代まで続いただろうか。

 私はこれら2つの作品でピーターの監督及び制作者としての力量にうなされた。これからますます活躍する監督になると期待したが、そうは行かなかった。役者としても大成したとは言い切れない。

 私は、『ふたり』という現代劇を見たが、感心しなかった。

 しかし『イージー・ライダー』一本で映画史に名をとどめたことは事実である。

 

 最後はクリント・イーストウッドである。

 高校生の時、『荒野の用心棒』や『夕陽のガンマン』を見てイースト・ウッドのファンになったが、その後彼の映画は見なくなった。『荒野の用心棒』のイメージが強かったことと、私の関心を抱く出演作がなかったからである。

 彼はマカロニ・ウエスタンで一躍有名になり、ハリウッドからお呼びがかかったが、作品には恵まれなかったと言えよう。

 その不遇から脱皮出来たのは、刑事映画『ダーティ・ハリー』のお陰である。マックウイーンが『ブリット』で新境地を開いたのと全く同じである。奇しくもどちらもサンフランシスコ警察署の刑事だった。

 私がこの作品を見たのは、73年頃だったと思われる。前評判がよかったので期待して見に行ったところ、裏切られなかった。

 銃撃シーンに迫力があり、極端な言い方をすれば西部劇のガンマンが現代によみがえったような作品だが、これまた『ブリット』同様、それで終わらなかった。主人公のキャラクターを徹底的にユニークにさせたからである。悪を懲らしめるためには組織と規律を時に無視し、冷酷というより冷徹で、マックウイーンほど素早くは動けないが、身近にいそうな中年のヒーローだった。それが観客に受けたのだと思われる。

 この映画はヒットしたため、シリーズ化された。しかしアクションシーンに重きを置きすぎために勧善懲悪的娯楽作品と化した。「2」や「3」も見たが、つまらなかった。

 しかし、イーストウッドはこれで終わらなかった。監督業に乗り出したり、様々な役に挑戦したりして、大スターになった。ただ、それは私が社会人として仕事に精励していた80年代以降の話である。仕事が忙しかったことや、田舎に住んでいたこともあり、私はもう映画に熱中しなくなっていた。

 

                         ――― 続く ―――