一か月ぶりにブログを書く。諸事情があって、執筆できなかった。私は、量が少ない記事を頻繁に書くタイプではない。回数は少ないが、量が多い記事を書く方である。考えていることや言いたいことをまとめて書くからである。

 さて、今回はアメリカ映画の思い出である。本数から言えば、アメリカ映画が一番多く見た。ただし、その実は玉石混交である。前の記事で語ったが、私が取り上げるのは、心に残った映画すなわち我が人生に小さな足跡を残してくれた映画である。

 これらを制作した監督、俳優、関係者には感謝している。

 1971から77年までの間、すなわち我が青春時代(私の場合、人より長かった。正式に就職するまでの期間)に見たアメリカ映画の特長を一言で述べれば、「アメリカン・ニューシネマ(映画評論家が名付けた)の時代」だろう。

 その先駆けは、『俺たちに明日はない』(67年)と『卒業』(67年)である。これからニューシネマが始まった。それは70年代前半くらいまで続いただろうか。

 その背景に、アメリカで発生したベトナム戦争反対や大学紛争という政治的事件、ヒッピーの出現という文化的現象がある。これらの主役は若者だった。それはたちまちヨーロッパ、カナダ、オセアニア、日本など先進民主主義国に及んだ。豊かな国の若者が一斉に「怒れる若者」に変身した。

 その時期に私は高校生から大学生になったので、この渦に巻き込まれ、ニューシネマの影響をもろにかぶった。

 上記の2作は高校時代に見たが、それ以外のニューシネマの名作は卒業後に上京した東京で見た。金がなかったのですべて名画座で鑑賞した。

 羅列してみると、『明日に向かって撃て』、『イージー・ライダー』、『真夜中のカウボーイ』、『マッシュ』、『小さな巨人』、『いちご白書』、『スケアクロウ』、『時計仕掛けのオレンジ』等があるが、他にもまだまだある。

 それらをすべてここで紹介することが出来ないので、絞ることにする。その際、取り上げる基準に好きな映画俳優を持って来た。

 ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、スティ―ブ・マックイーン、ダスティン・ホフマン、 ピーター・フォンダ、クリント・イーストウッドの6人である。

 彼らは、私のヒーローといえる存在だった。当然、当時公開された彼らの作品に心をときめかせた。

 

 まずポール・ニューマンである。

 私が彼にひかれたのは『明日に向かって撃て!』(69年:ジョージ・ロイ・ヒル監督)である。

 それまで彼の作品は、『太陽の中の対決』や『暴力脱獄』しか見たことがなかった。高校生の時に見たのだが、それほど面白くなかった。しかし彼の鋭く、やや知的な青い瞳は強い印象を残した。彼は目で演技をする俳優だと思った。

 『明日に向かって撃て!』に私はすごく感動した。主題、ストーリー、キャラクター、セリフ、映像美、音楽を見事に融合した傑作である。西部劇の娯楽作品だが、喜劇と悲劇をうまく取り入れている。

  主人公のニューマンとレッドフォードは最後死んでしまう。それを暗示するためにストップ・モーションを用いた演出は見事である。深い余韻を観客に残した。

 ニューマンがキャサリン・ロスと自転車に乗って戯れるシーンは詩情にあふれている。主題歌『雨にぬれても』がその効果を十分に高めていた。

 その他、全編で流れるバート・バカラックの多様なBGMは最高である。後日サントラ盤のLPを買ってしまった。

 本作フランス映画『冒険者たち』と似通っているということは、本作が『冒険者たち』の影響を受けたのだろう。

 なお、主人公の「死」はニューシネマの特長である。『俺たちに明日はない』、『イージー・ライダー』、『真夜中のカウボーイ』にも当てはまる。

 当時のアメリカには徴兵制があり、若者はベトナム戦争に送り込まれる運命を強いられた。だが、ベトナムで戦うことがアメリカを守るというスローガンに若者の多くは疑問を抱いた。彼らのやるせなさや怒りがこれらの作品の底流になっている。逆にそれだからこそ、これらの映画は支持された。

 

 続いて、彼の映画で感動したのは、『ロイ・ビーン』(72年:ジョン・ヒューストン監督)である。

 実在の人物をモデルにした娯楽映画的西部劇である。ニューマンの魅力がいかんなく発揮され、アメリカ人男性のロマンと行動力がたっぷり描かれた。活劇、詩情、ユーモア、笑い、涙、怒り等のシーンが盛りだくさんにもかかわらず、正義と法、文明と自然、開発と破壊、資本と権利、個人と大衆、ネイテブ・アメリカン問題などの主題はきちんと押さえられている。それゆえに見事な傑作になった。

 ニューマンはニクソン大統領のブラックリストに載るくらいの民主党支持である。その進歩的姿勢、そして彼の知性、親分肌的リーダーシップ等彼の素の面がこの映画で十分生かされた。それを引き出した巨匠ジョン・ヒューストン監督の手腕も特筆に値する。

 音楽は『アラビアのロレンス』のモーリス・ジャール。これまた巨匠だ。ここでも素晴らしい音楽を聞かせてくれた。アンディ・ウイリアムスが歌う主題歌(小さな愛のワルツ)も忘れられない。

  後年、私はこのサントラ盤LPを買ってしまった。

 私はこの映画はもっと評価されてよいと思っている。NHKBSプレミアムで放映するべきだ。たまたまYouTubeで全編を見られることが分かったのでここに紹介する。

 この記事を目にした皆さんぜひご覧になってください。。

 

 その他の作品としては、『スティング』や『タワーリング・インフェルノ』を見たが、これらは娯楽作品に過ぎず、感動からは程遠かった。ただ、『ステイング』の音楽はよかった。後日このサントラ盤シングルを買った。

(監督は『明日に向かって撃て!のジョージロイ・ヒルである。ヒル、ニューマン、レッドフォードのトリオが再び組まれた) 

 スコット・ジョップリンのラグタイムの名曲『エンターテイナー』が使われている。

 2008年にニューマンが亡くなった時、私の青春のワン・ピースが欠けたような気分になった。

 『明日に向かって撃て!』ではロバート・レッドフォードの方が好きだったが、『ロイ・ビーン』を見てから、ニューマンの方が好きになり、今では一番好きなアメリカ人俳優になった。

 

 次はロバート・レッドフォードである。

 『明日に向かって撃て!』はレッドフォードの存在が大きかった。当時格上だったニューマンを喰ってしまったような印象を受けた。

 レッドフォードの新たな一面が監督に引き出されたような感じがした。というのは、前にどこかの名画座で見た『雨のニューオリンズ』(66年:シドニー・ポラック監督)の彼はただの美青年という印象だったからである。


 とにかく私は、『明日に向かって撃て!』のサンダンス・キッドにはまってしまった。長めのヘアスタイルとひげがこんなに似合う俳優を見たこ

とがなかった。

 それで私は、ヘアスタイルとひげを真似してみた。ところが、髪が固く、ひげが濃くない私はレッドフォードに生まれ変われなかった。

 レッドフォードが好きになった私は、出演作品をいくつか見たが、彼の魅力が発揮される分野は『明日に向かって撃て!』同様、雄大な自然を背景にした分野だと思った。19世紀ロッキーの山に暮らした猟師を描いた『大いなる勇者』(72年:シドニー・ポラック監督)のひげ面のレッドフォードはかっこよかった。

 同様に複葉機時代のパイロットを描いた『華麗なるヒコーキ野郎』(75年:ジョージ・ロイ・ヒル監督)もよかった。

 主人公の乗った飛行機が空に消えていくラストシーンは心に残った。

 それに対し、彼のハンサムを全面に打ち出した『追憶』(73年:シドニー・ポラック監督)や『華麗なるギャツピー』や『スティング』にはひかれなかった。ただし、『追憶』は映画自体は素晴らしい。

 バーブラ・ストライサンドの演技が光った。バーブラの歌う主題歌も名曲。後日、私はこのシングル盤を買った。

 彼女の歌声はいつ聞いても心にしみる。

  私のような全共闘世代の人間にとって、『追憶』で描かれたような恋愛は身近にたくさんあった。政治思想にまい進する者とそれに疑問を抱く者との間の恋愛は最終的には実らない。

 バーブラが一途な女性を見事に演じていた。それに対し、レッドフォードの影が薄い。私が思うに、レッドフォードにこのような役は向いてない。都会のインテリは彼に合わない。前述したように、彼の本領が発揮されるキーワードは、野生、自然、田舎、抵抗である。

 他に、『夕陽に向かって走れ』、『お前と俺』、『コンドル』などを見たが、感動するにはいたらなかった。ダスティン・ホフマンと組んだ『大統領の陰謀』は見逃した。

  

 第3番目はスティーブ・マックウイーンである。

 私の青春時代、日本におけるマックウイーンの人気は高かった。彼はドロンやレッドフォードのようなハンサムではない。どちらかと言えば、ニューマンやマーロン・ブロンドのような個性を売り物にする俳優である。ただしニューマンに見られる知性、ブロンドに見られる複雑怪奇さではなく、孤独な野性が彼の持ち味だった。しかも自然よりも都会で発揮されるような野性である。ゆえに行動する役がぴったりなのだが、ただのアクション・スターにならなかった。深い人間性が垣間見られるような演技をした。

 大学時代、マックウイーンは私の一番好きな俳優だった。映画館を出る度、マックウイーンのような男になりたいと思ったものだ。

 話は変わるが、彼も、ニューマンやレッドフォードやブロンドも金髪・碧眼の持ち主である。当時のアメリカ映画では、美形より、金髪・碧眼であることの方が人気の必要条件だった。

 彼の出演映画は当たり外れがない。質の高い映画に結構出ている。それでいて興行的に成功している。

 彼は当初、テレビの『拳銃無宿』や『荒野の七人』に出演したことが当たったので西部劇俳優としてのイメージが定着したが、そこから脱皮していったことは彼の俳優人生にプラスになった。

 その流れにあったのが『ブリット』(68年:ピーター・イエーツ監督)である。そして私はこの映画で彼の魅力にとりつかれた。

 これはサンフランシスコを舞台にした刑事映画で、カーチェースのシーンがあまりにも有名になった。確かにそれは面白かったが、主人公(ブリットという刑事)の内面を掘り下げた演技が私には印象に残った。寡黙な刑事役を見事に演じ切っていた。

 同じことは少し前に見た、『シンシナティ・キッド』(65年:ノーマン・ジュイソン監督)にも見出せる。アウトローの孤独が伝わって来るのである。

 さらにその延長上にあったのが『ゲッタウエイ』(72年:サム・ペキンパー監督)である。

  孤独、行動、寡黙という彼の持ち味が全面開花された。サム・ペキンパー監督の映画なので銃撃シーンに当然迫力がある。

 しかし、恋人(アリー・マックグロウ)との関係を丁寧に描いたので、単なるバイオレンス映画に陥らなかった。恋愛映画として見ることも出来よう。ラストが悲劇に終らないのがよい。観客の感情が激しく揺り動かされる、満足度の高い映画だった。

 私はマックウイーンの映画では本作が一番好きである。

 なお、音楽を担当したクインシー・ジョーンズのラブ・テーマの旋律が耳に残った。このサントラ盤のシングルをこれまた後日購入した。

 下のYouTubeで聞けるので載せておく。

 

 『パピヨン』(73年:フランクリン・J・シャフナー)にも感銘した。

  この映画は、西欧人が好きな脱獄の物語である。彼は以前『大脱走』で人気を博した。そういう点で打ってつけの役だが、いかにこの島から逃げられるかを考え続けるが演じるという点では同じだが、『大脱走』で見せた明るいヒーロー的行動はこの映画では見られない。したがって冒険活劇ではない。閉塞状況における人間性を追求したシリアスな映画である。

 私が見る限り、主人公の立ち位置はデュマの小説『モンテクリスト伯』に近いように思われた。ただ、モンテクリスト伯のように孤島の牢獄に幽閉されたのではなく、島内(絶海の孤島)のどこでも歩けた自由を持っていた。また、心が通じた囚人仲間(ダスティン・ホフマン)もいた。

 この囚人仲間(島から出ることを考えない)と島から何がなんでも脱出したいという主人公との関係を図式化した点が成功していた。最後の別れのシーンは感動的である。

 ジェリー・ゴールドスミスのテーマ音楽が心に染みた。このサントラ・シングル盤も買ってしまった。

 その他、彼の映画では、『栄光のルマン』、『ネバダ・スミス』、『華麗なる賭け』、ポール・ニューマンとの共演作『タワーリング・インフェルノ』を見た。それぞれそれなりに面白かったが、上記作品のような感動は受けなかった。

 とりわけ、『華麗なる賭け』(68年:ノーマン・ジュイソン監督)で演じた富豪の役はマックウイーンには向かないと思った。

 この映画ではあまりにもフェイ・ダナウェイの印象が強すぎた。『俺たちに明日はない』でも言えるが、彼女の演技力が素晴らしかった。名女優と思われた。ミッシェル・ルグランの音楽(主題曲『風のささやき』)がよかったことも付け加えよう。

 

               ――― 続く ―――