ここでは、『冒険者たち』以外の感動した作品を紹介しよう。

 おそらく71から77年までの間に相当な数のフランス映画を見たはずだが、今でも記憶に残っている作品は驚くほど少ない。

 その一つが、『さらば友よ』(1968年:ジャン・エルマン監督)である。

 主演は『冒険者たち』のアラン・ドロンとアメリカ人俳優チャールズ・ブロンソン。

  この映画のドロンもよかった。『冒険者たち』でドロンの魅力を見い出したが、本作でも裏切られなかった。

 私が大学生だった70年代においてもアラン・ドロンの人気は高かった。したがって、名画座で彼の映画はよくかかった。

 『冒険者たち』以外に私が見た彼の映画を列挙してみと、『太陽はひとりぼっち』、『地下室のメロディー』、『サムライ』、『あの胸にもう一度』、『さらば友よ』、『シシリアン』、『ボルサリーノ』、『高校教師』などが挙げられる。

 実は、私はこれらの映画を見たいために入ったのではない。当時2本立てか3本立てであったので、私が見たい映画と併映されていたのである。それだけドロンの人気が高かったことを示している。彼の映画を上映すれば、質はともかく、それなり数のお客さんが入ったのだろう。

 上記の中で、私が感動したのは『さらば友よ』だけである。だからこの作品のことは覚えているが、他の作品の内容はすべて忘れてしまった。作品自体が私にとって面白くなかったことや、ドロンの美貌に関心がなかったからだろう。

 ただ、『太陽はひとりぼっち』のモニカ・ベッティの美しさは妙に心に残った。あのけだるさそうな表情や仕草がなまめかしかった。

 また、『太陽はひとりぼっち』と『地下室のメロディー』の音楽は耳に残った。これらは有名なので、ラジオで耳にすることがよくあった。

(モニカ・ベッティの肩にキスするドロン)

     

                                (60年代中頃、主題歌はヒットした)

                                     (こちらもの曲もヒットした)

 それでは、『さらば友よ』(1968年:ジャンヴォートラン監督)について語ろう。

 この映画をどこで見たかは忘れた。道玄坂にあった渋谷文化劇場ではなかったかと思うが、自信がない。

 まず気に入ったのは、ドロンが演じるバランとチャールズ・ブロンソンが演じるプロップの友情である。最初は湧かなかったが、計画を実行していくうちに芽生え、最後は二人を結び付けた。友情がテーマである点では『冒険者たち』と一緒である。

 次に男としての魅力である。二人共役のために肉体を鍛えたのだろう。上半身の裸体を見せる場面で、堂々とした肉体美を披露している。それもスーツのズボンによく似合った。

 とりわけ、ブロンソンは50代に一歩手前の年齢であるにもかかわらず、筋肉隆々、腹も引き締まっている。いわゆるボディ・ビルで鍛えたマッチョ風の体ではないため、「俺の体を見よ」という押し付けがましさがないことも好感が抱ける理由だ。

 それに関するが、二人のスーツ姿もきまっている。その姿でスピーディに活動する。観客がほれてしまうくらい恰好がいい。

 無論、肉体の魅力だけでは男の魅力として不十分である。内面が窺えるような言動や行動も大切である。

 第3は、ブロンソンの魅力である。彼は副主人公であるが、ドロンを喰ってしまった。ニヒルさと優しさが混じったキャラクターを見事に演じ切り、観客に強烈な印象を与えた。

 私はこの映画でブロンソンを知り、彼のとりこになってしまった。

 彼はアメリカ人俳優であるが、この作品でフランス映画界に衝撃を与えた。おかげで名監督のルネ・クレマンの目に留まり、『雨の訪問者』の主役に抜擢された。

 その結果、ハリウッドで再評価され、以降主演映画がたくさん作られた。その点でマカロニ・ウエスタンで一躍脚光を浴び、ハリウッドに凱旋したクリント・イーストウッドと同じである。

 

 本作は銀行強盗を企てるアクション映画であるが、その域を超え、友情という主題を明確にした名作になった。名作に必要な条件、ストーリー、主題、場面展開、演技、キャラクターの魅力、カメラワーク、音楽が見事に調和していた。

 私は暗闇の映画館から明るい外へ出た時、自分がドロンかブロンソンになったような気がした。歩き方や動作を自然と真似し、銭湯の鏡では上半身の筋肉を動かしてみた。名作は観客を主人公と一体化させてしまう力を有している。

 本作は、『冒険者たち』のような、心が揺さぶられた作品ではない。だが、娯楽映画としての面白さが詰まった映画だった。

  

 (『さらば友よ』の動画)

 

 これと似たような経験をしたのが、次に紹介する『雨の訪問者』(1970年:ルネ・クレマン監督)である。

 下は予告編の動画である。

                         (チャールズ・ブロンソンの魅力が垣間見られる)

 

 クレマンは、『禁じられた遊び』や『太陽がいっぱい』を監督した仏映画界の巨匠である。

(ルネ・クレマン監督)

 巨匠なら、普通に考えても、当たり外れがない。

 本作もその通りで、スリラー仕立てのサスペンス映画だが、ストーリーが実によく練られている。 謎が謎を呼ぶので、観客を最後のシーンまで引き寄せる。

 また、主役のチャールズ・ブロンソンが圧倒的な存在感を見せる。彼が光彩を放てるのは、クレマンの演出が素晴らしいからだろう。 

 この頃、ブロンソンは50歳手前だが、30代後半くらいの運動神経を示す。その格好良さに唸らされる。

 さらに、『さらば友よ』で見せた、ニヒルで冷静で一癖ありそうな男らしさがここでも発揮されている。この点がこれらの作で引き出されたために、世界中で人気を博したのだろう。

 私は、映画館を出た後、ブロンソンになったような錯覚がした。本来は文弱の徒なのに、頭の中では強い肉体を誇る中年男性になっていた。

 もちろん、もう一人の主人公のマルレーヌ・ジョベールの演技も素晴らしい。なかなか味のある若妻を演じている。

(この写真では分からないが、けっこうそばかすがある)

 冒頭シーンで出て来る雨が効果的に使われている点も印象的である。観客に、何か起こるのではないかという予感を抱かせる。『雨の訪問者』という題名は実に適切だ。また、フランシス・レイのテーマミュージックが盛り上げるのに一役買っている。

                             (このテーマ曲はドラマの中でよく使われた)

 日本では、サントラの中の1曲『雨の訪問者ワルツ』が大ヒットした。ラジオで実によく流れていた。

(雨の訪問者ワルツのシングル盤ジャケット)

                             (雨の訪問者ワルツ)

 

 この映画の上映の頃、ブロンソンを起用した男性化粧品「マンダム」のCMがテレビで流された。彼の男くささが見事に生かされていた。最後、「マンダム」とつぶやく彼の渋い声は若者から中年までの男性を虜に、ブロンソンブームが起きたくらいだった。

 BGMとして使われたジェリー・ウォレスの歌『マンダム~男の世界』も大ヒットした。

                            (マンダム~男の世界:レコードジャケット)

 

 続いて紹介するのは、『男と女の詩』(1973年:監督クロード・ルルーシュ)である。

 原題は「La bonne annee」 で、訳せば、「新年、おめでとう」である。

 見終わった時に判明したが、なかなか意味深な題である。

 主演はリノ・ヴァンチュラとフランソワーズ・ファビアン。

 『冒険者たち』でヴァンチュラにしびれた私は、この作品が名画座にかかった時、見に行った。74年のことだった。

 監督がルルーシュだということも関係している。彼は、中年男女の恋を描くのがうまい。『男と女』がその代表である。この映画の宣伝文句も「中年男女の洒脱な恋」とある。私の好きなヴァンチュラを使って、どのような恋を描くのか。私はすごく期待した。

 そして、期待を裏切らなかった。いや、期待よりもっと大きな感動をいただいた。

 いやはや参った。ファビアンにすっかり惚れてしまい、将来ヴァンチュラのような中年になりたいと憧れた。暗闇から明るい外へ出た時、私はすっかりヴァンチュラになりきっていた。

 とにかくファビアンが美しかった。わたしはこれまでファビアンを知らなかった。フランスにはこのような美人女優がいるのだ。フランス映画界の奥深さを改めて知った。

(フランソワーズ・ファビアンの若い頃か)

 本作は、ラブサスペンスだが、コメディの要素も含まれている。それが作品を明るくさせている。

 内容は、銀行強盗をたくらむヴァンチュラがファビアンと恋に落ちる話だが、その行く末は二転三転が待っている。計画が失敗し、捕まった段階でこの恋は終わったと思ったら、落ちがあった。6年後、出所した彼はファビアンの元を訪れる・・・。

 ルルーシュの演出は素晴らしかった。過去をカラーで表し、6年後の現在を白黒で表す手法も斬新だった。

 ヴァンチュラとファビアンの演技も特筆に値する。二人の会話や仕草が自然体である。大人の魅力を十分に伝えている。

 それはYouTubeに投稿された動画で見ることが出来る。

                     (二人の魅力があふれる場面を抽出している)

 このような洒落た作品はフランスでしか作れない。フランス人の魅力が生かされた恋愛映画である。大人の恋にフランス語の響きが何と合うのだろう。

 実は、この映画は、友人S君と見に行った。私は、原則として、映画は一人で見に行くことにしていた。隣に知っている人間(友人やガールフレンド)がいると画面に集中出来ないからである。鑑賞する場合、私は全神経を作品に傾ける。真摯に向き合い、味わいたいのだ。

 だからS君と行くのは珍しかった。彼と一緒に見た作品は他に『ドクトル・ジバゴ』がある。二人共以前見たのだが、新たに封切されることになり、感動をもう一度味わいたくて見に行ったのだ。

 当時、私もS君も恋愛に憧れていた。二人共恋愛映画や文学で感動すると、誰かに話さずにはいられないタイプだった。その点でロマンチストなのだが、S君はすぐに行動に移すことが出来た。そこが私と違っていた。私は空想恋愛家で、彼は行動恋愛家だった。ただ、実る場合もあったが、失恋することの方が多かった。

 とにかく、恋愛への憧れという共通点で一致していたので、一緒に見に行ったのだ。

  終了後、私は椅子から立ち上がれなかった。S君も感動していることが分かった。

 外へ出た時、二人共本作について語りたくなり、どこかの喫茶店に入った。二人の見解が一致したことは、ファビアンが素敵だったこと、中年になったらヴァンチュラのような男性になりたいこと、このような大人の恋をしたいことであった。

 もちろん、そのような男性にはなれなかったし、ファビアンのような女性にも出会えなかったが、それはそれでいいのである。映画の役目は、夢を見させてくれることなのだから。

 

 音楽もよかった。担当はフランシス・レイである。監督の演出と俳優の演技と音楽とが三位一体化すると、このような名作が誕生する。

 ルルーシュは『男と女』で、台詞の代わりにレイの音楽を用いることで登場人物の心理を表すという技法を駆使した。その最強コンビの力がここでも発揮された。『男と女』はマイナー調の曲が多かったが、本作はメジャー調のメロディが印象的である。やはり内容に合わせているのだ。

 主題歌『La bonne annee』は原題通りの題名で、ミレイユ・マチューが歌っている。新年を祝う明るさが感じられる曲である。

 映画で、その歌をマチューそっくりな歌手が口パクで披露した(レストランのシーン)。終わった時、客の中にマチュー本人がいた。こういうユーモアが素晴らしい。ルルーシュの演出が効いている。

                             (マチューに似た女優が歌っているシーン)

 彼女の歌唱力には迫力がある。最後のシーンでまた彼女の歌が流れた時、私は感動の渦に飲み込まれた。

  私はこれをきっかけにマチューのBEST盤のLPを買ってしまった。

 素晴らしい名曲がそろっており、シャンソンの新たな魅力を味わえた。

 

 ルルーシュとレイの最強コンビを、私は、これまで、『男と女』、『パリのめぐり逢い』、『白い恋人たち』、『恋人たちのメロディー』で見て来た。

 『男と女』と『白い恋人たち』は高校時代に郷里の映画館で見たが、『パリのめぐり遭い』と『恋人たちのメロディー』は上京後、名画座で見た。『恋人たちのメロディー』にレイが盲目のアコーディオン奏者として出演していた。

 この二人は1960年代末から70年代前半にかけて日本で人気があった。監督名や音楽担当の名前で客を呼び寄せることが出来た。その背景にフランス文化に対する憧れが日本人にあったことが挙げられよう。現代から見ると、信じられないくらいである。

 フランシス・レイの人気がさらに世界的になったのは『ある愛の詩』による。ハリウッドが彼に目をつけたのだ。その結果、アカデミー音楽賞を受賞し、人気やレコード売り上げが上昇し、その名声は不動になった。

 

 感動した作品の最後は、『ラ・スクムーン』(1972年:ジョゼ・ジョヴァンニ監督)である。

 ジョバンニは原作者であり、脚本も担当した。音楽担当は、フランソワ・ド・ルーベ。そう、前回の記事で取り上げた『冒険者たち』のコンビである。

 主演はジャン・ポール・ベルモンド。相手の女優は、クラウディア・カルディナーレである。共に私の好きな俳優である。

 このようなそろい踏みを見せつけられると、居ても立っても居られなくなった。名画座にかかった時、すぐ見に行った。ただし、どの映画館で見たのかは忘れた。

 かつてギャングだったジョバンニが監獄で知り合った一匹狼の犯罪者をモデルに制作した犯罪(ギャング)映画である。

 フランス映画の特長として犯罪映画の多さが挙げられる。フィルム・ノワールの一種であり、フランス国民に人気があったのだろう。

 かの名優のジャン・ギャバンも出ているし、ドロンやベルモンドも出演した。ドロンの作品『サムライ』、『仁義』、ギャバンとドロン共演の『シシリアン』(リノ・ヴァンチュラも共演)、ドロンとベルモンド共演の『ボルサリーノ』は私も見た。ただし、私は、あまり買わない。銃撃戦が多い娯楽作品としか思えなかった。

  私よりかなり上の世代にとってはジャン・ギャバンはフランスを代表する俳優だったが、私の頃は過去の人になりつつあった。

 

 『ラ・スクムーン』も犯罪映画の一つだが、一味違っていた。ラ・スクムーンと呼ばれる主人公の良し悪しを丁寧に描いていた。その人間性を掘り下げていた。ただし、娯楽作品なので、あまりくどくない。活劇シーンもたくさんあり、観客を喜ばす点はしっかり押さえられていた。

 期待通り、私にとっては満足度が高い映画になっていた。

                                            (予告編の動画)

 ルーベの音楽も最高である。美しい旋律のテーマ・ミュージックを手風琴で演奏している。一度聴いたら忘れられない。

 鑑賞後、このシングル盤をさっそく買った。

 主題曲は下の動画で聞ける。

 

 日本ではドロンと並んでベルモンドも人気があった。ドロンが女性に人気があるのに対し、ベルモンドは男性に人気があった。

 フランス本国では、確かベルモンドの方が人気があったと思う。

 彼は、見ての通り、ハンサムではないが、個性的で味があった。

 1959年、ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』で主役を演じると、いちやくスターダムにのし上がった。注目を浴びた。

 ゴダール監督はヌーヴェル・ヴァーグの一人として日本でも映画通の間で教祖のような存在だった。その名を私は高校生の時に知ったが、田舎の映画館では『勝手にしやがれ』はかからなかった。

            (ジャン・リュック・ゴダール監督)

 上京しても、なかなか本作にお目にかからなかったが、72年にようやく見ることが出来た。しかし、私にはいま一つ物足らなかった。59年制作の白黒映画なので、古さも感じた。

 二人のコンビによるもう一つの代表作の『気狂いピエロ』も見たかったのだが、なかなか名画座にかからず、結局見る機会を失った。

 ゴダールの映画は芸術性志向が高いので、商業的に成功しないからだと思われる。

 それ以外のベルモンドの作品はけっこう上映された。私が見た作品で印象に残っているのは、『リオの男』、『パリの大泥棒』、『相続人』である。

 『リオの男』は冒険活劇。それに対し、『パリの大泥棒』や『相続人』はシリアスな面が強く、見応えがあった。

 この記事を綴る少し前、ベルモンドの死去のニュースが入った。

 追悼。ありがとう、ベルモンド。

 

 クラウディア・カルディナーレは私好みのイタリアの女優である。中学時代に映画雑誌で彼女の写真を見た時、彼女の顔だちやグラマラスな体に惹かれ、ファンになった。

      (カルディナーレの若い頃:妖艶さがあった)

 その彼女がベルモンドと共演することもこの映画に強い関心を持った理由だった。

              (『ラ・スクムーン』のカルディナーレ。熟女になっていた)

 クラウディア・カルディナーレの愛称は、姓名のイニシャルからC・Cと呼ばれた。彼女の詳細についてはイタリア映画を語る際に触れよう。

 

 ここでフランスの女優についてちょっと見ておこう。私が最も好きだったのは前回の記事で紹介したジョアンナ・シムカスである。

 その他では、『リオの嵐』のミレーヌ・ドモンジョ、『太陽がいっぱい』のマリー・ラフォレ、『太陽の下の18歳』のカトリーヌ・スパークもよかった。3人共これら1本しか見ていないので、憧れの女優までには至らなかった。

                     (『リオの嵐』のミレーヌ・ドモンジョ)

                (『太陽の下の18才』のカトリーヌ・スパーク) 

(『太陽がいっぱい』のマリー・ラフォレ)

 当時、日本ではカトリーヌ・ドヌーブが人気があったが、私好みの顔ではなかった。『昼顔』にはげんなりした。ただし、『シェルブールの雨傘』の彼女には好感を抱いた。

(『昼顔』のカトリーヌ・ドヌーヴ)

 私より少し上の世代に人気のあったブリジット・バルドー(愛称B・B)

も好みでなかった。

(ブリジット・バルドー)

 今思えば、笑ってしまうのだが、私は中学生の時に白人女優に憧れ、高校生の時には将来結婚するなら白人女性がいいと思うようになった。田舎に住んでいたので現実の白人女性を見たことがない。スクリーンやテレビや雑誌の写真でしかお目にかからない。知らず知らずのうちに虚像を自分の夢の世界で理想化していったのだと思われる。根底には白人に対するコンプレックスがあったのだろう。もちろん、やがて、そんな妄想は消えてしまった。

 

 フランス映画の歴史は古く、映画史に残るような作品があった。例えば、戦前公開された『大いなる幻影』、『パリの屋根の下』、戦後直後に公開された『天井桟敷の人々』などがあるが、私はいずれも見ていない。私が名画座に通っている頃、それらはかからなかった。かかったとしても見に行かなかっただろう。

 50年代から60年代にかけて台頭したヌーヴェル・ヴァーグの作品も見なかった。

 この流れの代表的な監督は上記のゴダール、フランソワ・トリュフォー、アラン・レネ、ルイ・マルなどが挙げられる。彼らの代表作も70年代にはあまり上映されなかった。池袋の『文芸座』にはかかったかもしれないが、見る機会を失くした。

 見たのは上述した、ゴダールの『勝手にしやがれ』だけである。

 同世代の熱烈な映画ファンにはこの流れの監督は人気があったらしいが、一般客にとっては過去の人であった。

 

                                  ――― 終り ―――