映画館を出ると、いつもの風景が全く違って見えた。前回の記事で紹介した映画はまさにそのような経験を与えてくれたのである。

 ここに紹介する映画はそこまではいかないが、見てよかったというような、小さな感動をもたらしてくれた映画である。

 まず、『鉄道員』(伊:白黒:1956年)である。本作は老いた機関士とその家族の姿を末息子の視点から描いている。イタリアは敗戦国なので立ち直ることが大変だった。都会に暮らす庶民階級はもろに影響をかぶった。彼らの悲哀が伝わる名作である。

 末息子の児童の演技があまりにも上手なので感心した。抱きしめたくなるような愛くるしさである。これ以降、イタリア映画を数多く見るようになったが、登場する児童俳優はおおむね演技が上手だった。喜怒哀楽の激しい国民性がいい方向に現れた例だろう。

 

 愛くるしい子どもと言えば、『汚れなき悪戯』(スペイン:白黒:1955年)のマルセリーノも忘れられない。あの純粋無垢な瞳と笑顔は観客の心をいやす。この映画のラストで教会のキリスト像がマルセリーノに話しかける場面は胸を打つ。このような映画を見ると、キリスト教のよさを考えてしまう。亡くなったマルセリーノは天国で天使になったのだろう。

 

 前回の記事で恋愛映画の名作として『慕情』を取り上げたが、それに負けず劣らずの名画が『旅情』(英米合作:1955年)である。この映画は級友G君と見たので、余計思い出が深い。

 『慕情』と同じく中年男女の恋愛であるが、『慕情』のような悲劇は起こらない。戦争を背景にしてないからである。戦後に到来した平和な生活における出会いと別れである。それも誰もが経験するような旅行中の出来事である。だから観客は二人に等身大の自分を見い出すと思う。『旅情』とは見事な邦題(原題はSummertime)をつけたものである。内容に完全に一致している。

 キャサリン・ヘップバーンが演じる独身女性の感情の揺れ動きを完全には理解できなかったが、彼女の演技が素晴らしいことは分かった。2人がヴェネチアのサンマルコ広場で出会うシーンの演出は巧みである。自分にもあのような出会いが起きないかと思ったほどである。

 ラストの汽車の場面は圧巻である。別れのシーンに汽車という小道具が最適であることを監督は十分知っている。男性は花を渡そうとしたが、列車の方が速かった。このことは旅先での愛が結局束の間の愛に過ぎないことを象徴している。手を振る2人に観客は自分を重ねただろう。ラストシーンが素晴らしいことが名作の条件であることを示してくれる映画である。

 監督は『ドクトル・ジバゴ』の巨匠デビッド・リーン。彼には、男性主体の『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』という代表作があるが、私は、『ドクトル・ジバゴ』『旅情』『ライアンの娘』のような女性が主役の映画を好む。

 

  大人の恋愛を描いた映画で印象に残っている作品がもう一つある。『男と女』(仏:1966年)である。

 この作品は伴侶を失った男女が知り合い、最後になって結ばれる内容であるが、起伏のあるストーリーはない。惹かれたり、戯れたり、遊んだり、迷ったりする場面を展開するだけである。そこにそれぞれの過去が織り込まれている。これでは観客が飽きてしまうので、そうならないようにするためにカメラワークと音楽を活用した。詩情があふれる画面とメロディアスな音楽とのコラボは観客を魅了した。台詞を極力抑え、表情のアップと音楽とで主人公の心理を描くクロード・ルルーシュの手法に脱帽せざるを得ない。

 音楽を担当したフランシス・レイの才能も見事である。「ダバダバダ、ダバダバダ」で有名な主題歌ばかりでなく、哀愁を帯びたバラードやボサノバ調もあり、それも歌唱やインストルメンタルの両方で提供した。

 このような洒落た、かつ実験的な、それでいて芸術的香りが漂う映画はアメリカでは作れないだろう。当時ヨーロッパ映画の方が日本では人気があった。洋画の半分以上はヨーロッパ勢が占めていたような気がする。なかでもフランスとイタリアは群を抜いていた。私も、どちらかと言えばヨーロッパ映画の方にひかれた。

 

 ルルーシュとレイとのコンビによる映画はもう1本見た。『白い恋人たち』(仏:1968年)である。これはフランスのグルノーブルで開かれた冬季オリンピックの記録映画であるが、競技者たちの内面に迫るような、芸術性に富んだ映画だった。かといって退屈な映画にならなかったのはレイの多彩な音楽を用いたからだろう。レイの音楽はここでももう一人の主役を務めた。

 

 高3の時、学校が推薦した映画『ロミオとジュリエット』(英伊米合作:1968年)をG君と見た。前評判どおりの映画だった。期待を全く裏切らない完成度の高い映画だった。

 主人公の2人には原作と同じくらいの年齢の男女が選ばれた。ちなみにロミオ役のレナード・ホワイティングは私より1学年上で、オリビア・ハッセ―は同学年である。どちらも美少年美少女である。オリビアがラテン系であることがいい。この映画を見た世界中の少年少女は自分がロミオやジュリエットになったような錯覚に陥ったのではなかろうか。私も同じである。しばらくの間、ハッセ―は憧れの少女になった。

 原作に忠実なうえに、時代考証がしっかりしている。ロケ地には中世の面影が残っているイタリアの都市が選ばれてもいる。当然臨場感を醸し出せたので最初から最後まで観客を引き付けた。そのうえ、音楽担当は巨匠のニーノ・ロータである。哀愁がある美しい旋律の主題歌を始め、印象深い曲ばかりだ。完璧に近い作品といえよう。

 音楽は映画では重要な役割を果たす。ゆえに名作になるには耳に残るサウンド・トラックであることが大切である。

 

 

 音楽と言えば、ヒット曲に基づいて作られたイタリア映画も印象に残っている。

 ジャンニ・モランディの『貴方にひざまずいて』(伊:1964年)とジリオラ・チンクェッティの『愛は限りなく』(伊:1966年)である。

 前者を見てみたいと思ったのは当時愛読していた『ボーイズ・ライフ』が紹介した記事による。この映画を強く推薦していた。

 『愛は限りなく』を見たのは、彼女のヒット曲『夢見る想い』や『ナポリは恋人』が好きだったからである。私は中学時代からイタリアの流行歌(カンツオーネと呼ばれていた)が好きだった。映画でも主題歌より挿入歌の『夢見る想い』を歌う場面に惹かれた。

 たまたまセントラル(大田原の映画館)にかかったのでこれはチャンスと思ったのだろう。

 どちらもイタリア版青春歌謡映画である。好きだった相手と、いろいろあったけれど、最後は結ばれ、ハッピーエンド。典型的な娯楽作品だが、イタリア人の陽気さとおなじみのメロディが私を幸福にしてくれた。

 この作品を含め青春時代に多くのイタリア映画を見て来た。イタリア人の喜怒哀楽は正直である。それが私の波長に合っていた。私はイタリアに憧れ、今度生まれて来るならイタリア人になりたいと思ったくらいだった。

  

 音楽はよかったが、内容は今一つ少年の私にはピンと来なかった映画が『ティファニーで朝食を』(米:1961年)である。ただし、大人になって再見した時、この映画の』よさが分かった。

 元々この曲が好きだったので見たのだったが、ヘップバーンがギターをつまびきながら歌うシーンは私をとりこにした。この映画のヘップバーンが大好きになってしまった。

 

 アクションを伴う娯楽スパイ映画(007、ナポレオン・ソロ、電撃フリントシリーズ)など)をけっこう見たが、何と言っても一番面白かったのは『007 ロシアより愛をこめて』(英米:1963年)である。ストーリー、サスペンス、アクション、娯楽性が調和している。007シリーズの中でも最高傑作。ダニエラ・ビアンキは歴代ボンド・ガールの中で一番美しく、魅力的。

 

 西部劇では本場アメリカ西部劇よりマカロニ・ウエスタンの方をよく見た。しかし、『荒野の用心棒』(伊西独スペイン合作:1964年)以外は今一つの作品ばかりだった。主題歌の『さすらいの口笛』が好きで、このシングルは中3の時に買ったのだが、ようやく高1になって映画を見ることが出来た。

 この作品以降、クリント・イーストウッドが好きになった。

 

 

 ジョン・ウエイン主演の往年の名画『駅馬車』も見たが、私は西部劇にはそれほど魅力を感じなかった。しかし高3の時に見た、ポール・ニューマン主演の『太陽の中の対決』(米:1967年)には感心したらしい。というのは、最近当時の日記帳が発見され、その中に本作の感想が述べてあったからである。

 ただ、私は『太陽の中の対決』の記憶が全くないのだ。だが、この映画がきっかけになりニューマンに好意を寄せたのだろう。大学時代に彼の作品をたくさん見るようになった。

 

 喜劇で印象に残っているのはルイ・ド・フュネスの作品である。何本か見たが、題名で覚えているのは、『大混戦』(仏映画:1964年)だけである。彼の名前は見るまで全く知らなかった。たまたま見た作品で大爆笑した経験があったので本作も見たのである。もちろんこれも愉快だった。当時私は鬱屈していた。その気分が吹っ飛んでしまった。

 彼は日本ではチャップリンのような人気を得なかった。したがってテレビでほとんど放映されていない。惜しいことに60代で亡くなった。再評価されてよい喜劇役者である。

 私の場合、フュネスの映画以外で笑いと涙で感動させられたのは、渥美清の『寅さんシリーズ』だけである。

  

 高校時代、スペクタクル史劇は見る機会がなかった。唯一見たのは『十戒』(米:1956年)だけだった。紅海が割れるなのどの迫力ある画面に思わず引き込まれたが、それ以上に私が関心を持ったのはモーゼの生き方と彼の思想だった。この後、図書館で当時の歴史や旧約聖書を調べてみた。元来日本史好きの私を西洋史の面白さに導いてくれた1本であることは間違いない。

 

 高校生時代は、性に目覚め、性に悩む頃である。『女体の神秘』(独:1967年)という映画が話題を呼んでいた。成人映画の対象になっていなかったので、セントラルでかかった時、一人で見に行った。ただ、誰かに見られているのではないかと周りをキョロキョロしながら入館したことを覚えている。ドイツ映画のせいか、内容が学術的だったが、それでも興奮したことは事実である。

 『完全なる結婚』(独:1968年)も見た。これは夏期講習のために東京に在住していた時に新宿の低価格映画館で見た。誰かに会いやすい田舎と違うので、入館する際胸の鼓動は速くならなかったが、当時の自分にとっては内容は過激すぎた。

 

 洋画にはまった私は雑誌『映画の友』を愛読するようになった。中3の時に1回だけ買ったことがあるが、高1から高2まで毎月購入した。

 この本で私は最新作や名作をより深く知るようになった。これらの作品を鑑賞したいと思ったが、田舎で見ることは出来ない。ところが、東京には名画をひんぱんに上映している名画座があるという。東京に対する憧れが生まれた。

 また、淀川長治や双葉十三郎など優れた評論家のエッセイをよく読んだ。

 その他にも楽しみがあった。カラーグラビアに載っている女優の水着姿である。中でも私のお気に入りは肉体派女優のラクエル・ウエルチだった。彼女の肢体は私を時に悩ませた。

  

 思えば、高校時代(1967年~70年)、洋画をひんぱんに見た。勉強しないで映画の話に夢中になる私を級友の一部は軽蔑したが、今振り返ると、自己形成に大いに役立った。その1つは世界に目が開けたことである。地球は広く、色々な人種が住み、様々な生活を送っていることを映画から学んだ。大人になったら是が非でも外国に行ってみたい、外の世界を知らない「井の中の蛙」にだけはなりたくないと思った。

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                   ――― 終り ―――