私が本格的に映画を見るようになったのは高校からである。思うに私は小さい頃から映画のファンだった。小・中時代は学校で許可された映画以外の映画を見ることは許可されていなかったが、高校は自由だった。私は心底から高校生になってよかったと思った。

 1967年(昭42)の3月、志望校に合格した私は意気揚々として宇都宮に向かった。合格祝いのお金でフォーク・ギターを買うためである。その帰り、馬場(ばんば)通りという大通りを駅に向かって歩いていた時、『夜霧のしのび逢い』という映画の看板が目に入った。「宇都宮メトロ座」という小さな洋画専門館だった。この映画は1965年に公開され、クロード・チアリのギター演奏による主題歌は大ヒットした。私はこの曲が好きだったので立ち寄ることにした。時間的にも金銭的にも余裕があったので、軽い気持ちで入ったのである。

 

 だが、見ていくうちにどんどん引き込まれていった。内容は、売春宿の若い娼婦と、彼女が娼婦であることを知らないで付き合う若者との恋愛が中心だが、同僚の娼婦たちのそれぞれの恋も織り込まれている。主人公たちの恋愛はいったん破綻したが、最終的には実を結ぶ。背景にギリシャの公娼制度廃止が描かれていた。

 映画は白黒で、制作されたのは1963年だった。日本で公開するにあたり、チアリが演奏した『la Playa』という曲を『夜霧のしのび逢い』と名付けてタイトル・バックとエンディングに流したのであるが、見事に内容にマッチした。したがってヨーロッパで公開されたオリジナルの映画には『夜霧』は使われていない。

 館内が明るくなった時、私の胸は感動でいっぱいになった。映画に感動したのは加山雄三の『海の若大将』以来であった。いつまでもチアリの演奏が耳に鳴り響き、二人が抱き合う場面が頭から離れなかった。

 これがきっかけとなり、私は洋画を見るようになった。とりわけ恋愛映画に憧れた。主人公たちのような恋愛がしたい。そう空想した。したがって本作は人生の扉を開いてくれた、忘れられない映画になった。

 

 振り返ると、映画館に出入りしていたのは高1と高2の時だった。高3の時は、政治や社会的事件への関心や受験勉強で映画を見る機会がかなり減った。

 私がよく通った映画館は隣の大田原市(私が通っている高校があった)にある「大田原セントラル」という洋画専門館だった。ヨーロッパやアメリカなど行ったことのない異邦の世界に憧れたのだろう。洋楽が好きだったこともあろう。とにかく洋画にはまったのだ。

 恋愛映画以外、例えばヒューマン映画、スペクタクル史劇、アクション、戦争映画、西部劇、マカロニウエスタン、コメディ、スパイ映画、ミュージカル等あらゆるジャンルの映画を見まくった。

 地方の映画館なので封切り作品は上映しなかった。2番館か3番館だった。新作は半年程度遅れてかかった。いいことは往年の名画を上映したことである。そして料金が安かった。高3の時につけていた日記に「料金 200円」と記されている。2本立てで、週ごとに作品が変わったように思う。高1と高2の2年間、月に2、3回、足繁く通った。

 多くの映画をいつ見たのかは忘れてしまった。内容も覚えていない。感動した映画だけうっすらと記憶に残っている。

 その数は結構な数になるので、我が人生に影響を与えてくれた作品だけをここに紹介する。

 

 高校時代に見た映画で一番思い出に残っているのは、アメリカ映画の『誰が為に鐘は鳴る』(米映画:1943年)である。主演はゲーリー・クーパーとイングリッド・バークマンで、スペイン内乱を背景にした恋愛映画である。

 高2の時、級友のG君と仲良くなった。彼は政治に興味を持っている少年で日米安保条約の欺瞞性やベトナム戦争におけるアメリカ政府の偽善を私に聞かせた。とにかく新聞の政治面や時事欄をよく読んでおり、これほど読んでいる者はクラスにいなかった。とはいっても田舎の少年が語る内容である。その口調には朴訥さがあり、思考には素朴さが見られた。

 学校の授業より他に関心があるという点で私と似ていた。私が傾倒しているのは、文学・音楽・映画である。

 うまが合ったのだろう、相互に影響を受け、私たちは親友になった。私は彼のおかげで政治に興味を持つようになり、彼は私の話から映画を見るようになった。

 私たちは高2の1年間、土曜日の授業が終わると、学校近くのうどん屋でかきあげの天ぷらそばを食べ、それからセントラルへ直行した。最低でも月1回はこのパターンを繰り返した。

 その中で二人が共通して感動したのが本作である。

 主人公のアメリカ人はスペイン内乱の際に共和国側に着いた義勇兵である。戦いの最中、行動を共にしているゲリラのマリアと恋に陥る。最後の場面で彼は敵の攻撃によって傷つく。マリアや仲間を逃がせ、1人で敵に立ち向かう。

 見終えた時、私たちは感動のあまり、椅子から立ち上がれなかった。しばらく学校でこの映画について語り合ってばかりいた。私にとってマリアを演じたイングリッド・バークマンは女神になり、G君にとってゲーリー・クーパーの主人公は理想的人物になった。主人公の犠牲的精神からG君は啓示を受けたらしい。将来、革命家になると宣言したくらいだ。

 G君の家が豊かでないこと、成績が思わしくなかったことなどにより、彼は進学しなかった。が、彼は私同様、閉鎖的な田舎が嫌だった。彼は湯津上村という、私が住む町よりももっと田舎に住んでいた。私と同じく、高校を卒業したら上京する夢を持っていた。

 実際、彼は千葉県の零細工場に就職したが、数か月後、東京に移って来、新聞店に住み込んだ。東京の下町で働きながら自分なりに書物を読んだり、人生を模索したりした。

 私との交流は東京でも続いた。私は貧乏学生だったが、彼は働いているので金銭的にゆとりがあった。豪快な一面を持っていたのでよく焼き肉をおごってくれたり、飲み屋に連れて行ってくれたりした。

 しかし青春が終わりを告げると、彼との交流は疎遠になった。私は帰郷し、教職の道に進み、G君は東京近郊で新聞店に勤め続けた。私は家庭を営んだが、彼は独身を続けた。それでも彼は数年に1回、帰省する度に私の元をたずねて来た。その際私の実家(衣料販売店)に立ち寄り、私の親父(話好きなので)と世間話を交わすのが常だった。いつしか革命家の夢は消え、将来どこかで自給自足の生活をして仙人になりたいと語った。

 45歳になった時、彼の母親が亡くなった。それからぷっつりと音信が不通になった。私は退職後、彼の実家のお兄さんに彼の消息をたずねたが、行方が分からないとのことだった。

 でも、たくましい彼のことである。日本のどこかで仙人になっているだろう。

 

 『我がために鐘は鳴る』と同じく、往年の名画で感動した作品に『慕情』(米映画:1955年)がある。

 この作品は『我がために』より恋愛度が強い映画であるが、戦争(朝鮮戦争)を背景にしていることと、男性主人公が死亡すること点で共通している。

 中年の男女の恋愛なので少年の私には退屈な場面もあったが、二人の愛が次第に実っていくプロセスにはついていけた。特に愛を交わした高台の場面は美しい。緑の草。青い空。白い雲。眼下の海が効果的に映される。それをあの有名な主題曲が盛り上げる。ラストで、男性の死を知った女主人公が思い出の高台に上る場面は私の心を揺り動かした。

 

 

 戦争がもたらす悲恋を扱った作品に『シェルブールの雨傘』(仏映画:1964年)がある。こちらはアルジェリア独立戦争である。

 本作はミュージカル作品である。台詞の全てに音楽が付いている。音楽好きの私は高校時代にミュージカルをそれなりに見たが、感動した作品は限られている。本作と『サウンド・オブ・ミュージック』と『南太平洋』である。後者の2つについては別な記事(我が懐かしきレコード4・高3編)で触れた。

 音楽はミッシェル・ルグラン。主題歌の旋律は一度聴いたら忘れらないくらい美しい。美しいといえば、主人公のカトリーヌ・ドヌーブの美しさは忘れられない。

 田舎町で平凡に生きたカップルが戦争と貧困によって別れざるを得なくなる。この悲劇を昭和の人たちは国籍関係なく味わった。

 この映画も最後の場面が観客の涙を誘う。クリスマスの夜。雪。ガソリンスタンド。それぞれの子どもたち。舞台設定が効果的に設けられている。別離の瞬間、ルグランの主題曲が流れる。それは観客の胸ををかきむしる。

 ただ、この映画がただのミュージカル映画に終わらなかったのは、反戦の思想が背骨のように通っていたからだろう。『我がために』や『慕情』よりその色合いは濃いように思われた。

 今でも主題歌が流れると、見た当時のことを思い出し、胸が詰まったようになる。

 

 悲恋。動乱。音楽。別離。これらのキーワードがそろった作品の中でもう一つ感動したのが、『ドクトル・ジバゴ』(米伊合作:1965年)である。

 これはロシア革命を背景にした恋愛劇で、『戦場にかける橋』『アラビアのロレンス』を手掛けた巨匠デビット・リーン監督による。

 元来70mmフィルムなので、スペクタクル的な場面(戦闘シーンや四季の大地)が多く、上記に紹介した作品より画面に迫力がある。

 中3の時、社会科を教えてくれた先生(女性)がこの映画から受けた感動を授業中に語ってくれた。それにインスパイアされた私はいつかこの映画を見たいと思ったが、田舎の映画館ではなかなか再上映されない。高2の時、ようやくセントラルでかかったので勇んで見に行った。その日は日曜日で、館内で数学の先生に出くわしたことを覚えている。

 長いのでストーリーを追うのに混乱したこともあったが、終わった時には感動で胸がいっぱいになった。予想に違わず名作だと思った。長編小説を読んだような充実感さえ覚えた。

 女主人公のララを演じるジュリー・クリスティが素敵である。この顔立ちはドヌーブより私を魅了した。

 この作品を見ると、革命の悲惨さを感じる。どんな大義名分があろうと、人心を荒廃させるのでは戦争と同じだ。昔になればなるほど、民主主義は浸透してなかった。いかに民主主義や自由平等が大切かを教えてくれる。

 それにしても、この音楽を手掛けたモーリス・ジャールは素晴らしい。『ララのテーマ』もいいが、メイン・タイトルの音楽はさらにいい。

 

 私が高校生になったのは1967年である。この年にアメリカで「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる作品が公開された。それが『俺たちに明日はない』と『卒業』である。この反響はすさまじく、アメリカではその路線の映画が立て続けに制作された。『イージー・ライダー』、『明日に向かって撃て』『真夜中のカーボイー』『いちご白書』などである。ちょうど私の青春期と重なった。リアルタイムでニュー・シネマの作品を鑑賞することが出来た。そのためだろう、私は大きな影響を受けた。しかし、私が高校生の時に見たのは『俺たちに明日はない』と『卒業』だけである。それ以外の作品は全て卒業後、東京で見た。

 『俺たちに明日はない』(米映画:1967年)から見てみよう。

 この映画は翌年日本でも公開された。新聞で宣伝されたのを覚えている。紙面の半分を使っていたと思う。それだけ配給会社に自信があったのだろう。原題は『Bonnie & Clyide』という人名を使った題なのだが、インパクトをねらって『俺たちに明日はない』というショッキングな題名がつけられた。まことに見事な付け方である。内容にも合致している。

 事実、日本でも大ヒットした。私はいち早く興味を持ったが、封切りを見るのには宇都宮へ行かなくてはいけない。そんな余裕がなかったので、セントラルに回って来た時に見た。高2の秋頃だったと思う。

 映画の完成度が高かった。映画は、ストーリー、カメラワーク、演技力、台詞、映像美、音楽、緊密度などが絡みあう総合芸術である。本作は見事に絡み合っていたと言えよう。キネマ旬報で1位に選ばれたのは当然である。私の採点でも高得点が付けられる。

 ギャング映画の一種なのだが、その枠には収まり切れない。主人公は最後に死を迎える。銃撃されるラスト・シーンは圧巻であるが、その前後を抒情的に描いていることは特筆に値する。

 『イージー・ライダー』『明日に向かって撃て』真夜中のカウボーイ』も最後に主人公が死ぬ。若者はいつの時代でも既成権威に反抗するが、倒れる場合が多い。悲劇を描けば、若者の純粋さ浮き彫りにしやすいのかもしれない。

 ここで、使われているC&Wのナンバー『Foggy Moutain Breakdown』のバンジョーの響きは最高である。

 

 もう一つの『卒業』をみてよう。

 当時、TBSは朝、『ヤング720』という若者の向けの情報番組を放送していた。この番組が好きな私はこれを見ながら支度をし、朝食(と言ってもインスタントコーヒーを飲むだけだが)を取った。最後まで見ると遅刻するので、終了10分前にテレビから離れ、大急ぎで自転車を漕いで校門をくぐった。

 その番組に新作の映画を紹介するコーナーがあり、『卒業』が取り上げられた。主人公が恋人を奪還するために教会に乗り込み、指輪を交換しようとした恋人に向かって、2階から「エレーン!」と叫んだシーンは私をくぎ付けにさせた。奪い返し、参会者を振り切ってバスに乗った時、サイモンとガーファンクル(S&G)の『サウンド・オブ・サイレンス』が流れた。

 紹介していたタレントもこの映画に感動したせいか、熱く語った。

 その時、私はこれは絶対に見なければいけないという直観が電流のように頭を貫いた。しかし、封切作品は東京しか見られない。上京は出来ないので、セントラルで上映されるのを待つことにした。

 内容は年増の女性(ロビンソン夫人)から誘惑された若者(ベンという名)が真実の愛を見出す物語である。主人公の設定がよい。東部の名門大学を出たが、どういう人生を送ったらよいのか悩んでいる、今の言葉で言えば、自分探しの旅をし始めたのだろう。

 夫人とのセックスは、所詮愛がないため、むなしさを覚えるだけだった。彼女の娘のエレンに真実の愛を見い出すが、当然夫人は妨害の行動に出る。

 エレンもベンを好きなのだが、母親とベンの情事を知ってしまった。彼女はショックのあまりお見合い相手と衝動的に結婚しようとする。しかし結婚式の最中に、乗り込んで来たベンの「エレーン」という叫び声に、自分が本当に好きなのはベンだと気づく。

 この映画を優れた作品に仕上げたことの一つはS&Gの音楽だろう。『サウンド・オブ・サイレンス』『スカボロー・フェア』『ミセス・ロビンソン』の3曲が繰り返し、アレンジを加えられて使われた。

 中でも私はは『スカボロー』に魅せられた。金門橋を車で走ったりエレンのキャンパスを訪れたりする場面に流れ、映像の美しさを高め、詩情を醸し出した。それにとどまらす、この気品のある美しいメロディはベンの心情を代弁するのに効果的だった。

 エレンの誤解を解こうと行動するベンがいじらしい。彼の純粋さに私は共感した。多くの若者(男の)がベンに自己を投影したと思う。したがって女性より男性に人気がある作品ではないだろうか。

 この映画も既製の権威(ここでは大人)に対する反抗が主題である。ただ、悲劇に終った『俺たちに明日はない』と違い、希望が読み取れた。万々歳とはいかないが、救われた気持ちになる。

 当時私は学校や大人たちに反感を抱いていた。彼らは私を文学・音楽・映画にうつつを抜かす者とみなした。当時田舎の権威は個性を認めなかったので異端児扱いされた。そんな私にとって主人公のベンは等身大の先輩のように見えた。

 私は高3の時の夏休み、代々木ゼミナールの夏期講習に参加するため上京した。新宿駅西口にあった名画座(何と2本で100円)で、『卒業』に再びお目にかかった。勉強に疲れた私をこの映画はいやし、自信を与えてくれた。

   

※続く