社会人になり経済的にゆとりが出来ると、私は自分が打ち込んだ作家の全集を購入し始めた。ただ、全作品をそろえた作家は数少ない。漱石と谷崎潤一郎だけである。
1978年に岩波で新書版の全集が再刊されたので、さっそく購入し、数年かかって全39巻をそろえた。
価格を見ると、普通の巻は800円だが、厚い巻は900円となっている。今と比べるとすごく安い。
橙色の下地に黄緑の隷書から成る布製の表紙が素敵である。新書版だけど、蔵書の趣がある。
漱石について調べる場合、資料としてこの全集を活用した。しかし、全冊を読んではいない。
漱石のように何度も様々な出版社から全集が刊行された作家はいないだろう。文芸書が売れた昭和では数多くの文人の全集が発行された。それに比べ、現代の作家は可哀そうである。よほど有名で、売れないと、出版社は全集を出さない。
私は大学卒業後、3部作や『明暗』を再読しなかった。忙しかったので、深刻な内容のこれらを開く気が起こらなかった。ただ、『坊っちゃん』と『草枕』は何度も読んだ。この40年間に前者は10回ほど、後者は5回ほど、人生の様々な時期に開いた。『坊っちゃん』の愉快さや『草枕』のロマンチシズムは疲れた心をいやしてくれた。
私は漱石に関する資料を何度も目にしている。
私は退職後に5年かけて四国を歩き遍路で回った。春と秋に四国を訪れ、一週間くらい歩いた。せっかく遠方の地に来たのだから、最終日を観光に当て、自分が興味のある場所に赴いた。それで松山を訪れた際に、『坊っちゃん』に登場する道後温泉や市立子規記念博物館に足を運んだのである。道後温泉本館では、漱石が利用した部屋を見学することも出来た。
即天去私の掛け軸がかかっている。
漱石に関する石碑が近くにあった。私が好きな早坂暁(脚本家)の揮ごうによる。
道後温泉本館から歩いて5分ほどで子規記念博物館に着く。
松山では子規と漱石をとても大切にしている。
子規の資料が多いが、漱石の資料もある。
子規宛の手紙が残っている。達筆な字である。
漱石が暮らした住居「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」の再現。帰省した子規はここに身を寄せた。
その他、2年前には東京の新宿区立漱石山房記念館にも足を運んだ。新しい建物だった。
資料は撮影出来なかったので内部だけを撮影した。一つ気づいたことは、漱石は字が上手だということである。原稿用紙の筆跡がきれいだった。その他、再現された書斎にガスストーブが置かれてあったことにも驚いた。文明の利器をすでに使っていたのである。
桟に黒猫が。ユーモアがあっていい。
庭に回ると、胸像が建っていた。
漱石ファンなら一度訪れるとよいだろう。入館料は300円である。
私が社会に出てから新潮社から『新潮日本文学アルバム』というシリーズ本が刊行され、当然夏目漱石が入っていた。A4版のサイズなので場所をとらない。
記念館を訪れることが出来ない方はこの本で充分である。生い立ちから作品資料までの貴重な写真が満載されている。
このように見て来ると、漱石がいつの時代でも日本人から愛されていたことが分かる。国民的作家の代表であることは間違いない。
考えてみると、半世紀近くに渡って私は漱石の作品に親しんで来た。このきっかけを作ってくれた大学時代の友人にはとても感謝している。
――― 終わり ―――