お遍路通信7の(2)の続きです
内子座を後にしてしばらく歩くと、八日市・護国街並み保存地区の入り口に着きます。ここからが有名な保存地区です。
道の両側に昔の家並みが続きます。600mあるというから、驚きです。91棟が国から保存建築物に指定されているそうです。
格子戸が素晴らしい。このような建物がこれでもかこれでもかと現れ、圧倒されます。
上芳我(かみほが)住宅は重要文化財です。明治時代、木蠟(もくろう)産業で財をなしたそうです。
家並みはさらに続きます。関東では埼玉県の川越市の家屋群が有名ですが、内子には適いません。
八日市・護国町並み保存センターという建物が目に入ります。
このあたりで、記念撮影です。
保存地区の道を戻ります。再び本町通りに出ました。そこに、商いと暮らし博物館が開いていました。
内子座に行くと、今度は開館していました。現在、9:30。約一時間保存地区を歩いていたことになります。リュックを背負って3kmほどぶらつくのは疲れます。
親切にもボランティアの案内人の方が説明してくれます。この建物も国の重要文化財です。すごい造りです。
大正時代の初期に町の有志によって建てられたそうです。明治時代この町がいかに繁栄したかが分かります。ここでは歌舞伎も行われます。写真には載っていませんが、舞台下の地下(奈落といいます)も見学しました。
内子座を出発し、町外れにある「道の駅フレッシュパークからり」に向かいます。そこで休みます。「からり」は我々が進む国道379号のそばにあります。
10:12、着きます。ふるさと旅館を出発したのが5:55ですから4時間20分行動していたことになります。歩いた距離は、内子の街中を行ったり来たりした分を合わせると約12キロです。
そこでアイスコーヒーを飲みます。空は曇天から日本晴れに変身しています。暑くなってきました。
国道379号を進みます。しばらくすると、呼び止められました。振り返ると、私より年配の女性が妻に近づいてきて、「お接待です。これで冷たい物でも飲んでください」と言い、小銭220円を手渡されました。現金をいただいたのは初めてなので驚きました。お礼に納札を差し上げます。彼女は以前、車でお遍路をしたり、高野山に参ったりしたということです。記念に妻と一緒に写真を撮りました。お接待、ありがとうございます。
国道をひたすら歩きます。両側に山が連なる山峡の地です。次に訪れる大瀬地区まで約8キロあります。
長岡山トンネルがあります。長さは392mです。この辺まで来ると、標高が高くなって来たことが実感されます。
後ろからやって来た年配の女性お遍路さんが私たちを追い抜きます。年の頃は私と同じくらいですが、速度は私たちより速いです。
11:53、お遍路無料宿に出会います。閉まっていますが、横にベンチがありました。そこで先ほどあった女性のお遍路さんが休んでいました。彼女は「一服したので、出発します」と言って譲ってくれました。女性のお遍路でタバコをたしなむ方に初めて会いました。彼女も私たちと同じくふじや旅館に泊まるそうです。今晩は楽しみです。
昼食にします。コンビニで買ったパンや菓子類です。あまりお腹がすかないので、昼食は簡単に済ませます。
再び歩きます。国道のそばを小田川が流れています。
大瀬地区に入ります。私にとって今日の最大の目的は、若かりし頃熟読した大江健三郎の故郷を訪問することです。内子の街の散策ではありません。胸が高鳴ります。
国道沿いの果物店の前に差し掛かった時、店の女性から妻が声を掛けられます。「休んでいきなさい」という。たぶん私一人だと声を掛けられないと思います。お接待の声を掛けるのはほとんど女性です。女性同士だと気軽なのでしょう。妻がいてよかったと思うのはこういう時です。「からり」を出てから連続して受けるお接待です。
女性は八十歳だそうですが、そのお年には見えません。旦那さんをなくしたそうです。旦那さんと車で八十八か所の幾つかを巡ったとも話しました。私が大江健三郎の話をすると、旦那さんが大江健三郎の小・中時代の上級生(1学年上)だと話され、旦那さんから聞いた興味深いエピソードを教えてくれました。それは、子どもたちが小田川に飛び込んだり、泳いだりする時、大江は参加せず、大きな岩に座ってじっと遠くを眺めていたという話です。小さい頃から変わっていたという。
小説家になる人は大体が変人です。大江少年は何を夢見ていたのでしょう。岩に座る大江少年の姿が目に浮かびます。
おばあさん、貴重なお話、ありがとう。帰り際、みかんを四つ持たせてくれました。お返しに納札を渡します。梨とみかんのお接待、ありがとうございます。
緩やかな傾斜が続きます。
交差点が現れます。大瀬中学校の体育館の屋根が右下に見えます。私たちは国道の遍路道を逸れて左に曲がります。
小田川に架かっている新成屋橋を渡ります。そこが旧大瀬村の集落です。
集落を一本の道が貫いています。大瀬のメインストリートです。両側に家並みが続いています。想像以上に大きな集落です。
大瀬自治センターに寄ります。ここは内子町の出張所です。妻は前もってここに電話を入れてました。「大瀬の館」を見学する際は予約が必要だったのです。
13:43、大瀬の館に到着します。「からり」を出発したのが10:30でしたから、3時間歩いたことになります(食事時間を含めて)。センターの職員が館を鍵で開けてくれます。この館に寄った訳は大江健三郎の資料が展示されているからです。
大江のパネルが掛けられています。
故郷を舞台にした作品に出てくる地名とその地図です。
古い単行本の詰まった本棚があります。
大江に関する資料は予想外に少なかったのですが、作品に登場する場所の資料は私にとって貴重です。
私は、学生時代、彼の初期の作品の『飼育』や『芽むしり仔撃ち』を読んで感動しました。これらは故郷と思われる山村を舞台にしています。
20代前半でこれらの作品を書いた才能に驚かされました。彼のみずみずしい抒情性と目に優れた創造力は、川端康成に「芥川龍之介の再来だ」と言わしめました。
その後の活躍を見ても、彼がノーベル文学賞を受賞したのは当然です。
私の青春時代(40年以上前ですが)、学生に人気のあった作家は、純文学では、三島由紀夫、阿部公房、大江健三郎がBEST3で、エンターテインメント系作家では五木寛之が断トツでした。誰の部屋に行っても、この四人の作品のいずれかがありました。ちょうど今の若者に村上春樹が人気があるのと似ています。映像が幅を利かしている現代と違い、文章言語が威勢を誇っていたのが昭和です。当時の若者の方が書物を購入したように思います。
記念に館の前で写真を撮ります。
次にいよいよ大江健三郎の生家に向かいます。この先にあります。大江少年が走り抜けて行くような錯覚を覚えます。
ここが生家です。現在も使われているのでしょうか。大江家はかつて和紙の原料であるコウゾを扱う大きな問屋だったそうです。
生家の前で記念撮影。すみません。
大瀬地区を流れる小田川です。この川の岩に腰かけて大江少年は何を夢見たのでしょうか。
大瀬地区に別れを告げ、遍路道の国道に戻ります。そこから大瀬小学校が遠望できます。中央の建物です。木材の生産地のため木造校舎です。新しく素敵な構造です。
しばらく歩くと、小さな休憩所があります。駐車場に我々を追い抜いていった車が止まっています。ドアが開き、若者が近づいて来ます。なんでしょう?
彼は私たちに「お接待です」と言って柿を二つくれました。車のナンバーや話から地元の青年のようです。二十代後半かと思われます。そして、大宝寺に行くルートや松山市の通夜宿や善根宿を教えてくれました。以前、通夜宿や善根宿を利用したり、野宿したりして歩き遍路で八十八か所を回ったそうです。最近近所の年配の方が民宿を利用して回ろうとしたが、金がないので中止したとも言ってました。「歩き遍路はぜいたく遍路ですからね。あなた方がうらやましいです」と言われました。「うらやましい」という言葉を聞くのは今日3回目です。お金をくれた女性の方や梨をごちそうしてくれた女性の方からも言われました。
「歩き遍路はぜいたく遍路」という言葉はけっこう有名です。私たちは出来る限り安い旅館に泊ったりして旅行していますが、そのようなお遍路が出来ない方々にしてみればそう思うのでしょう。
歩き遍路にはお金がかかります。後で計算したら今回の費用は二人で14万9千円ほどかかりました。私たちは年2回の費用を工面するために普段の生活は質素にしています。
歩き遍路は、金、健康、時間の3つの余裕がなければできません。それが可能な私たちは、自分で言うのは変ですが、幸せなのです。そのことを忘れてはいけません。それを感謝するために札所を参拝するのです。このことを肝に銘じなければいけません。
「あなたと写真を撮りたい」と私が提案したら、断られました。そのためここには載っていません。しかしこの青年と出会えたことは大切な思い出になりました。
納札を渡して別れます。これも一期一会です。いろいろなアドバイス、ありがとう。また柿のお接待、ありがとう。
小田地区を目指して再び歩きます。「からり」からここまで10キロしかないのに、3人の方からお接待を受けました。愛媛県の方はなんて優しいのでしょう。
今15:00を過ぎた所です。妻の影が伸びたような気がします。道は緩やかな上り坂です。標高が少しずつ高くなっています。
脚が痛くなってきました。腿やふくらはぎがこわばっている感じです。足のマメも痛いです。運よく休憩所が見えました。少し休みます。早くふ
じやに着きたい。そればかり思うようになってきます。
標識が見えます。道の駅まで4キロ。目指すふじやはその先ですから、4.5キロはあると思います。1時間と少し歩けばよいのです。
うろこ雲の空がきれいです。今16:09。少し赤みがかかっています。日が暮れようとしています。
山の上に家が建っています。今日、このような風景をたくさん見ました。平地がない山の暮らしがうかがえます。
小田小学校が見えます。大瀬小学校と同じく木造です。木材の持つぬくもり感が子どもたちの心を優しく育てるでしょう。大瀬地区もそうですが、小田地区の子どもたち(小学生から高校生まで)も必ずすれ違いに挨拶をします。これが田舎のよさです。そう言えば大洲市でも遊んでいた小学生の女の子の集団から大きな声で挨拶されました。
「道の駅小田の郷せせらぎ」に着きますが、ここには寄りません。「からり」から「せせらぎ」まで約17.7km歩いたことになり、標高差は約130mあります。
17:05、ふじやに到着します。やったー!5:55にふるさと旅館を出たので、約11時間行動(歩いたり、休んだり)していたことになります。
建物はけっこう古いです。昔の旅籠といった趣です。女将さんの話によると、私たちも含めお客は3人だそうです。ということはもう一人は途中で会った女性のお遍路さんです。彼女はもう到着していました。奥の部屋の前にスリッパが置いてあります。
部屋は古いですが、二間あります。この旅館にも電気蚊取り線香が置いてありました。私は蚊にさされやすいので、早速付けようとしますが、腰が曲がりません。かなり疲れた証拠です。ちなみに妻は元気です。うらやましい。
この後、お風呂に入りました。旅館に着いたら、何よりもお風呂です。入浴後、ふくらはぎに湿布、マメにカットバンを貼ります。私は毎日貼っているのに妻は一度も貼りません。私より強靭です。
風呂から出たら、夕食です。夕食の内容はご覧の通りです。魚と野菜がメインです。お遍路は修行が第一ですから、全部平らげます。
この席で女性のお遍路さんと言葉を交わします。とは言っても、妻とほとんど話しています。なんと明日と明後日の宿(八丁坂、桃李庵)も同じであることが分かりました。みんな、同じように計画するのですね。3日間一緒になる方は初めてです。
この方は滋賀県の大津からいらっしゃった方で、私たちと同じく年2回春と秋に行っていますが、2回で一巡りするということでした。春は徳島と高知県、秋は愛媛と香川県だそうです。したがって今回は20日くらいの旅のようです。なんと7年連続して行っているということですから、驚きです。
部屋に戻り日記を付けます。9時頃、眠りに落ちました。
そう、そう眠る前に今日のまとめを行います。
t天気 曇後晴 歩行距離 30.3km(ふるさと旅館~ふじや旅館) 歩行時間(休憩時間を含む) 約11時間(5:56~17:05)
標高差は約170m(ふるさと旅館11m ふじや旅館188m) 今日は距離に悩まされた旅でした。内子の街を行ったり来たりしましたが、念願の大江健三郎の生家を訪れることが出来、満足しました。 宿泊代(2食付) 7000円
この続きはお遍路通信7の(4)・愛媛編・2017で紹介します。お楽しみに。




















































