※お遍路通信5の(2)の続きです。

 部屋は新しかったです。シンプルな作りが気に入りました。テレビも新しかったです。
                    148部屋

 部屋から海が見えるのが気に入りました。風呂に入りたいのですが、たいていの民宿は先客順です。入浴の連絡がるまで部屋で待ちます。スマホで日記を付けました。
                    149部屋から見える風景

 夕飯が5時なのには驚きました。腹がすいていたのでよかったです。この宿は鯖(さば)の刺身で有名でした。評判通り、おいしかったです。海なし県の栃木県出身なので、鯖のさしみは始めてでした。とにかく新鮮で、臭みが全くありませんでした。さつまあげも絶品でした。焼き魚や鍋料理の味も抜群でした。女将さんが調理していましたが、その腕はかなりのものです。「なずな」同様、料理で勝負する民宿です。ここも◎です。鯖が食べたい方に推薦します。
                    150夕食

 鍋料理の写真を撮ろうとしたら、湯気でくもってしまいました。
                    151鍋料理

 この宿で二人の歩き遍路男性と夕飯を共にしました。一人は東京から来た75歳のベテランお遍路さん。もう一人は佐世保出身の50代かと思われる男性。
 彼らと話が弾み、席が盛り上がりました。
 その最大の理由は妻の存在です。普段は饒舌でないのに、お遍路に行くと、積極的に他人と話します。したがってどの相客とも会話が生じます。
 男同士というのは、意外と人を見るので、話が続かない時があります。異性同士は、女性の方で警戒するので、話がなかなか弾みません。
 妻の人柄もあるのでしょう。二人の男性は、相席に座っているのに隣席である我々の方ばかりを向いて話していました。私も話好きですが、二人の男性は私よりも妻と話すほうが楽しいようでした。特に高齢者の男性にその傾向が見られました。
 その方は新小岩に住まわれ、今回で12回目の通し打ち(八十八箇所を1回で回ること)だと話しました。毎年1回、3月に行っているとのことでした。今回は逆打ちだそうです。
 75歳とは思えない人です。白髪頭ですが、肌のつやがよく、舌が滑らかで、頭の回転が速い。そのうえ平均40キロ歩くと聞いて、私は卒倒しそうになりました(笑)。時には50キロ歩くとも付け加えました。私達は25キロです。30キロを過ぎると、疲れが次の日に持ち越されます。
 彼は27日間で通し打ちを行います。全ての宿泊先を予約してあるとのことでした。通し打ちの平均日数はは大体40日です。それを75歳のお年寄りが10日以上早く回るのです。まさに、この方、スーパー老人です。毎日荒川の土手を歩いて、健脚の維持に努めているという話でした。話の内容から相当のインテリであることも分かりました。
 こういう方に出会えるから、歩き遍路は楽しい。10年後、この方のような後期高齢者に自分はなれるだろうか。自信がありません。
 話に弾み、この方との写真を撮るのを忘れました。
 新小岩のお年寄りフォレスト・ガンプさん(勝手になづけさせていただきました)、佐世保の方、話し相手になっていただき、ありがとうございました。
 今日もずいぶん歩きました。いよいよ明日は足摺岬にある終点の金剛福寺です

 歩行距離 約26km 所要時間 9時間20分

 
 3月16日(水)[7日目] 晴 金剛福寺(38番) 足摺テルメ(土佐清水市)泊

 
 「いさりび」の朝食です。鯖の干物が絶品。シラスと大根おろし、味噌汁もうまい。ていねいな調理が感じられます。完食します。夕食も朝食も完食するせいか、歩いている最中、あまりおなかがすきません。栄養をたっぷりとっているのでしょう、お遍路が終わっても毎回体重は減りません。
 お接待として、焼お握りの弁当が置かれていた。ありがたい。ここの経営者ご夫婦、一見無愛想で取っ付きにくいが、仕事が丁寧である。料理やサービスによく現れている。「男は黙ってサッポロビール」という昔のコマーシャルを思い出しました。
                    152朝食

 さあ、歩くのも今日が最後です。金剛福寺まで約24キロの道のりです。7時出発。朝日がまぶしい。今日もいい天気だ!
                    153朝日

 国道321号を歩きます。遠くに霞むのは足摺岬でしょうか。
                    154遠くに足摺岬

 久百々(くもも)海岸を通ります。
                    155久百々海岸

 ひたすら国道を歩きます。アップダウンが続きます。きつい坂を上っている時、「人はどうして生きているのか」「自分はなんのためにこんなことをしているのか」という想念にとらわれる時があります。「それを考えるためにお遍路しているのだ」「自分の修行のために歩いているのだ」と、もう一人の自分が答えます。それが真実の答えなのか自信がありません。最後は堂々巡りのようになり、やがて考えること自体が苦痛になってきます。代りに、早く目的地に着きたいとか、風呂に入りたいというような、即物的な現実的な考えに取り付かれます。
                    156国道321
 
 遍路道の標識が。ここを行って見ましょう。アスファルトばかりでは足が疲れます。
                    157遍路道の標識

 土の道は気持がいい。 
                    158遍路道

 大岐松原に出ました。砂浜が遍路道になっているので歩きます。
                    159大岐松原標識

 足摺半島の東側には砂浜があったりします。断崖絶壁が連なるリアス式海岸は半島の西側なのです。
 かなり長い砂浜です。海水浴には不向きな感じ。
                    160大岐松原

 再び国道に出ると、9時半ごろ以不利漁港に着きました。トイレがあるので漁港の中を歩きます。
                    161以不利漁港

 漁港の外れにある遍路道を歩いていたら、椿がたくさん落ちている所に出ました。この辺りから足摺岬まで、たくさんの椿が群生していました。後で調べたところ、椿は土佐清水市の市の花だと分かりました。
                    162椿道

 土佐清水の市街に通じる国道321号と別れ、県道27号に進みます。
                    163県道27号に入る

 県道の下には岩礁が多くなってきました。
                    164県道から見た岩礁

 県道の道端に腰を下ろして昼食です。車があまり通りません。
                    167道端で昼食

 昼食は、「いさりび」で提供されたお接待弁当です。焼お握りが2つと甘酢漬けの大根2切れ、卵焼きの小片が一つ入っていました。普段の昼食が菓子類等なので、今日はボリュームがあります。
                    168接待弁当

 足摺岬の「足摺」とは足を引き摺るという意味です。昔はそうしなければ辿りつけなかったのでしょう。難所だったのです。足に筋肉痛を覚えます。つぶれたマメの痛さも感じます。自然と重い足取りになって来ました。妻も同じです。しかし岬までもう少しなので、辛抱、辛抱。
                    169岬までもう少し

 到着しました。ここは展望台の入り口です。小公園になっており、トイレがにあります。一休みします。ホッ。
                    169足摺岬

 園内にジョン万次郎の銅像がありました。そこで記念撮影。以前、井伏鱒二の『ジョン万次郎漂流記』を読み、面白かったことを思い出しました。彼は土佐清水市のヒーローです。
                    170ジョン万の銅像

 展望台に行くと、右手に足摺岬灯台が見えました。ここも室戸岬の灯台同様、台風の際、ニュースの天気予報でよくお目にかかります。
 展望台も灯台も断崖絶壁の上にあります。かなりの高さです。下を見るのが恐いくらいです。波頭が岩礁にぶつかり、砕け散っています。左ての方にも断崖がありました。
                    171灯台

 こうしていると、田宮虎彦の名作『足摺岬』を思い出しました。40年前の学生時代に読んだので、内容は忘れてしまいましたが、自然描写の巧みさが印象に残っていました。今回、足摺岬に行くので、再読しました。正直、暗い小説だと思いました。救いのない結末は今の私には好きになれません。文庫内の他の短編も読みましたが、暗さを売り物にしているような感じがして閉口しました。ただ、文章は上手です。
 『足摺岬』や井伏鱒二の『へんろう宿』を読むと、昔のお遍路さんの中には救いを求めて、止むに止まれぬ旅をしていた人が多かったと想像されます。現代のお遍路と大きく異なります。
 『足摺岬』を読むと、私は、現代が過去に比べいかに恵まれた時代であるか再認識されます。不平をこぼしてばかりいる人達や、すぐ社会のせいにする人達がいますが、彼らこそ歩き遍路をすべきだと思います。
                     172展望台

 38番札所金剛福寺は足摺岬展望台のすぐ近くにありました。高知県は「修行の道場」と呼ばれています。37番岩本寺からここまで約80キロあります。札所間最長距離です。よくここまでたどり着いたと感慨無量です。
                     173金剛福寺

 じっくりと参拝しました。私が手を合わせて願うことは、主に3人の子どもの幸福と、2人の孫の成長です。死者の供養より、生者のための祈願に力を置いています。
 ここの本堂は風格が感じられます。境内がきれいに整備され、大きな池が効果的に配置されています。室戸岬突端にある最御崎寺同様、威厳のあるお寺です。土佐の東西の先端にこれらの寺が建立されたことは大きな意味があると思われます。海の果てに補陀楽浄土を見たのでしょうか。
                     174境内

 今夜の宿泊先の「足摺テルメ」は寺から離れた高台にあります。連絡すると車で迎えに来てくれました。
 いかにも南国にふさわしい白壁のリゾートホテルです。外側の形も内部の造りも素敵でした。ここは元々国民宿舎だったそうです。ゆえに敷居が高くありません。値段はとてもリーズナブルでした。
                     175足摺テルメ
 
 今回の旅で始めてのベッドです。すぐにお風呂に行きました。ビジネスホテルやリゾートホテルがいいのは、待たないでお風呂に入れることです。大きく、サウナもあり、人がほとんどいないので、最高でした。露天風呂から見る海はこのうえない贅沢!

                     176部屋

 夕飯はいま一つでした。和食です。ただ、てんぷらは美味しかったです。
                     177夕食

 歩行距離 約24km 所要時間 8時間10分

 
 3月17日(木)[8日目] 晴 車中泊

 今日は最後の日なので、観光に時間を費やします。そう思うと、気分は爽快です。天気も快晴です。マメは痛いけれど、脚のふくらはぎの筋肉痛は湿布のおかげで取れました。
 朝食はバイキングです。洋食があって助かりました。朝はパン党なので、久しぶりのトーストに思わず笑みがこぼれました。果物もジュースもおいしかったです。普通の2倍の量を食べました。ここの朝食は◎です。
                     178朝食

 テルメでバス乗り場まで送ってくれます。それまで時間があったので、屋上に上がったり、敷地を散策しました。高台にあるため、テルメの屋上からの眺めは絶景です。太平洋が左目の左端から右目の右端にまで広がっています。青い海、水色の空、白い雲、金色の太陽。これらを見ていると、青春時代をまた思い出しました。高校生や大学生の頃、リュックをかついてヒッチハイクをしたり、周遊券切符で鉄道に乗ったりして、九州や北海道を一人旅しました。自分で言うのも変ですけど、ロマンチストなんですね。あの頃出会った人々、特に女性たちの顔が浮かんできます。
                     179テルメの屋上

                     180太平洋

 バス乗り場センターからバスで四万十市の中村駅まで行きます。1時間40分掛かります。バス代は2000円くらいしました。バスは土佐清水市の市街を経由するので、県道27号の来た道を戻るのではなく、半島の西側を走ります。
                     181バスセンター

 乗車客は少なく、私達のような観光客よりも地元の高齢者の方が多かったです。途中、地元らしい若者が2名乗りました。
 西側が断崖絶壁が連なっているのには驚きました。リアス式海岸は足摺岬からこの西側の方に続いているのです。バスが落ちそうな感じです。次回、この絶壁の県道を歩きます。その時、一帯の写真をご紹介しましょう。市街に入る前に、ジョン万次郎が生まれた中の浜地区を通りました。彼の姓「中浜」はここから来ているのかと思いました。
                     182バスの中

 車窓から土佐清水の市街が見えてきました。予想以上に大きな市街地なので驚きました。大型スーパーや病院の前で停まります。高齢者の乗客のほとんどがこの二つの停留所で乗降しました。
                     183土佐清水港

 中村駅に着きました。旧中村市は高知県西部の中心地でした。幸徳秋水がここの出身です。墓もあります。高知県から幕末の志士たちがたくさん誕生しました。その流れで明治時代、自由民権運動の政治家や思想家が現れました。反骨の伝統があるのです。秋水もその一人です。
 学生時代、政治や社会科学にも少々興味を抱いていた私は、中江兆民や秋水、馬場辰猪などを調べたことがあります。
 この次に行く宿毛市も、歴史に名を刻んだ政治家や闘士を産んでいます。辺境の地からこのような人材がたくさん輩出したところに動乱期の面白さがあります。
                     184中村駅

 11時13分発の特急に乗ります。高知駅まで約2時間かかります。料金は4100円です。単線、ディーゼルです。窪川までくろしお中村線といい、そこから高知まで土讃線といいます。なんと中村まで鉄道が延びたのは昭和45年と聞いて驚きました。
                     185特急
                     186ホーム

 車内です。客が少ないです。席は海側を取りました。光にあふれ気持のよい席です。
                     187車内

 なじみの深い駅や街が流れていきます。電車から見る光景は歩き遍路から見た景色と少々違います。そのずれが面白いです。
                     188車窓風景

 1時10分、高知駅のホームに着きました。高架線のホームなので見晴らしが効きます。気持のよいホームです。
                     189高知駅ホーム
 
 バスの出発が夜の7時40分です。観光時間が少ないので、高知県立文学館を再訪しました。前に訪れましたが、じっくり鑑賞する時間が足りなかったのです。かつての文学少年文学青年で、現在文学老人である私は、高知県出身、高知県にゆかりのある作家から大きな影響を受けました。
                     190文学館

 その一人、山本一力。彼の小説より、彼の随筆が気に入りました。彼は苦労人です。彼のような人が最後に逆転ホームランを打って報われる。これがうれしい。宮尾登美子と同じです。借金、離婚・・・、人生の辛どん底から這い上がって成功をつかんだ人たちです。
 直木賞作家には苦労人が多い。ゆえに人間をよく知っている。
                     191作家

 こちらは清岡卓行。この名を知っている人は少ないでしょう。芥川賞作家です。彼は1969年に『アカシヤの大連』で受賞しました。この本を始めて読んだのは高校3年の時でした。以来、45年間に何十回と読みました。作者と思われる主人公は大学生。大連での青春の1ページがその内容です。
 主人公の考え方や生き方が自分と似ていたから惹かれたのでしょう。主人公も究極のロマンチストなのです。
                     192作家

 他に寺田寅彦や安岡章太郎の作品をかつて愛読しました。寺田の全集を持っています。中でも『コーヒー哲学序説』という随筆はコーヒー党にお勧めです。
 なお、寺田寅彦、山本一力、清岡卓行、この3人に共通するものはなんであるかご存知ですか。彼らは下戸、甘党なんです。私と同じです。うれしいですね。高知の作家が酒豪ばかりだと思うのは間違いです。
 なお、小説家=酒飲みという図式は間違っています。夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、志賀直哉、川端康成、松本清張・・・、彼らは皆下戸です。文豪には下戸が多いのです。
 左党もいれば、下戸もいるのが人間社会。多様性を認めることが大切でしょう。それに関して、今は昔に比していい時代になってきました。少数派にも光が当てられるようになってきたからです。この流れをさらに推し進めることが大切ですね。
 
 高知駅の北口から長距離バスが出ます。
                    193北口

 早めに夕食。北口駅前のラーメン&カレー屋「團十郎」。前回もここでラーメン。久しぶりのラーメン、おいしかったです。
 このお店には、アコースティックギターがたくさん壁に飾られている。ギター好きの人にはお勧めの店です。
                    194ラーメン屋

 7時40分、予定通り、バスに乗りました。後は寝るだけです。約10時間半のバス旅。
                    195バスの中

 
 3月18日(金)[9日目] 晴 帰宅

 朝の6時7分に池尻大橋に着きました。ありがとう、ドリーム高知号!
                    196さようなら

                    
 近くのマックで、コーヒーとホットケーキで朝食。その後、長女の所に寄りました。孫に会うためです。
 午後、渋谷から埼京線に乗ったり、大宮で宇都宮線に乗り換えたりして、午後4時31分、無事故郷の駅、西那須野に着きました。
 今回の旅は、夕食のおいしい宿に恵まれました。また、ネストウエストや足摺テルメなど再訪したくなる宿にも恵まれました。前述しましたが、これらの宿を発見し、予約したのは妻です。我が家のツアコンである妻殿に感謝です。
 次回のお遍路は10月下旬から11月上旬にかけての期間を予定しています。いよいよ愛媛県に入ります。愛媛は「菩提の道場」です。どんな風物や人達に出会うのでしょうか。