若い頃から私の趣味は読書、音楽、映画、絵画の鑑賞で、今でも変わってない。
読書は一番早く小学生の頃に目覚めた。次に中学生の頃から始まった音楽。主に洋楽ポップス。高校生になって入れ込んだのが映画それも洋画の鑑賞だった。絵画鑑賞を行うようになったのは大学に入ってからだった。
20歳を過ぎた頃だろうか、画集か何かでフェルメールの『青衣の女』を初めて見た時、心が震えるような美的感動を経験した。
他のジャンルにおける感動はある程度言葉で説明出来るが、絵画は難しい。私の場合、作品の細部がどうこうというのではなく全体の印象で、それも直観で決まる。
この時からフェルメールの画集を購入し、時折眺めるようになった。1970年代当初はまだフェルメールのブームは起きてないため、外国の美術館所蔵の『青衣の人』や『真珠の耳飾りの少女』を国内で鑑賞する機会は訪れなかった。
その経験を切り口に絵画に興味を持ち、外国の有名画家の画集を繙くようになった。日本人の多数派と同様、印象派の画家に一番惹かれた。
それから約半世紀、私の絵画鑑賞の領域は広まり、多くの展覧会に足を運んだ。
西洋絵画ではイタリア・ルネッサンス、ゴシック、バロック、新古典主義、ロマン主義、写実主義、後期印象主義等の作品、日本の絵画では明治以降の洋画・日本画を鑑賞した。
ただ、江戸時代以前の日本の絵画や中国の絵画には感動しなかった。美術館で雪舟、南画、林派、中国の山水画などに目を触れる機会があったが、見惚れる経験はなかった。
退職してから図書館に行くようになった。そこには『芸術新潮』などの美術誌や各地の芸術作品をも紹介する旅行雑誌が置かれていた。
70歳を過ぎた頃、そこに載っていた俵屋宗達の『風神雷神図屏風』(以後、風神雷神図)と尾形光琳の『紅白梅図屏風』(以後、紅白梅図)及び『燕子花図屏風』(以後、燕子花図)の写真に突如魅せられた。いずれも国宝である。
俵屋宗達:風神雷神図屏風
尾形光琳:紅白梅図屏風
尾形光琳:燕子花図屏風
同じ頃、NHKの「日曜美術館」で上記の作品の番組を見た。その時、カチッと心の中のスイッチが入った。
これらは有名なので何度も目にしたことがある。しかし、その時は何の感興もわかなかった。
古稀を過ぎてから受容出来たのには何らかの理由があろう。半世紀にわたって絵画を観て来た結果、眼が養われたのではないかと思っている。
実物を是が非でも観たい。そう決心した。
今年に入りネットで上記作品の展示期間を調べたら、いずれも一定期間のみ公開されることが分かった。
MOA美術館(熱海)にある『紅白梅図』は1月下旬から3月中旬まで、根津美術館(東京)にある『燕子花図』は4月中旬から5月中旬まで。開化季節に合わせて公開されている。粋な計らいだ。
いずれも我が故郷から日帰りで行ける。
ところが、京都国立博物館にある『風神雷神図』は大阪万博に合わせ4月から6月までの期間だという。4月に奈良に桜鑑賞の旅をするので、予算の関係上2度関西には行けないゆえ、又の機会にすることにした。
今年の2月28日、私と妻はMOA美術館に行った。
在来線で宇都宮まで行き、そこから上野東京ラインで熱海に直通で行ける。東北線と東海道線の相互乗り入れが行われるようになったのはいつからだろう。10年前にもこのラインで熱海に行った。とても便利である。
今回も前回同様グリーン車に乗った。小田原を過ぎると2階席から相模湾がよく見える。海では光が跳ねている。こういう景色を眺めていると幸福感に満たされる。グリーン車に乗って大正解。
熱海駅に着くと、バスでMOA美術館に向かった。
実は30年以上前に友人たちと車で行ったことがあった。熱海で海鮮料理を食べるのが主なる目的で、美術館はそのついでに寄った。当時光琳に全く関心がなかったせいか、『紅白梅図』のことは全く覚えてない。
記憶にあるのは暗い照明の中エスカレータに乗ったことだけだった。
しかし今回気づいたのだが、相模湾が一望できるのは素晴らしい。高台という立地条件が生かされている。
この館の特長は所蔵ケースのガラスである。入場者はガラス越しに鑑賞するのだが、ガラスが存在してないように見えることだ。すごい透明度である。そして光が反射しない。特殊な技術で作られたのだろう。下手するとおでこをぶつけてしまう。
こんなすごいガラスにお目にかかったのは初めてである。ずいぶん金がかかっただろう、さすが宗教法人だと妙に感心する。
『紅白梅図』の前に立つ。人が少ない。じっと絵を観る。なお撮影可である。太っ腹な美術館である。ガラス越しに撮影しても光が反射しないのできれいに撮れる。
この美しさは何なのだろう。美の前には沈黙しかない。
おでこを近づけ、その後後ろに下がって観、それから左右からも覗いた。
構図が面白い。向かって右側に紅梅、左側に白梅を配置し、その間に川が流れているが、下に行くにつれ広くなっている。言うまでもなく上流は狭く、下流が広いことを表しているだろう。
梅は具象で描かれている。苔がまぶされた幹は重量感があふれている。無駄な小枝が払われ、剪定が行き届いている。「梅切らぬ馬鹿」という言葉はこの時代にもあったのだろうか
一方、川は抽象で表現されている。幾何学的な水紋の渦も特徴的だ。
両者の対比が美に貢献している。
色を観てみよう。
まず目を惹くのが金色で、絵の半分を占めているので迫力がある。「金地」といい、地面を表している。今は鈍く光っているが、完成した当初は光り輝いていただろう。その眩しさに鑑賞者から嘆声が上がったのではないだろうか。
川は焦げ茶色であるが、水紋には銀が施されたらしい。現在肉眼で識別するのは難しい。金より銀の方が燻るのだろうか。
金と銀の対比の効果も鑑賞者の目を奪ったのに違いない。
次に印象的だったのは、花弁の色である。花弁は小さいので紅と白が点描風に施されているのだが、数が少ない。このことがかえって芸術的完成の効果を高めている。
以上のように分析することも大切だが、私が重視するのは第一印象の直観である。
直観で感動する。美に魅せられる。この瞬時の心的作用が絵画鑑賞の醍醐味だ。
他に書跡典籍などが展示されていたが、『紅白梅図』の印象が上書きされるのを避けるため時間を掛けない。
ゴールデンウイークが終わったある日、妻と『燕子花図』を見に行った。本作を所蔵している根津美術館に入るのは初めてである。近くの岡本太郎記念館は訪れたことがある。 根津美術館は古美術(江戸時代以前)のコレクションのため、足が赴かなったのだ。
今回の展覧会のチケットはオンラインで入手できた。チケットはスマホ表示である。 スマホ(もしくはパソコン)とクレジットカードがあれば自宅で済ませられるのでとても便利だ。チケット売り場に並んだり、コンビニで買ったりする煩わしさから解放された。
時代はこうして変わっていく。老人は付いていくのが大変だが、対応せざるを得ない。慣れれば楽だ。それに時間指定の鑑賞なので混雑は免れる。
平日のせいか、来場者の大半は年配である。私たちのような高齢者も多い。
早速『燕子花図』に向かった。なお、本作も含め展示作品の写真撮影は不可である。
六曲からなる屏風(横幅が約3.4m、縦が約1.5m)は2つあり、左の屏風では真ん中から下部にかけ、右側の屏風では上部に、垂直の燕子花が具象で描かれている。それも群生の様子を活写しているので迫力がある。
その中で私の目をとらえたのは、花弁の色である。解説には群青と記されているが、濃紺のようにも見える。
(資料写真)
他に草の緑色と下地の金色しか使われてないので群青(濃紺)が引き立つ。緑と金が濃紺を支えていると言えるかもしれない。完成後300年経っているので金はくすんでいるが、完成した時は燦然と輝いていただろう。
『紅白梅図』『風神雷神図』なども金屏風である。金は昔も今も貴重ゆえ、憧れであり、権力の象徴でもある。
以前は金屏風の絵など好まなかったが、3つの名画のお陰でその魅力に惹かれるようになった。
『紅白梅図』の時と同じく、角度や距離を変えて鑑賞する。
三色の調和、群生の広がりは鮮烈な印象を与える。大げさに言えば、息を呑むような美しさでだ。
美は心を掻き立て、高め、癒す。
言葉では言い尽くせない至福のひと時。見続ける。目に焼き付けたと思った時、その場を離れた。
今回の鑑賞に当たり『燕子花図』をWikiで調べたら、燕子花の群生を描いたもう一つの屏風がアメリカのメトロポリタン美術館に所蔵されているという。『ハ橋図屏風』と言い、明治時代に流失したらしい。日本での公開を待ち望む。
尾形光琳は俵屋宗達から影響を受けたそうだ。それなら私のような『風神雷神図』『燕子花図』ファンにはうれしい。
現在、光琳の絵はこの2点しか興味がない。しかしこれらを突破口に他の作品や琳派の画家たちにも関心を抱くかもしれない。とりあえず宗達の『風神雷神図』を鑑賞することが夢である。
他に円山応挙の『藤花図』が展示されていた。薄紫の花房と緑の葉が精緻に描かれていた。
(資料写真)
この美術館は日本庭園が付設されている。
入場者の多くが鑑賞後、散策する。うれしいことに燕子花が満開である。鑑賞後に覚えた軽い疲れを癒してくれた。
実際の燕子花と絵の燕子花に違いが生ずるのはやむを得ない。
館を後にして駅に向かって歩いていた時、故郷へ向かう電車の席に腰を下ろしていた時、脳裏に『燕子花図』が甦る。
名画の力は素晴らしい。
ーーー終 わ りーーー
※次回は音楽シリーズに戻り、ベートーヴェンについて語ります。






















