アンブローズ・ビアスとハーマン・メルヴィルは、メルヴィルの方が年上なのだが、ビアスの作品を先に読んだので、ビアスをまず紹介する。
二人共、一冊しか読んでない。しかし私に与えた影響が大なので取り上げる。
1 アンブローズ・ビアス(以下略してビアス)について
(アンブローズ・ビアス:1842~1914)
私は大学生の時、ビアスの『いのち半ばに』という岩波文庫の短編集を読んだ。きっかけを覚えてないが、一時短編に凝ったのでその折読んだのだろう。
読んで私は、感動ではなく、感心した。短編はこうあるべきではないか。短編の見本のような作品のように思えた。
当時購入した本はいつの間にか失われたので後年新たに買い、半世紀の間時々繙き、本作の醍醐味を味わった。
私なりにその理由を分析してみる。
まず、作品のオチが上手いことである。
短編にはオチがあるものとそうでないものが2種類ある。えてして外国の作にはオチがあるものが多い。それに反し日本の作品には少ない。
外国の場合完全なフィクションであるのに対し、日本は作家の体験に基づく場合が多い。四季、花鳥風月を鋭敏な感受性で表現する伝統が確立していることも背景にある。中には小説だか随筆だかその境界が不明な作品もある。その代表は志賀直哉だろう。
(志賀直哉:1883~1971)
ビアスに惚れたのは芥川龍之介である。
(芥川龍之介:1892~1927)
ゆえに彼の作品には『奉教人の死』のようにオチが効いたものがあれば、『地獄変』『羅生門』のように歴史を題材にしたフィクションもある。
その彼が、自分とは正反対な傾向の作品を産む志賀を尊敬した。
ここからも分かるように日本ではオチがあるかないかではなく、描写や表現が秀逸すなわち芸術的に完成度が高いかどうかが評価の尺度になっている。
もちろんビアスの作品は芸術的完成度が抜群であるからこそオチも効いている。
さらに何と言っても小説の面白さ(醍醐味)を味合わせてくれることが挙げられよう。構成を巧みにし、ストーリーの展開に工夫を凝らしている。それを優れた描写力が支えている。
この短編集には7編収められている。元々26篇あったらしいが、訳するのにあたり7編だけを選んだらしい。
南北戦争に従軍した兵士に関する作品が4編(「空飛ぶ騎手」から「哲人パーカー・アダスン」まで)、市民に関する作品が3編(「人間と蛇」から「ふさがれた窓」まで)であるが、いずれも死を題材にしている。ただ訳者が言うように「死」そのものを問題にしたり「死」の意味を追求したりしているのではなく、「死」を前にしてあるいは「死」を巡って演じられる人間の悲喜劇を描いている。
(南北戦争)
それでは一つずつ見ていこう。
(1) 「空飛ぶ騎手」
構成が完璧な作品。旗手(騎兵)が崖から馬に乗ったまま落ちて行く場面は劇的効果を産んでいる。映画の場面のようだ。作品の背後に主人公父子の人生観が読み取れる。中高の教科書にも掲載されたらしい。本書の中で一番印象に残り、一番好きな作品である。
(2) 「アウル・クリーク橋の一事件」
死ぬ瞬間に見た幻覚を巧に表現した作品。まるで事実のように描いている点にビアスの筆力を感じる。ポーの怪奇小説を連想させる。ビアスはポーの一番弟子のようだ。
(3)「生死不明の男」
主人公は瓦礫の下敷きに会う。なんと傍にある銃口は自分に向いている。その恐怖がもたらす妄想を極限にまで押し広げた作品。最後にオチに時間のずれを使っているのも上手い。ポーの影響が濃厚。
(4)「哲人パーカー・アダスン」
「死」をめぐる会話のやり取りがすさまじい。死を達観しているパーカーは哲人のようだが、銃殺時間が早められると生存本能が湧き起こり、「生」に執着を示す。ギャップの皮肉が主題か。
(5)「人間と蛇」
恐怖が妄想を招くという点で「生死不明の男」と同類。本物だと思った蛇は実ははく製で、不気味に輝いていた目はボタンだったというオチが最後に示される。
(6)「ふさわしい環境」
構成が凝り過ぎて筋が分かりにくい。展開に矛盾があるように思えた。副主人公のショック死の理由も弱いような気がする。一番低い評価をつけざるを得ない。
(7)「ふさがれた窓」
獣の耳を歯で噛み取ったというオチが効果的。これまたポーの怪奇小説を連想させる。
岩波文庫では『いのち半ばに』の他『悪魔の辞典』も刊行していた。
私はこれも買って繙いた。
本書は独断と偏見に満ち、毒が効き過ぎだと思った。箴言や金言の高みに達していなかった。
現代のSNS時代にビアスが生きていたら、たくさんの視聴者を獲得するだろう。
私は『ラ・ロシュフコー箴言集』は好きだが、ビアスの見方にはついていけず途中で放擲し、いつの日か売ってしまった。
今回本記事を書くため再び求めたが、完読はしていない。
ビアスは小説家である前にジャーナリストだった。当時の新聞は事実の報道ばかりでなく政敵の糾弾も行った。彼はそこでも筆を振るったらしい。最後はメキシコで謎の死を遂げた。
本書におけるビアス像はこのような資質やキャリアと無関係ではないだろう。
ビアスと言えば、2000年に『ビアス短編集』が岩波文庫で発刊された。『いのち半ばに』に網羅されなかった作品を収めたらしい。いつぞや読みたいと思っている。
2 ハーマン・メルヴィル(以下略してメルヴィル)について
(ハーマン・メルヴィル:1819~1891)
もう60年前になるが、中学と高校時代に河出書房の世界文学全集カラー版を取っていた。その中にメルヴィルの『白鯨』が入っていた。モービィ・ディックという名の白いマッコウクジラのことを指している。
家に届けられたので読んでみたが、難しく、途中で放棄した。当時の理解力や鑑賞力では全く歯が立たなかった。
大学生になって再挑戦したが、やはり駄目だった。なおこれらの類には、フォークナーの『響きと怒り』や谷崎潤一郎の『細雪』がある。いずれも質量共に大作である。
以降何度か繙いたが、ついていけず、現役中の読了は諦め、退職したら読もうと先送りすることに決めた。
古稀を迎え、ようやく宿願を果たせた。岩波文庫で読んだ。
本作の刊行は1851年だが、受け入れられず、評価されたのは1920年代になってからである。
第一次世界大戦という史上最も悲惨な体験を味わったからだろうか。19世紀に比べ文明が急速に発達したせいか、人間の不条理や狂気を描いた本作は脚光を浴びることになり、アメリカ文学の最高峰に数えられるまでに至った。サマセット・モームから「世界の十大小説」に選ばれた。
メルヴィルも評価されたのだが、死後30年経っていた。生前中彼は筆一本で暮らしたかったが叶わず、税関の検査係等で糊口をしのいだ。正当な評価を味わえなかったという点でポーと同じである。
やがて全集が刊行され、『白鯨』は映画化された。
1969年にはロックバンドのレッド・ツェッペリンによって歌われた。
今や世界文学の最高蜂となり、様々な文化に影響を与えた。
彼が作家になるまでの経歴はすさまじかった。父が借金を残して死んだので15歳から働き初め、銀行で働いたり小学校教員になったり、それでも一家の生活がひっ迫し、夜逃げも経験した。
その結果、やむなく船員になったのだが、波瀾万丈はさらに続いた。捕鯨船の厳しい境遇に堪え切れず脱走したり、南洋の食人種と暮らしたり、船員暴動に巻き込まれ逮捕されたりした。捕鯨船の乗組員、脱走、隠遁生活は何度か繰り返された。
最終的にアメリカ海軍の水兵になり、帰郷も叶い、生活が安定したので、文筆業で身を立てようと考えた。ということは生来、文章表現が得意だった、夢想家の一面も有していたのだろう。
ただ海洋小説に手を染め、その延長で『白鯨』を世に問えたことは上記の体験があったからこそである。作家を志したのだから無駄にはしなかった。
『白鯨』の感想を述べよう。
読んで驚いたことは本書の構成である。章は膨大で135あり、それぞれ見出しがついている。
ところが半数近くが筋に関係ない内容である。中でも際立つのが鯨学に関する作者の蘊蓄で、博物誌を連想させる。他に捕鯨船の解説や科白だけすなわち戯曲のような形式もある。
これらは無意味でないのだが、読みにくくさせていることも事実である。
訳者の八木敏雄氏は各章を幾つかの項目に分類し、下記のような一覧表を作成したくらいである。
次に視点が途中で変わることである。最初はイシュメールの視点で進行する。すなわち彼が語り手の一人称視点であるが、途中から三人称視点で描かれる。他の登場人物が主語になったり語り手になったりする。
視点など気にしてないかのような描き方だが、もしかすると一人称ではこのような長編を描き続けるのが困難と作者は気づいたのかもしれない。
形式にとらわれないこの自由性は、20世紀の文学界から新表現法の先駆者と見なされた。
以上の点からよほどの文学ファンあるいは海洋に興味がある読者でないと完読が難しくなった。私も同じで若い頃は放り投げた。今回ついていけたのは読書経験や人生体験を積んで来た結果である。
筋は、簡単に言えば、白鯨に対する船長の復讐譚なのだが、個性的な登場人物によって膨らんだ。
・イシュメール 語り手。ただ一人の生存者。この航海で人生を学ぶ。
・エイハブ船長 自分の片足を食いちぎった白鯨に対する復讐の権化。独裁者のようだが、人情もあり知的でもある複雑な人物。物語の主人公。
・クイークェグ 筆頭銛打ち。南海の大酋長の息子。全身に刺青を入れた大男。イシュメールに同性愛的愛情を示す。勇猛であるが清廉。
・スターバック 一等航海士。合理的リアリスト。冷静沈着。クエーカー教徒。エイハブ船長の異常性に危機感を抱く。
なおコーヒーチェーン店「スターバックス」の由来ははこの人物の名である。
・スタッブ 二等航海士。楽天家。ユーモアの持ち主。学識もある。
・フラスグ 三等航海士。小柄な戦闘的若者。現実主義的思考の持ち主
・クシュテーゴ スタッブのボートの銛打ち。誇り高きインディアン。船が沈むとき、手を伸ばしてカモメをつかみ道連れにする。
・ダグー フラスグの従者の銛打ち。アフリカ生まれの黒人。
・フェダラー エイハブの特別部下。ゾロアスター教徒のペルシャ人。不可解性がある。
・ビップ エイハブが寵愛する黒人少年召使。航海途中に気がふれ、道化的役割を演じる。
・モービィ・ディック 言わずと知れた白鯨。勇猛で頭脳派的行動をとる。物語の象徴。謎多き怪物。
重層的な主題が詰まっていることも本書の魅力である。
神と人間、善と悪、狂気と正常、摂理と不条理、復讐と容赦、自由と支配、反発と感化など二元論的価値が顔を出す。
この点でシェークスピアやドストエフスキーの作品群と通底している。時に読者に思索を要求するかも。
次に考えさせられたことは「平等」の概念もしくは民主主義的価値が読み取れることだ。
船員は、白人、黒人、インディアン、南洋先住民、アジア人など様々な人種で構成されている。
もし人種差別を行なったり、一人一人を平等に扱わなかったりすれば反乱が発生しやすい。その場合船長たち幹部は逃げ場がない。
ゆえに船内の人間関係を民主的共和的にせざるを得なかったのだろう。奴隷制が敷かれている時代なのに船内は数歩も進んでいた。
これはこの捕鯨船(ピークオッド号)だけでなく当時の捕鯨船全般に当てはまることだったのだろうか。
エイハブ船長は「本船の目的は白鯨の追跡だ」と説く一方、捕鯨を同時に行ったり金貨を与えたりした。だから船員たちは当初反発心を抱いても次第に感化されたと言える。
面白かったこと第4は、LGBTを扱っていることである。クイークェグとイシュメールの同性愛を肯定的に描いていた。当時のキリスト教はタブーとみなしているので画期的な態度である。現代の視点で見れば問題提起しているようだ。
次の魅力は、本書に流れる時間と空間が壮大だということである。
なんと3年間白鯨を追ってピークオッド号の旅は続く。この長さ。
舞台が大西洋からインド洋そして太平洋にまで及ぶ。この広がり。
それらを紙背から味わえるのも魅力である。
本書のクライマックスは、何と言っても上記の伏線が回収されるのが最後の場面だろう。白鯨との3日間に渡る死闘。作者の筆がさえわたる。描写力満載。船長の鬼気が迫り、圧巻である
エピローグも実によい。イシュメールだけが生き残り、彼はクイークェグが作った棺桶に救われる。この事実は余韻を生む。
岩波文庫の本づくりが素晴らしかった。各巻に捕鯨船の図解、各章の挿絵、登場人物紹介、多くの注解を記載した。お陰でドラマのイメージが浮かべられた。
私はこの本に小説の醍醐味ーーすなわち登場人物に感情移入したり、ストーリーの面白さに酔ったり、展開への期待感を味わったりするーーを見出せなかった。感動や感心は覚えなかった。
しかしいろいろなことを考えさせられた。思索を招く場面が多かった。モービィ・ディックとは一体何なのか。ただの鯨か。何かの象徴か。それについて思いを巡らせることが出来ただけでも読了してよかった。
この本には奥が深い魅力が満ちている。小説を超えた思想書と言ってよいかもしれない。「奇書」であることも間違いない。
私は70代に突入した老人なので来し方行く末をしょっちゅう考えている。そういう私に少なからずの影響を与えたことは事実である。
ーーー 終 わ りーーー
※次回は、『風と共に去りぬ』の著者マーガレット・ミッチェルと『大地』の作者パール・S・バックとを取り上げます。





























