山の記憶【尾瀬】 | 奇言雑言

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TUGUの脳内再生中のあれやこれや。

こんな記事を見つけましたんですよ。

 

 

 

尾瀬というところへ行く。

 

そういう話になると、どこから入ろうかな。

っていう話になる、なにせものすごく尾瀬は広いからだ。

 

入る場所によって、尾瀬のどこへ行って、どのルートで歩こうか。

というのが決まってくる。

 

どこでも好きなところへ行ったらいいのだが

尾瀬は国立公園だ。

立ち入れない場所、通れないルートがあったりするから

気をつけねばならんのです。

 

で。

 

この記事にある、「鳩待山荘」っていうのは。

尾瀬への入り口のひとつである【鳩待峠】というところにある小屋だ。

 

オイラが尾瀬にはじめて行ったときも

この場所がスタートだった。

 

 

 

鳩待峠を尾瀬への入り口にすると あやめ平の方へ行ったり。

至仏山へ行ったり。

鼻小屋を経由して東伝小屋だったり、竜宮小屋へ行ったり。

ルートがいろいろあるので大体ここを拠点にして

尾瀬にアタックする人が多いのだ。

 

もうすでに、略地図の中にも書きましたが

現在は通れない箇所があります、たった40年ぐらい前には

通れた登山道が今は通れない。

 

通れない理由は、登山道として利用されすぎた結果

ところどころ、崩落していたり荒れてしまっていて危険であるからだ。

必ず、現地の指示に従って、ください。

 

で、尾瀬はそうやって長いことたくさんの登山者を迎え入れてくれていた場所であるがため。

山だけじゃなくて、山小屋も大分古いし、もうそろそろ古くからある施設や小屋は

立て直したり、修理したり、整備したり、って言うことが大々的に必要な

そういう時期に来ている。

 

・・・・・・・というのは、解かるんだ。理解も出来るし。

安全な登山を継続していくために絶対的に必要だってことも

解かるんだけど、、、、、、、、、。

 

さびしい、、、、、。

子供の頃お世話になった小屋が、、、、

歩いたルートが、、、、、、

 

使えなくなる、無くなっちゃう、、、、、さびしい、、、、。

 

当時、9歳だったオイラに。

手厳しい自然の洗礼を浴びせたおした

至仏山。

 

朝8時。鳩待峠から山頂を目指し登り続け。

昼ごろ、至仏の山頂を踏破。

お昼ごはんを食べ、、、、ゆっくりしていたら

周りに居た登山者がイソイソと山頂を後にしていく、、、、。

 

子連れは他に居なくて

(当時、小学生がここへ両親と共だってとは言え居る事は珍しかった。)

 

「雷、来るよ!子供さんいるなら急ぎなさい。」

 

ってなことをいう登山者も居た。

 

下山開始。

 

目指すは、「山の鼻小屋」である。

 

鼻小屋だよ、鼻小屋。

ここを下っていけば大丈夫だよ。

 

下山を開始して1時間もしないうちに見る見る空が暗くなって。

ボタ、、、、ボタ、、、と音がするほどに大きな雨粒が落ちてきた。

 

あっという間に足元は泥水が流れる川となり。

ザックから雨具を取り出し着ている傍からずぶ濡れになり。

 

そして、、、、もう両親もオイラ達子供を気にかけている場合じゃない状態に、、、。

横を稲妻が走るのを見ながら。

足首ぐらいまでの水深になった登山道を下るのだ、小学生が。

 

恐怖でしかない。

 

ドウドウと降る雨、足元は泥水が流れ落ちてくる。

そして雷。

 

何度も立ち止まった、そのたびに

「とまるなー!下れー!」「こっちを気にするなー下れー!降りろー!」

である、、、。

もう、進むしかないわけで、必死に下る。

雨具も意味を成さない、岩や木の枝に引っかかって千切れてボロボロになる。

全身ずぶ濡れでも降りねば終わらない

止まればひたすら雨に打たれて雷に立ちすくむ時間が

長くなるだけだ。

降りろ、降りろ。この道が終わるまで、降りろ。

 

登山道が、泥水から木道になり、周りに背の高い木が増え始めた頃

雨はやんだが、日没が迫り。気温が下がってきた。

 

薄暗い森の中の道は木道でもその薄暗さと、寒さによって

別の恐怖が襲ってくる。

 

両親も、弟も、今どこにいるのかわからなかった。

 

進むしかない止まっていてもこれは終わらない。

「鼻小屋はあとどれぐらいなんだろう。」

「鼻小屋へたどり着かないとこれは終わらない。」

 

とにかく、前へ。

1本道だ、分儀は無い。とにかくこの道を

進め、進め。前へ前へ、下へ下へ、、、、。

 

日が傾き、森の中は薄暗くてだんだん足元が見えなくなってくる

一人、このままずっと一人、、、、。

 

下っている最中に、寒さや疲れは感じられず。

ひたすら、黙々と体を動かし道を下る。

目も耳も感覚がいつもよりも研ぎ澄まされていて

集中力も凄かった。

 

だから、恐怖とか寒さとかもなくて。

黙々と足元に続く道を進む、進む。

 

まだ続くのかこの道。

まだ終わらないかこの道。

 

人の声がした気がして足を止めた

 

人の声だった。間違いなく人の声で

それも、自分の名前を呼んでいる。

 

呼ばれている。

と思った瞬間、それが母の声だと解かった。

「やった!もうすぐこの道が終わる!」

確実に終わる。

 

声に返答して

再び歩く。

 

声が近くなる。もうすぐだ、もうすぐで、、、、。

 

木道が、階段になる。

それを、「おーい!おーい!」と声を出しながら

駆け下りて。

 

泣けましたね、、、。

あんなに一人でずっと山を降りてきた時はなんともなかったのにね

ブワー!って涙出てきて。

 

やったー!下りきったー!

 

母と弟は一足早く下山しており。

小屋で着替えて雨が止み、日が暮れてきて

まだ降りてこないオイラと父を見に登山口まで戻ってきていたのだが、、、、

母曰く。

「あの時見た登山口。本当に真っ暗で。」

「この先に、あんた達がまだいるんだ、とおもったらゾッとした。」

 

何度も名前を呼んだのだそうだ。

 

10分ぐらいして、やっと返答があって。

「あんたが暗闇から一人出てきた時、本当にほっとした」って

 

で、父。

 

食料や燃料といった荷物を背負っていたので途中でバランス崩して転げて

それを見たオイラ、途中まで同行していたんですが、「先に行け」「早く降りろ」

というので降りてきたという話を母にして。

 

「怪我とかしてないのであれば、自力で降りて来れる」と暫くとこで待つと

 

10分ぐらい送れて、父も暗闇から登場(無傷)

 

気がつけば、完全に日没。

そして、口から吐き出した息が白くなるぐらい

気温が下がってて、びしょびしょなのでそこでやっと

「めっちゃ、寒い!!!?」ってなった。

 

オイラ達家族はそうやって全員無事だったけど。

 

この後にも実はまだ山に居た人が居て、、、、

その人は途中で転んで肩を脱臼。

脱臼しながらも小屋へたどり着き、その後、、、、

ヘリで搬送。

 

っていうこともあったんで、超ラッキーだったといえる。

 

尾瀬の記憶は、山の怖さの記憶が強い。

でも、それがその後の山との距離になっていった。

山は、怖いところであることを忘れないで

山に対して真摯であれば

山は、必ず

 

疲れても、判断ミスしても。

 

何かしらの力を貸してくれて

無事に帰してくれる。

 

ありがたいことです、、、。

またいつか、どこかの山で。

 

尾瀬のニュースがあの頃のことを思い出させてくれて

なんだか、懐かしいようなさびしいような。

そんな感覚になりました。

 

楽しい時間がこの後の世代にも変わらずにあるようにと

願わずにはいられません。

 

建物が新しくて近代的なものに変わっても、

入れないルートが出来たり

行けない場所が出来たり

どんどん変わっていく尾瀬は

人が、山を想うことを忘れない限り

きっと、笑ってくれるとおもうよ。

 

人が、変わらなければ

山も変わらずに居てくれる。

 

ではまた。