皆様
お久しぶりです。
長らく放置していて申し訳ありませんでした。
『リアル勇魚』が痔!?
と言うところでとまってしまっていましたが。
今私自身も凍結しています。
女性・子供・障害者支援センター(長いです!)
今は児童相談所はこの中に含まれていますが、
“児相”の指導員の方に
『福祉事務所』の方にも相談をするようにすすめられました。
大学病院の先生にも重ねて勧められました。
この先、仕事が出来なくなった時の用意をしておいた方がいいですよ、
『生活保護』とか~~色々な援助がありますから~~
!!!!!
今しばらくは食べるのにはこまりませんが、まあいずれ底をつきますけども
ショックだったのはいつもカウンセリングだけで薬も出ていないのに
『仕事はなるだけ早く辞めるように』 『バイクは禁止』
といわれた事ですね。
生活保護を受けなければならないほどに酷いの?私??
貯金や処分できる資産がある間は保護は請けられません(笑)
内容はよく分かっておりますが
他の援助もあるというので、出かけてきました。
手持ちのお金が12~3万になったら来て下さい。
その時になったら絶対うけられるんですか??
申請してもらったらそれから『調査』します。
間に合うのかしら(苦笑)
12~3万なんて!!心細いですね~
先に大丈夫と請け負ってもらわないと不安で仕事はやめられませんよ!!
とりあえず私の担当さんが決まりました。
住んでいる町の担当と言う人と二人で聞き取り調査に家まできました。
会話の中で
亡くなったご主人の遺族年金を子供さんたちが受けられるかもしれませんよ、と言う話になり
社会保険事務所に確認に行く事になりました。
それで行って来たんですけど
20代らしい若い職員さんに
17年に亡くなった時、養育費は受け取っていましたか?
不定期でも援助はありましたか?
そんなものはありません。
どこに住んでいたかも知らないのに・・・
すると奥に引っ込んで何かしら相談をしている風でした。
出てきて彼女の口から出てきた言葉
亡くなった時点で援助を受けていなかった、と言うことは
その時子供さんたちは
困っていなかった、と言うことになりますから
年金はうけられません
は????
困っていなかったってどうしてあなたにわかるの!?
請求しようにも、所在が分からなかったのよ!!
でも生活できてたわけですし
!!!!!
もういいです。思わず席を立って帰ってきました。
でも家に帰って来てから
口惜しくて口惜しくて体の震えがとまりませんでした。
年金って援助してもらってないともらえないものだっけ??
困っていない『母子家庭』が全国にどれほど居るっていうのでしょう?
みんな身を粉にして働いているに・・・
以来腰が抜けたようになっています。
今まで生きてきた中で一番のショックです。
二丈浜玉道路『お魚天国』 と言う記事で元だんなさんのことを書いたのは去年の11月でした。
元だんなさんは唐津の海岸沿いの道で車と一緒に燃えました。
その前に有った事は今は書きません、といいましたが、今書こうと思います。
彼は体を悪くしていました。「すい臓がんでもうじき死ぬ」と電話が掛かってきたのは
6月18日夜半、
癌で苦しいのは嫌だから自殺する。その前に会いにいくし・・・
ダメならええけど
京都の親戚に連絡して捜してもらったけれどみつかりません。
ちゃんと検査してもろたんか?
酒のみすぎたんちゃうか?
元から「針小棒大」というか、1の事を10にいう癖のある人だったので
最初は本気にしていなかったのですが
翌日の夜10時ごろ、長崎についたと連絡があって子供らとタクシーを飛ばしました。
あんたんとこいってもええかな?
今晩はホテルとってあげるし明日な~
明日は仕事やし朝はよう帰るし、ほなもう寝るわ・・・
え?帰るんだ??
とりあえず京都に帰ったら医者に行く事を念押しして、ものの30分もはなしたでしょうか
帰ると聞いて安心してしまった・・・
コレが未だにくやまれます。だってその夜は母が心配してアパートで待っていたから
生活保護受けろと周りがいうけど、ワシそんなもん受けへんし
人様のお世話には金輪際なるつもりないし
その言葉を私と息子は、まだ、そういえる余裕がある、と聞いてしまったのです。
あえて良かったし握手しよに
差し出された父親の手を息子は握りませんでした。仕方なく娘の頭をなでてました。
翌日
携帯の電池が切れる、今唐津や
と言う電話を最後に連絡はとだえました。
京都の住所は分からず、でもまだのんきに
今度電話がきたら怒ってでも医者に行かそう、などと考えていました。
25日の朝
唐津警察署から電話がありました。
離婚された奥さんですね。交通事故で亡くなられたので
遺体の身元確認に来て下さい。
24日の午前1時に
ガードレールにぶつかって止まっていたので、
通りかかった人が事故と思ってドアを開けたら
爆発炎上したそうです。
死因は極めて短時間の間に焼死、となっていました。
別れてから人生最後の4日間をヒトリでどんな気持ちですごしたのだろう?
行く事も帰ることも出来ずに唐津で止まった車のなかで
病気になってから(仕事が出来なくなってから)どのような暮らしをしていたのか
私たちには全く解りません。
保証人かぶりをして、商売がだめになった時
実家に帰る私たちに家を手放して残ったお金をくれた
あれを貰わなければよかったのかなあ
福祉の世話にはならん、を通してしまった
おっちゃんが今の私の有様を見たら何と言うかな??
お金じゃない、っていうかな
私が欲しいのは元のように働ける頭と体です。
考えが同じところをぐるぐる回っている状態なので
こちらも、部屋もしばらく開店休業になるかもしれません。
申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。


