あと2ヶ月と20日で102歳を迎える母

最近いっそう食が細くなってきたと兄からの電話

 

インフル・コロナ禍で一年近くも逢えない母と亡き父に感謝を込めて

願掛け自分史も今週と来週で大まかな人生のふりかえりが終わる

どうか温もりの面会が出来ますように・・

 

フィットネスインストラクターの道を歩みながらさまざまな資格にトライしました。

書ききれないほどです・・・

1991年より中央で活躍する著名なインストラクターを招聘し

会員さんに楽しんでもらいましたが

自分もアクアビクスA級→AA級→AAA級と挑戦していきました・・・

幸い高得点99/100で合格し、東京での開催プログラムに自分の名が載った時は

最高に嬉しかったですクローバー 49歳

その時参加した受講生のアンケートに

「とても分かりやすく、即実践できる内容でした。

アクアの楽しさを初めて本当の意味で感じることが出来ました」

評価5 感謝照れ

 

50歳の日記に『出費を抑える!ただし勉強には惜しまない』と記されてました鉛筆

その年の12月両親と広島へ母の誕生日祝い旅へ 

広島在住の東京学友と仕事仲間(試験仲間でもある)がサポートしてくれましたクローバー

 

正月やっこちゃんに「和奴半代記」が届く

とてもありがたい内容でした鉛筆

最近相次いで亡くなりましたが、元○○電力副社長で〇〇の社長に就任したTさんの奥さまが

青森教室へ参加したことで家族ぐるみの付き合いとなり

鎌倉へ帰られても、今度は鎌倉教室開催となり

何度もお互いに行き来しました音符

私がラルゴで盛岡まで迎えに行き、雪になってしまった11月10日紅葉巡り

Tさん!Kさん!半代記から自分史になりましたよ(^O^)/

 

51歳の5月義父が病気になりました

元々糖尿病で毎月大きな病院へ通っていましたが

一緒にご飯を食べなくなり、裏からこそこそ小遣い稼ぎの仕事へ出かけていました

思い切って病院へ行ってDrに伺ったら「何度言っても検査しない」と・・・

検査の結果ステントを入れることになりましたが、手術日まで1ヶ月連日点滴で通いました

特殊な食事なので受け入れてくれる小さい病院を近くで見つけました

しかし、何度も隠れてサキイカを食べてはステントが詰まり大学病院へ洗浄に・・・

その度に麻酔が効いたまま着替えをさせ

助手席に乗せて左腕でサポートしながら入院中の病院へ

 

もういっぱい・いっぱいだった私に義父が働きに行っていた先の年配女主人から電話

「あんたがエアロビクスみたいな変な仕事をしてるからガンになったんだ」と

30分以上責められました・・・なんでそこまで他人に言われなきゃならないんだろう

 

そんな中、父が東京で表彰されることになり同行しました

 

しかし寝台個室で異変が・・・風邪気味だったのですが認知症状が!!

↑写真は気分転換でお台場へ連れて行ったときのものです

が、あまりに体調が悪くなりホテルで休ませましたが

表彰式の頃には父が父でなくなって、代わりに私がお礼の言葉を述べました

その夜は異常にテンションがあがり夜中まで歌い続けました

 

次の日鎌倉散策の予定でしたが、悶々としたまま夜が明けました・・・

「お父さん!鎌倉へ行く?」「行く!肩もんでくれないか」いい感じ

でもその前に帰りの切符キャンセルして早めないと・・・

東京駅で切符を買い求める間も二人が心配で心配で気が狂いそうでした

タクシーで観光ツアーするも、私は2日間一睡もしてない!すごい緊張感!!

それでも娘がプレゼントした背広がお気に入りでご機嫌だった

父の行動に周囲の遠慮ない目が・・・

 

新幹線に乗っても両足を私に乗せるように座って盛岡へ着いた

兄へ緊急連絡で盛岡まで来てもらい、夫には実家まで迎えに来てもらった

とてもここには書きつくせない2泊3日の東京となってしまった

 

それでも次の日から普段通りレッスンは始まった

 

平成16年1月5日義父は亡くなった・・・

もう時間の問題だったので、大晦日もお正月もお屠蘇を飲ませ上機嫌

5日は夫の新年会・私はレッスン

それでもレッスン前に寄ってマッサージしようとすると

「もういい。ありがとう・ありがとう」目を閉じて眠りました

夜遅く危篤と呼び出され臨終に立ち会いました

義母が亡くなってから12年間私の闘いは終わった・・・正に闘いであった

色々あったが最後のありがとうで全てを水に流したのでした流れ星

 

52歳 家をリフォームして気持ちを新たにしようと・・・

そのリフォームが完成する直前父から引き取った愛犬が亡くなり

夫は転勤になった!新しい家にポツン

 

53歳3月 平成3年からフリー契約している公共施設がクローズすることになった

その頃、機能改善の学びを始めていたので

庭に2代目スタジオ”やさしいからだ塾”を4月開設

落ち着いたころ両親と兄夫婦がお祝いに駆け付けてくれた

その夜は本当に愉しい宴会となったのでしたむらさき音符

 

さらには勉強を重ね、高齢者体力つくり支援士ドクターコースも合格し

順調に平和な時間が進み、54歳で全国フィットネスダンス大会優秀賞

DVDも発売されたし、地元のラジオ出演もあった

 

しかし父が病に倒れ入院一ヶ月後に1週間の危篤を経て私と二人の時に息を引き取った

10月18日 有名なインストラクターを招聘してのイベントが4日後に控えていた

葬式を終えた21日の夕方何食わぬ顔で接待し

22日百人以上参加のイベントは大成功であった・・・

 

平和は続かなかった 55歳 6月夫の会社がクローズで失業

1年間はゆっくりしたらと言ったものの

56歳・57歳私の腰が悲鳴をあげた・・・

業界誌への執筆

 

58歳 痛みを克服し、さらに機能改善学びの道へ

9月~11月1週おきに(土)(日)東京コースへ 時には3日間通った

その結果現在まで仕事が続いている

59歳でホームページ作成出来なかったことからブログを始めることに・・・

二人の父を看取り、自分の身体の痛みを知る

大きな大きな学びの50代でした。。。