母102才の誕生日まであと3ヶ月となりました・・・
昨年12月23日にお花を届けてからインフル・コロナで面会禁止が続いてます
母の温もりを感じたくて、逢える日を願いながら願掛け自分史30代
あまりにもあり過ぎて何をどうまとめたらいいのか
まとまらないままに書き始めます
25才の時に帰郷しましたが、恋愛の傷だけでなく長兄が35歳で亡くなったことも後押し
慟哭の両親をなんとか護らねばならないと私なりに必死でした
少し落ち着いたころ結婚となり1980年8月1日入籍しました(28歳)
母と二人で荷物を運んだ日ガッカリしたのは
夫が東京から姉が来てるから弘前へ行ってくるって!
これ22才の私だったらお別れしてたでしょうね(笑)母は怒り心頭だったと思います。
私は結婚以来そのことを一度も夫の前で口にしていません・・・偉かったと思う
入籍を知った夫の勤務先社長が式をあげない事に苦言を呈し
仕方なくホテルに申し込みました(自分たちはあることを計画していたのですが)
しかし間もなくホテルから実家へ電話が・・・
「もう少し先方と話し合ってください!お断りします」と
姑がとても気難しくホテルが持て余して実家へ連絡したようです
結果・・・料亭で夫側の○○家の式をすることになり、どれだけ両親はガッカリしたことでしょう
母は心配になり前撮りを実家地域の写真館で撮るようにしてくれました
白無垢・打掛・振袖・ドレスの4種類 ひとり娘ですものね
そして当日初雪チラチラ
まだ東北道が繋がっていなかったので父がチェーンを巻いて山越え
それなのにそれなのに姑と義姉が式に1時間以上の遅刻
両親と兄夫婦はどんな気持ちで式場で待ってたことか
神主さんが忙しい11月15日だったので花嫁はうなだれるばかり
依ってその後のことはあまり覚えてない(今思うと本当に可愛そうなやっこちゃん)
先日さり気なく夫に式の後どこに泊ったの?例の最初に申し込んだホテルでした
記憶力悪い方じゃないけど、全く覚えてないという事はどれだけショックだったのかですネッ
新居は秋田県の○○市でしたが、1年後仙台へ転勤になりました・・・
嬉しかったぁ~なぜなら新婚なのに毎週末弘前へ行ってたから
愛犬と散歩しているとキャリアウーマンっぽいおばさんが話しかけてきました
「ねぇ~あなた化粧品のセールスしない?」「引っ越ししてきたばかりなので営業は無理です」
「どんな仕事ならいいの?」「事務だったら」
「あっ頼まれてる会社あるから、すぐそこだから」「・・・」
結局直ぐそこで働くことに
社長の誕生日と私が同じという運命社長夫人が私とあまり年が離れておらず
仕事終了後に二人でヨガを習いに行くことに←すごい展開ですね(笑)
30歳誕生日にその奥さまがプレゼントしてくれた初レオタード(ヨガ~ジャギーへ)
たった1年半の勤務で再び夫は以前の秋田へ転勤
仙台の社長夫婦にとても可愛がられ退職金までくれました
その後社員旅行で十和田湖へ来た時も招待され、この出愛こそ今の私のスタートかも
こちらでもヨガ教室へ行きましたが、なんでか私にふってくるのが嫌で
家でポーズを撮っては写真屋さんへ(夫が撮ってくれたんだね)
その写真を見た店主の奥さんが「教えてくれない?」
「資格ないから」「いいからいいから」
さらにデパートでエアロビクス教室も始まり、終了後にはサークルのリーダーに
31歳の冬、夫が親孝行で家を新築したいとなり了承するも大きな借金
これまた義母の電話が日中何度も大工さんへの文句が・・・
エアロビクスで汗を流してイライラを吹き飛ばすうちに新聞に教室案内を出すまでに
此処は2ヶ所目に借りたある道場でのレッスン風景 32歳
東京へ勉強(自分で稼いだお金ですが、行動を許してくれた夫に感謝)出かけるうちに
スタジオが欲しくなった(今振り返るとミーハー的要素「大」だったと思う)
父に想いを話す・・・泣きながら訴えたおかげで400万貸してくれた(昭和の時代です)
借金証書を作成し割り印まで押して月々の返済を約束しました 34歳
スタジオイベントは数知れず・・・ボーリング大会・スキーツアーに綱引きチーム先頭ですよ(笑)
36歳 卵巣嚢腫で入院手術
動きの中で異変を感じたが、Drは大したことないと判断
いえスタジオを休業してきたので切ってください!押し切った
「やっこちゃん!良く気付きましたね!癒着してました」3週間入院
「この人エアロビクスのインストラクターだからお腹の傷を横に切るね」
とかなんとか全部聞こえてました(笑)
右卵巣は少し削っただけ卵管癒着を剥がしました
よくエアロビクスショーに協力してくれた3人とハワイへ 37歳
(たまたまそれ以前に仕事で2回行ってます)
さらにエアロビクスと言えばLosAngeles
(貿易の書類を作成した頃何度も打ち込んだLosAngelesですw)
38歳 修行 スタジオの持ち主Mr Martinと愛犬
そう言えば当時高校生の大人しい彼女がディズニーランドへ行きたいというので連れていく
その後そこでダンサーになったというから運命とは
スタジオも5周年を迎えました(噂では2・3年持てばいい方だと)
会員さんにモデルになっていただきブライダルショーも企画
(相手役に父や兄そして外部教室の男性会員動員)
毎月10万円ずつ返済し、半年に一度利息ですと10万円感謝の意を示し完済
信じてくれた父に感謝
いま思うとこの頃からひとり勝手に観光大使が始まったのかも
それは県のボディビル大会が○○市で初の開催
だが女子の出場者は他市の人ばかり「じゃ盛り上げるために自分が出ます」
その直前エアロビクスショーの練習中靭帯切断(80㌔級の方に後ろからぶつかられた)
5月1日のことだった・・・2日手術 12日退院
病室でも鉄アレイでトレーニングし
7月場内の会員さん歓声に力を貰い根性で優勝その道に数年もはまるとは
39歳になった春、夫が秋田県南方面へ転勤
さぁどうするスタジオは
そこへ弘前に新しく開設する公共施設からスカウトが・・・
よしっ病弱の義母を看ながら弘前の家へ入る
そうして嫁(やっこちゃん)と義父母の三人暮らしが始まったのです
う~~んどんな40代が待っているんでしょう
最後まで読んでくださりありがとうございます
コメントは承認制にしています
前回もたくさんのコメント励みになりました。感謝です