無事、配布が終わりまして、2巻に続いて1巻も購入して読んでくださる方がおられ感謝です(^_^)
お読みになった方がどう感じるかはその人それぞれですが、何か心に残るものがあれば幸いです。
なお『蝙蝠の居場所』と似たテーマで、私自身の体験を基にしたのが『霧が晴れて見えたもの』です。
興味がおありでしたら、いかがでしょう。
こちらは、1999年当時の大人の発達障害がどのように扱われていたかを私の体験に基づいて書いたものです。
今はずいぶん進歩しましたが、昔はひどいものでした(^_^;
さて、次は『邯鄲堂綺譚3』で『汚泥に咲く華』『供華』の二話です。
広覚(広目天の化身)が、修業時代の兄弟子・済水の依頼で、元禄時代に因縁を作り現代まで祟り続けている呪いの鏡を調伏に出かける物語。
元禄時代の因縁譚と現代の広覚・済水・理覚(済水の弟子)の因縁が、合わせ鏡のように展開する長編です。
BL(ボーイズラブ)要素が入り、江戸時代には「別に~。趣味の問題でしょ」程度のことですが、苦手な方はおやめください。
過激な描写などはありませんが、屈折した恋物語もまた強力に絡んできますので、そのおつもりで(^_^)
こちらも今月中には再出版して無料配布をしたいのですが、すみません、私の体力次第です(^_^;
また、初めてのエッセイも執筆がトロトロ進んでいます。
小説は書いてもエッセイは絶対書くまいと思っておりましたが、「これは書いた方がいい」と周囲からの強いお勧めもあり、私自身「書かなきゃなるまい」という気になりまして。
エッセイは怖いです。
小説はどれほどリアルであっても自分が構築した世界で語るものなので、自分の本性はけっこう煙に巻くことが可能です(^_^)
しかしエッセイは、その人の品性そのものがダイレクトにでてきます。
いくらお上品ぶってもボロは出ますし、いい人のふりをしても本性がばれたりする怖いものです。
もう少し若い頃なら絶対書きませんでしたが、さすがに今の年になると「本性だの品性だのがバレても、私は私~」というおばちゃんの図々しさも持ち合わせていて、諦めて書くことに(^_^)
内容については、もう少し書き進んでからお知らせしますが、素直に笑える内容です。
相変わらず妙な気候が続いています。
どうぞ皆様、ご自愛ください<(_ _)>
『邯鄲堂綺譚』を読んでくださった人も、読まなかった人も、クリックしてくださると嬉しいです。
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