延々と親の家の生前・死後整理話が続いていますが、今日もその続き。
飽きた方はスルーしてくださいませ。
隣人の善意で45L22袋の古着・古リネン・古タオルケットと毛布、壊れた掃除機2台、段ボール・古雑誌5束の資源ゴミが、隣人の物置に積み上がりました。
とても一度では運べず、少しずつリサイクルステーションへ運ぶそうで、申し訳ないやら有り難いやらで、東京へ戻ったら菓子折を送らなきゃな~と考えています。
燃えるゴミや燃えないゴミはまだまだ出るのですが、打ち止めにしました。
理由ですか?
袋に詰めても、ゴミステーションに入りきらないから(^_^;
カラスよけにがっちりした金網の囲いの中に入れるのですが、親の家のエリアのゴミステーションは小さいんですよ。
私が45L袋を15個も入れてしまったら、他の方々が入れられませんわ。
少し離れた所に住む友人のゴミ置き場は広いらしいので、アパートやマンションがあるかどうかなどの条件も加わり、ピンポイントで大きさが違うようです。
とはいえ、よそへ運ぶわけにはいきませんし、滞在を長引かせてさらにゴミを捨てるつもりはありません。
そこで「ゴミステーションに半分以下で収まる量」でやめました。
残りは、夏頃に粗大ゴミを捨てに来たときに続けます。
資源ゴミを引き取ってくださった隣人に「すごい量だね~、普通の家庭で出る量じゃないよね~」と言われ、「ええ、私の物は無くて、ほぼ全部両親の買いためた物よ」と答える私。
普通は新しいのを買えば古いのは処分しますが、捨てずにとっておいた両親。
母親は、とにかく捨てるのが嫌、人にあげるのは好きで、私もずいぶん古い物を押しつけられました。
父親は何も考えずに、ぼへ~と生きてきただけですから、たまる一方。
隣人は私よりも年上で幼なじみ、さらにそのお母様も健在ですが、昭和一桁生まれとはいえ、うちの両親ほどひどい「しみったれ」ではありません。
この隣人にはあけすけに話しているので、今日も愚痴をこぼしてきたのです(^_^;
・「娘は娘の人生を生き、私は私の道楽に生きるのよ」と明言して母親が好き勝手をしてきたなら、まだ許せる。
何より許せないのは、「娘に仕送りが大変で」「イギリスにやるのにお金がかかって」「娘に着物を作ってやらなくちゃ」「娘が好きなことをするのに、親が裸になっても援助してやるのよ」とすべて娘の私をダシにして、洗いざらい自分の道楽や遊びで家のお金を使い切ってきたこと。
私は大学入学から、おこづかいをもらったこともなく、通学の定期代・大学のテキスト代・被服費・交際費・サークル費(お金が続かなくてやめた)、すべてアルバイトでまかなってきて、そのうえ母親から「あそこのフランスパンを買ってきて、どこどこの和菓子を買ってきて」と高額な買い物を頼まれ、その代金をもらったこともない!
・若い頃から大学・院と働きながら進み、嫌と言うほど貧乏を味わってきたが、貧乏は不自由だが恥だとは思わない。でも「分不相応な、しみったれた貧乏くささ」は恥だと思っている。親はまさに、それ。
隣人に「『ありがとう、面倒を掛けるね』って、いくらかもらった? 死んだうちのお父さんなら、こんなに大量のゴミ整理をしたら3~5万円くらいくれたよ」と言われたので、「死んだ母だけじゃなくて、父親も同じ。他人や親戚には、『どうもありがとう』と言って金一封やお礼をするけど、娘にはしてもらって当たり前だから。つくづく、私って可哀想よ」と答えておきました(^_^)
今は笑って言えますが、ここまで来るのにどれほどたいへんだったか。
それでも、もう親の家の整理はこの夏で終わり。
私も体力が続きませんし、何よりも目的はクリアしたわ。
最初に片付けを始めた最大の動機は「費用」
母親がガン手術をして退院間近の頃、大規模に片付けないと介護スペースがとれない事態になり、断捨離をスタート。
そのときに2人でケアハウスに入ることも視野に入れていたので、東京から整理整頓に通うのもどうかと、電話で業者さんに「もし全部処分するとしたら」と見積もりをお願いしたところ、「安くて100万、おそらくそれ以上」という仰天の回答!
母がすべて道楽や遊びに使い切り、預貯金も父の満期保険金もすべて無くなっていたとわかり、「入院・手術費が払えるのか?」と父親と2人で頭を抱えていた時期。
家を売らなければ、100万円など捻出できませんでしたわ。
今思えば、実際に捨て続けると、見積もりを依頼した量の5倍くらい出てきましたから、単純計算で5倍はかかっていたでしょうね(^_^;
親の家は、ぱっと見には片付いて見えるのですが、何しろムダに広い、おまけに地下室が20畳ほどあり、2人で詰め込む詰め込む💢
そして、「人にあげるのは好きだけど、捨てるのは嫌な」母親と、「ぼへ~として、見れば『片付けなさい』と口で言うだけで、自分では何もしない父親」の見事なコンビネーションで、「ゴミ屋敷にはほど遠い外見ながら、隠れたゴミ屋敷」ができあがり!
その時点で、親と縁を切って、親とゴミを見捨てようかとも思ったのですが、哀れみ(親への情など、とっくの昔にありません)を感じ、さらに相続となれば私にゴミ屋敷がのしかかるので、しぶしぶ通って自力で処分することになったのですわ。
五十肩に重度の更年期障害を抱えて、東京から北海道まで、年に2回ほど通っては捨てること7年。
その間に五十肩は幸い治り、更年期を終え、母は亡くなり、私は気分スッキリで、56歳にしてようやく人生の春が来たのでした(^_^)
そして今回の片付けで家の中は終了!と思ったら、これかい💢
でもまあ、これで業者さんに依頼しても、100万はしないでしょうから大丈夫。
父親の死後に家を解体して更地にして売り、葬儀やかかった費用とトントンです。
この親には、高校生の頃から何も期待していませんし、私に費用負担がかからなければそれでいいです。
今の心境に至るまでは紆余曲折がありましたが、それは今書いている虐待体験小説で語りましょう。
ブログで書けるような内容じゃございませんのよ(^_^)
と、ここで隣人がやってきて、二往復してリサイクルステーションへ運んでくれたこと、古布だけで102㎏の重量があったと教えてくれました(゚Д゚)
重量が重いとポイントがたくさん入るらしく、「他にも出たら、うちにちょうだい!」と言ってくださったので、夏にまた資源ゴミが出たら甘えようかと。
でも菓子折は送らないとね(^_^)
さて、今度はしっちゃかめっちゃかになっている家の中を片付け、東京の我が家へ食料(北海道産のお肉など。魚介類は北海道でも高い)を送る手配をし、少し休みますわ。
この過労を抱えて東京へ戻ったら、仕事になりませんもの。
月末にはポーセラーツでまたウサギ食器を作りますし、楽しい計画はたくさん。
嫌なお役目はこの夏で終了し、自分ファーストでいきましょう\(^_^)/
良い隣人に恵まれた方も、いない方も、クリックして深呼吸してみませんか?
↓