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頑張るお母さん チャレンジ人生 in U.S.A.

アメリカの生活、仕事、教育についてのブログ
時々ペットの話も。
日本語教師です。
英語が苦手、だけど頑張ってます。
毎日がチャレンジです。

今日、久しぶりにZoomで娘と話をしました。

もしかしたら、大学卒業後に少し日本に住むかもしれないので、

JLPT N2ぐらいの試験を取ったらどうかと思いました。

 

娘の日本語は日常会話では全く不自由しません。

ですが

読み書きになると途端に漢字がネックになります。

どのくらいできるのだろうか知りたくて

Zoomで練習問題をしてもらうことにしました。

 

 

やはり、漢字が読めない!

漢字が読めれば文章問題は楽勝です。

聴解問題は難なくクリアーでした。

 

 

そんなZooでの会話で

最近、娘の目の色が変わってきたという話になりました。

 

 

私も8月に会った時に気が付きました。

 

 

娘は生まれた時は真っ青な目の色をしていました。

この文字ぐらい濃い青

ダディーが青い目で

着ている洋服によって

緑の服だと緑っぽく見えたり

青い服だととても青く見えたりと

色が反映する目を持っています。

 

 

ダディーの血で青い目になったけど

やはり私の茶色の目の方が優勢なので

数か月経つとだんだん茶色に変わっていきました。

 

 

少し明るい茶色の目になった娘ですが

最近、気が付いたのは

太陽などの光が入ると

もっと薄い茶色になり

見方によると緑ぽく見えます。

 

自分でも気が付き始めたようで

「このままどんどん薄くなって目が見えなくなったらどうしよう」

と言っていました。

いくら目の色が薄くなっても

それはないでしょう(笑)

 

 

多分、目の青い人と結婚したら

子供は高い確率で青い目になるのではないかなぁと思います。

 

 

そんな娘の男性のタイプは

こてこての白人男性顔

スーパーマンのようなThe Americanと言う感じの男性です。

 

 

ずっと片思いだった男の子は

彼女と別れる気配もなく

お友達が別の年下の男の子を紹介してくれて

最近、デートをし始めたようです。

ドイツ系らしいのですが

この男の子も白人男性の典型的な容姿でした(笑)

 

日本人の私にとって

自分の子供が青い目だったり

目の色が変わるって

とっても不思議です。

 

既に成人しているのに

まだ目の色って変わるのかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年までは

とっても厳しく糖質制限をしていました。

大好きな麺類や白米を食べず

甘いものも極力避けていました。

 

 

マンジェロというホルモン系の注射をすることにより

ぐっと血糖値が下がり

その後、糖質制限を緩くしても血糖値は上がりませんでした。

 

このマンジェロと言う注射は

ダイエットとしても使われているそうで

処方箋をもって薬局に行っても1,2本しかなくて取り寄せになります。

 

 

私は病気での仕様なので健康保険を遣えますが

ダイエット目的で使う場合は保険が利かないので、かなりお高くなります。

 

2.5mlから初めて一か月後に5.0mlになり、徐々に量を増やすそうなのですが

私の場合は、数値が低く保たれているので

2.5mlに戻してもらい、お薬も2種類から1種類になりました。

検診も毎月から2か月に1回にしてもらいました。

診察代と交通費で5千円ぐらいかかるので、回数を減らしてもらうとありがたいです。

 

 

調子に乗って

ますます糖質制限を緩くしてます💦

8月は娘が日本に滞在したので

二人で毎日だ歩いて美味しいものを食べました。

お友達とのランチも最近は気にせず食べてます。

以前はお友達に気を遣わせてしまったけど

今は、なんでも食べられるので気分が良いです。

 

さすがにこれはまずいよなぁ…と毎回思うのですが

9月の検診での検査結果

  

   A1HC 6.7

 

おおっ、いつも7.0を超えちゃうかなぁと思いながら

先生の手元の検査結果を見て

  あれっ?大丈夫じゃん!

と思う私。

 

それでもやっぱり6.4ー6.5ー6.7と上がってきているから

気を付けないといけません。

 

妹が

『ご飯を食べないと認知症になりやすい』とドクターに言われたそうで

全くと言っていいほどご飯を食べない私を心配していました。

 

 

 

そこで

玄米を食べるようになりました。

炊飯器がないので3コインズでこんなのを買ってみました。

 

 

1合分が電子レンジで炊けます。

 

 

玄米・・・私好きです。

ちょっとお酒を入れて炊いています。

炊き上がったら塩昆布を混ぜてます。

ちょっと歯ごたえがあるからよく噛まないといけないのがまた健康に良さそう。

一日0.5合ずつ食べてます。

 

 

糖質制限を緩くして

外食した時に普通に食べられる幸せ

一緒に行く人に気を遣わせなくて済むし

元々、食べることが好きなので

最後のデザートまで楽しめることがとっても嬉しいです。

 

 

最近、交友関係も増えたので

血糖値に気を付けつつ

美味しいものがてんこ盛りの日本を楽しもうと思います。

 

 

 

 

母の葬儀に来てくれた

従姉妹のお姉さん Mちゃん

母の実家で祖父母や長男である伯父家族と住んでいました。

私より7歳年上です。

その上に10歳年上の跡取り娘であるお姉さんがいて

私はこの10歳年上のお姉さんとは若い頃よく遊んでもらったり

経営していたそろばん塾を手伝っていましたが

Mちゃんとは母の実家に行った時ぐらいしか接したことがありませんでした。

 

嫁いでからはほとんど会うこともなく

最後に会ったのは30年以上前の祖母の葬儀の時だと思います。

 

 

母の葬儀に来てくれると連絡がなかったので

車から降りてきた時は

「誰?」と聞いてしまい

10歳年上のお姉さんが「Mだよ」と教えてくれました。

Mちゃんも私のことがすぐに分からない表情だったので

「ねねだよ」って言ったら、がバッとハグしてくれました(笑)

 

母の実家でしか会わなかったとは言え

母は里帰り出産したので

生まれたばかりの私と過ごしたし

母は田植えや稲刈りなどを手伝いに行っていたので

その間、祖父母の家で過ごしたし、

お祖父ちゃん子だった私は、よく一人で泊まりに行ったので

Mちゃんとの思い出もいろいろあります。

 

 

Mちゃんも

「おむつ、取り換えてあげたんだよ」

「布団に寝かせて、引っ張ってあげると喜んだ」と

私の赤ちゃんの頃の思い出を話してくれました。

 

 

「今どこの住んでいるの?」と言う話になり

なんと

Mちゃんの仕事場が私のアパートのすぐそばだと判明

二人でびっくり!

 

「じゃあ、お昼でも食べようよ!」と言うことになり

早速、今日、近くのレストランでランチをしました。

 

 

こうしてMちゃんと外で会うのは初めてです。

30年も会っていないから

お互いに話すことはたくさんあります。

 

 

ランチ後、お仕事があるので

2時間しか過ごせなかったけど

また、いつでも会えるので

今度はお10歳年上のお姉さんも誘おうと思います。

確か、叔父の娘である年下の従姉妹もこの辺で働いていたはず。

プチ従姉妹会ができるかも。

 

 

二人でローストビーフ丼のセットを堪能

お会計の時に

「いいよ」と言ってご馳走してくれました♪

 

 

私は長女だけど

近くにいとこのお姉さんやお兄さんたちがいて可愛がってもらったので

すっかり甘えん坊です。

また、頼りになるお姉さんが近くにいることが分かって

嬉しくなりました。

 

 

これも母が引き合わせてくれたのかな。

大きな最後のプレゼントですね。

 

父が亡くなった時も少し記事にしましたが

 

 

母の戒名はとっても素敵なお名前を頂きました。

名前から一文字は「千」

そして

花がとても大好きだったので「花」と言う字を入れてくれました。

それに「雲」や「堂」と言う文字も入れていただいて

桜の花びらが散って絨毯のようになったところを歩いている感じ

「堂」と言う字は「母」を意味するそうです。

 

 

尼さんである先生は

いつもお経を読んでくださった後、

戒名の説明をしてくださいます。

 

私はどんな戒名が良いかな…なんて考えて

「アメリカ暮らしが長いからと「米」の字は入れないでくださいね」

と先生にお願いしました(笑)

 

 

 

三途の川のお話もいつもして下さいます。

 

 

この世とあの世の間に川があり

小舟が一艘、待っています。

船頭の観音菩薩様がいらして

「この船に乗るマナーを学んできましたか?」とお聞きになるそうです。

それで

先生がお経のようにして亡くなった人にこの船に乗るマナーをお教えします。

その間、参列者はお焼香をします。

 

船に乗ることが許されたら

小舟に乗ってあちら側の岸に7日かけてたどり着きます。

今回は、先生のスケジュールの都合もあり

葬儀と初七日を一日でしました。

 

小舟の上から川を見ると

私たちの世界が見えるのだそうです。

 

 

火葬する前に先生が

これはあの世の戸籍謄本のようなもの

と言って、お手紙のようなものを母の胸元に置いてくれました。

 

 

映画「おくりびと」を見て

日本の仏教的な送り方

良いなぁと思いましたが

先生のお話や戒名の付け方でますます良い送り方だなと思いました。

 

 

先生はお弟子さんと京都に行く予定だったので

無理やり午前中に母の葬儀を入れて下さり

午後に急いで車で京都に向かいました。

本当にいつも良くして下さりありがたいです。

 

 

 

 

 

 

 

妹と母の葬儀は

家族だけでこぢんまりとやろうと以前から話していました。

 

 

すると

 

母の姉と弟、兄嫁である高齢者の方々

伯母はつい最近入院していたので、車いすでの参加です。

父の従兄弟である伯父さんもいつも冠婚葬祭には来てくれます。

 

母の兄や父の兄弟はもういないので

代替わりしていとこ達が参列してくれました。

 

 

さらに

 

伯母の孫たち4人も

母が働いていたところの子たちだったので

生まれた時からお世話になったからと皆できてくれました。

葬儀が始まる前に従姉妹のお姉さんが

「伝染しているよ!」と履いたばかりなのに教えてくれました。

それを見ていた伯母の孫の一人が

「コンビニで買ってこようか?」って。

一応、もう一足持っていたので大丈夫だったのですが

私が高校生の時に生まれた男の子

放課後、よくベビーシッターしてあげました。

そんな子も立派な3児の父になり、

そんな気遣いができるようになったのだなと感慨深い。

 

 

仲の良いいとこ達とはよく会っていますが

近くに住んでいても疎遠になっていたいとこ達もいます。

 

中には30年以上音信不通だった従姉妹のお姉さんも来てくれました。

お互いに「この人は誰?」となり

周りから名前を言われはっとしたとともにハグ!

 

このお姉さんは7歳年上で

母の実家で祖父母と一緒に住んでいました。

母は私を出産した時は里帰り出産だったので

生まれたばかりの私をよく知っている一人です。

「おむつ替えてあげたことがある」

「布団に乗せて動かすととても喜んでた」と

10歳年上の同じく母の実家の従姉妹のお姉さんと

私の赤ちゃんの頃を話してくれました。

 

 

「どこに住んでいるの?」「どこで働いているの?」

と話していたら

なんと!

私の住んでいるところから歩いて5分くらいの

保育園の先生をしているのだとか!

えーっ!私何回も保育園の前を通ったよ!!

 

 

と言うことで

ラインを交換して

近いうちにランチをすることになりました。

 

 

実家の近くに住んでいた従兄弟のお兄さんたちも

小さい頃よく遊んでもらいました。

最近はこういう冠婚葬祭の時ぐらいしか会わなくなりました。

父の妹からは、従姉妹のお姉さんがいつも来てくれますが

すっかり冠婚葬祭要員のようになっています。

いつも素敵なお線香を下さいます。

 

急なお別れではなく

覚悟ができていて

最後の一か月ほどは親しい人たちとも会っていたので

母とのお別れの悲しみは薄らいでいました。

 

火葬場で用意をしたお昼をいただいている間に

参列者の皆さんとお話ししていたので

ちょっとしたFamily Reunionになりました。

 

 

戒名を付けてくださったり

お経を読んでくださった尼僧の先生は

とても力がある方です。

 

葬儀の後、三途の川を渡った母の声が聞こえたそうです。

いろいろ私たち家族の接し方など後悔していることもあったそうですが

たくさんの人たちがお別れに来てくれて

とても喜んでいたそうです。

 

 

そう言う事を信じる、信じない

色々感じる人がいると思いますが

妹家族も私も

絶対に母はたくさんの身内が来てくれて喜んでいたと思います。

 

 

「色々大変でしょう」とお気遣いくださってお声をかけてくださいますが

実家の売却が済んで

遺品などは施設に残っているほんの少ししかなく

手続きが必要な資産のあれこれもほとんどないので

妹も私も意外とのんびりとしています。

 

 

これが実家が残り

家の中の物も残っていたら

こんなに穏やかにはしていられなかったでしょう。

 

暖かい介護士さんやスタッフさんがいる施設を紹介してくれたり

家の売却に格安で請け負ってくださった方々

そして

葬儀に参列してくださったり、お世話をしてくれた葬儀屋さん

周りの皆さんのご協力に感謝です。