子供は親を選んで生まれてくるの? | 頑張るお母さん チャレンジ人生 in U.S.A.

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アメリカの生活、仕事、教育についてのブログ
時々ペットの話も。
日本語教師です。
英語が苦手、だけど頑張ってます。
毎日がチャレンジです。

ちょっとスピリチュアル系のお話です。

重ーいし、気の触る方もいるかも知れないから

直ぐに消してしまうかも知れません。

 

でも、最近すごく考えて

私の頭の中だけでは収まらなくなりつつあるので

書かせて下さい。

 

 

 

『子供は親を選んで生まれてくる』

 

これって本当なの?

なら、虐待されている子供達はどうなの?

 

そう思う人が多いと思いますが

最近、私は

 

   だから・・・そう言う事か…

 

と、思うようになりました。

 

 

”ねねさん、何言っているの?”

と、思われると思います。

中にはお怒りになる方もいらっしゃると思います。

 

まあ、独り言だと思って下さい。

ここに書くことによって

私は自分のお腹に落としていきたいと思います。

 

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まず、

この世に生まれる前に

人生設計と言うか目標みたいなのを決めるのだと聞きました。

 

よく、生まれてきた『意味』とか『使命』とか言いますね。

 

その『意味』とか『使命』を遂行するためにこの世に生きている。

 

アンパンマンの歌にもあります。

”なんのためにうまれて なにをしていきるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!”

 

だけど

生まれ落ちたとたんに

それを忘れてしまうのだとか。

 

その忘れたことを思い出したり

そう言う事を遂行するために

人が関わって来て

それは、生まれる前にお約束されたものなのだそうです。

 

私の二人の子供の話をすると

 

息子はものすごく手のかかる子でした。(過去形?)

何かにつけて反抗し、

私は、頭が変になりそうになるくらい辛くて

人気のいない所に車を走らせ大声で叫んだ事もあります。

 

だけど

 

その息子から学ぶことはいろいろ多かったです。

 

早期教育をやって

進学校に入れました。

有名大学に行って

ステータスのある職業に就いて欲しい・・・

それが子供達にとって幸せな人生だと思っていました。

 

ですが

 

このブログは2009年から始めていますが

その中でもいろいろ書かれていますが

有名大学なんて夢の夢

7年生に進級できなくて

19歳でまだ高校生です。

 

そんな中で私は思いました。

 

私の望みは独りよがりの望みであって

彼の思う彼の幸せではないと。

 

上手くできなかったから

「負け惜しみだ」と思われても構いません。

「教育ママだったのに留年させちゃって」と笑われても構わない。

私は私なりに頑張った!

 

以前の私だったら

そんな事は思えませんでした。

「恥ずかしいわ」と思ったでしょう。

進学校ではなく普通の公立校なら留年はしませんでした。

むしろ

転校したら成績優秀者になりました。

だから

以前の私だったら留年しそうな時に早々に転校させていたと思います。

 

もしかしたら

 

家庭教師を雇って

なにがなんでも進学校で頑張らせたかもしれません。

嫌がる息子に無理やり勉強をさせて

そうしたら

きっと息子の精神は病んでいたでしょう。

 

自分の我を通す

自己満足

見栄を張る

 

などなどを棄てて

 

尊重する事

今ある幸せを感謝する事

 

などなどを

息子の存在で学んだような気がします。

 

私たちが生まれる前に

「僕があなたの子供として生まれてこんな事をするから」

「そうね、気が付かなかったら、あなたは大いに反抗して教えて」

なんて相談したのかも知れません。

 

そして

 

その傍で娘が

「あなたが親として自信を無くさないように

私は手のかからない良い子として先に生まれるわ」と。

 

その後

「でも、それは期間限定で、ずっと良い子ではいないわよ」

と、言ったかどうか…

彼女とはまた違ったお約束をしたようです。

 

友達や仕事仲間とは違い

親子と言う

なかなか切れない縁で関わったと言うことは

それだけ大事な事を教えてもらうキーパーソンなのでしょうね。

 

 

意地悪をする人

裏切ったり、騙したりしたりする人

 

その人たちは

何かを学ぶためにわざと嫌な人として現れた人たち

 

『許す』って、なかなか難しいと思いませんか?

そう感じる人は

もしかしたら、そう言う嫌な人に会う確率か高いかも知れないですね。

でも、

もしも、『許す』ことを学んだら、そういう人は現れなくなるのでしょう。

 

こんな事を書いたら

大事な人の命を奪われた人は

「何を言っているんだ!」とお怒りになるでしょう。

私が同じ立場になったら

こんな悠長な事を言ってられないかも知れません。

お気を悪くする方がいたらごめんなさい。

 

 

自ら命を絶つことは

とてもいけない事と言いますね。

 

それは

生まれる前に設定した『意味』や『使命』を学ぶと言う計画を

自ら放棄してしまうからだと思います。

それを学ぶためにいろいろな人とお約束をして

その人もそれなりに学ぶことを設定しているのに

命を絶つことにより

その人たちのお約束も破る事になります。

 

もう一つ

「乗り越えられない試練はやって来ない」

来ないんです。

なぜなら、『意味』や『使命』を学ぶために設定したから

乗り越えられない事は設定しません。

だから、猶更

くじけて人生を自ら終わりにしてはいけないのだと思います。

 

 

虐待されて辛い思いをした子供や

命を奪われた子供も

そこからお互いに何か学ぶために設定したとしたら

「親を選んで生まれる」と言うのもありなのかなと思います。

 

こんな事を言ったら

毒親に育てられて、辛い思いをした方には怒られそうですが。

私の親も立派な親ではないですよ。

「お前を殺して私も死んでやる!」と言われた事もあります。

それほど悪い事をした覚えがないのですが…

親もきっといろいろあったのだろうな。

あの時は、心に余裕がなかったのだなぁと

自分が母になって思えます。

これもまた「学び」なのでしょうか。

 

同じように子供に接するのか

反面教師として子供には別の接し方をするのか

試されているのかも知れません。

 

そして

 

それが「不幸」とか「悪い事」と言うのは

現世の価値観であって

「学ぶ」と言う意味では一つのファクターに過ぎないのではないか。

 

「お金があれば幸せ」「孤独は悲しい」とか言う概念は

この世の事であって

「幸せ」とか「不幸」とかも

「学ぶ」ための一つの要素なだけであって

生まれる前はそう言うものはない

上とか下とか良いとか悪いとかと言うものが無い

穏やかなゆったりした世界なのかなぁ…なんて。

 

 

最近、

両親など一世代上の人たちが逝ってしまい

「老後」と言う言葉が身近に感じるようになり

これからの人生をどう生きるか

などなど考えるようになった今日この頃

 

こんな事も思うようになりました。

 

お気に触った方がいらしたらごめんなさい。

その考え、間違っているよ!と思う方がいらしたら

遠慮なさらずにコメントください。

それも「学び」で、気づきの一つになると思います。