娘になった日 | 頑張るお母さん チャレンジ人生 in U.S.A.

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アメリカの生活、仕事、教育についてのブログ
時々ペットの話も。
日本語教師です。
英語が苦手、だけど頑張ってます。
毎日がチャレンジです。

今では日本の両親よりも

会ったり話したりする

アメリカの両親

 

正式に養女になったり

勿論

血が繋がっているわけではありませんが

娘が小学校に上がるまで

本当の祖父母と思っていたぐらい

親しくして頂いてます。

 

始まりは

私が成田空港で働いていた時

 

たまたま

知っている機長の奥様が

旅行で成田空港に来た時に

声をかけたのが始まりでした。

 

「WAのお家に遊びにいらっしゃい」

 

というお言葉に甘え

初めてアメリカにホームステイ

 

それから

半年に一度の割合で

お休みが取れたら遊びに行っていました。

会社の人たちは

私のBFがWAに住んでいると思っていたらしい(笑)

 

それから5年ほど経ち

アメリカと日本で結婚式をあげました。

 

勿論、お二人とも

日米両方の結婚式に来ていただきました。

お父さんは

バンコックから日本に到着した

その日に

成田のホテルで行われた

式と披露宴に駆けつけてくれました。

どこから聞いたのか

日本のしきたりに沿って

白いネクタイをしめて。

 

そして

 

ダディーの出身地 NJでも

結婚式をあげました。

 

日本から両親と

お友達も来てくれました。

 

その時

花嫁の父として

アメリカのお父さんに

バージンロードを

一緒に歩いてもらえないかとお願いしました。

 

日本の父は

日本でも式を挙げるし

父には妹がいるし

 

アメリカのお父さんには

息子さんしかいないし

「あなたはアメリカのお父さんだから」と。

 

結婚式に日

ホテルに来るはずの

リムジンバスが来ない!

 

日本から来てくれたブライドメイドで親友のHちゃんと

「どうしよう、結婚式に遅れるぅ~」と心配していたら

お父さんが

「大丈夫、僕たちが来るまで式は始められないんだから!」と。

確かに(笑)

 

式はダディーのお母さんが通っていた教会

とっても小さな教会でした。

10月だったので

紅葉がきれい

 

日米、沢山の結婚式の写真の中でも

お気に入りの写真がこれ

父の日のカードと一緒に

ナーシングホームに飾ってもらおうと

一緒に送りました。

 

 

この日が

アメリカのお父さんとお母さんの

心の娘になったような気がします。

 

なんで

Hちゃんではなく

リムジンのドライバーが・・・・

 

 

日本の両親が

気を悪くしないかって?

 

いえいえ、

うちの両親、特に母は

「いつも娘がお世話になって

孫まで良くしてくれて

ありがとうございます」と感謝する人です。

 

今日は父の日

お母さんの携帯に電話したら

ちょうどナーシングホームに

お父さんに会いに来ていた所だったので

お話しすることができました。

 

こういう偶然

今まで何度もあって

やっぱりご縁があるのだなぁと感じます。