実存は、本質に先立つある朝、目を覚ますと私は私ではなくなっていた。
私は私の形をした体の中にいてはいたが、
私の形をした私の体は私ではなかった。
私は私の形をした体にいることは、
確実ではあったし、私はその体に存在していた。
私の頭の中は天使の羽音とも、虫の羽音とも、
判別できない何かが、飛び回っている。
しかし、やがてそれが最初の思考通り、
天使の羽音と、虫たちの羽音であると認識するのに
時間は掛からない。
その音を聞いていると、
なにか漠然とした力に脅かされる疎外感ではないのか。
痛感させられる。
それを例えるならば、宗教的な神や仏の前に
ただ一人佇む単独者と同じであり、量的価値では図れない
ものではないのか。
私は私で、それを罵倒す。
よく耳を傾けてみると、天使たちは囁きあっている。
しかし、その会話の中身までは聞こえない。
虫たちはそこには存在しているが、それは私の一部
ではあるが、ただ羽音だけが、
私の中に存在しているかのようだった。
私は天使の羽音は、一般的な関心であると思い、
それはまた実存であると思った。
虫たちの羽音は、反権威的な思想なのだと思い、
それはまた本質であると思った。
一般的な関心は既に失っていて、
反権威的な思想もすでに無い。
これが私の現状の段階であり、私の実存と本質では
ないのかと思われる。
ただ、たった今思考する私の思考は、純粋なものであり、
天使と虫が頭を飛び回っている以上、
これによってまだ実存も本質も、私には残っていることが
辛うじて理解できる。
本質は、実存に先立つのか。
これは難しい。
潜在的な本質は、果たして私を形作る実存より、
先に作り出されていないのではないのか。
やがて、天使の一人が約束を逸脱し、私へ
話しかけて来た。
その天使は、黄色の天使だ。
「虫たちの言う事を、聞いてはいけない」
黄色の天使が私に、そっと囁いた。
それは本質だから?
私は黄色の天使に聞き返すが、黄色の天使は紋切型の
羽音を立てて、何事も無かったように、他の天使と
なにごとか囁き始めた。
私の体は立ち上がる。
私の体は目を覚まし、立ち上がろうとしている。
私は、この空虚な二元論に嫌気が差したと、
呟いてみた。
私の体は、その呟きに気付かない。
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