就職活動っていっても、

毎日、出かけるわけではないので

また、午後だけだったり、

午前中だけだったりするので

暇な時間が多いです。





ですので、ダンベルで

筋トレをやっています。





このダンベルは、高校生の時から使っています。

当時所属していた部活の部室から

勝手に持ってきたものです。







このダンベルを見ると、

       高校時代を思い出します…



あの、青い畳の甲子園が…

































高校生の時、私は柔道部にいました。



練習場所は格技場で、我が高校は格技場に3つの

部活が練習をしていました。

剣道部、柔道部そしてフェンシング部。

この3つ部活の力関係を示すと、





剣道部>柔道部>フェンシング部





でした。

人数もそれに比例していました。

よって、格技場の使う場所も



1階剣道部 2階半分柔道部 2階半分フェンシング部

という、モノでした。



私は、1年生の時、柔道部に入って

この力関係に不満を持ち、何とか

したいと心に秘めました。





私が1年生当時、フェンシング部の人数はって言うと

3年生4人、1年生2人とわずか6人。



我が柔道部は、20人以上と

人数比が全く合っていないのに、

格技場は半分づつと、おかしなことになっています。



これには

『何とかしなければならない』

と、15歳の私は遠大な計画を

練り、青春をささげよう

と若き心は燃えました。





高校に入学し、1年が経ち

私も2年生へとなりました。



後輩である1年生も、すぐに何人かは

我が柔道部に入部してきました。





私はそのうちの二人を呼びました。



『お前らは練習しなくてもいい。

 格技場の前に立ち、同じ1年生が来たら

 何部に入るか聞いて、もし

 フェンシング部だったら、潰れたと言え』



的確な指示でした。



人を変え、しばらくこれを続けさせました。

そうするとどうなるか。



当然フェンシング部は新入部員ゼロです。

新3年生も、元々いないので

これでわずか2人となりました。

第一段階は成功です。





フェンシング部は二人しかいないからか

練習も、毎日が、週4になり、週3になり

と、だんだん練習もしなくなってきました。



しめしめと思っていた

そんなある日、



私はふと考えました。



柔道であろうと、フェンシングであろうと

勝負の世界。

奴らの成績はどうなんだろう。



そう思い、

聞いてみました。



『君たち、成績ってどれくらいなの?』



『関東で3位』



やってしまった。

そんなに強かったんだ。



そんな強い部活を、自分たちの

エゴで潰そうとしていたのか。





私は自分を責めました。

我が高校で、全国大会に出れるような

部活は、アメフト部だけだったので、

関東で3位ぐらい強ければ、全国大会も

夢ではない。

そんな部を潰そうとしていたのか。







でも、何かがおかしい。

関東で3位なら、全国大会に出ているはずだ。



しかし、今までフェンシング部が全国大会に

出たって聞いたこと無い。

そこで



『フェンシング部って関東に何校あるの?』



聞いてみました。すると



『関東に3校』



ビリじゃん。



やっぱり、間違ってなかった。

こんな部活潰してしまえ。







作戦の第2段階を、実行する日が近づいてきました。



フェンシング部が、練習をしていない日に

畳を格技場全体に敷き詰める。

これを実行しました。



その日の練習は、広くなり充実した練習となった。

しかし、

当然、後日フェンシング部からクレームが来ました。





無視しました。





また来ました。





無視しました。







奴らは、廊下で練習し始めました。

勝った瞬間です。





私が3年になった時も、当然1年生を格技場の

入り口に立たせ、フェンシング部への新入部員を

ゼロにしました。







やがて、3年生も引退すれば部員はいなくなり

消滅です。



ついに足掛け2年以上にわたる

私の計画は、成功したことになります。



ただ、ここで満足する私では、ありません。

私の卒業後、ひょっとしたら、新たにフェンシング部

に入部する奴がいて、畳を撤去させられる

事態がありえるかもしれない。





最後の詰めが必要です。

そこで、先生へ進言しました。



『フェンシング部もいなくなったことだし

          新しい畳がほしいですね』



無理やり倍に広げたので、畳が足りてませんでした。

そこで、新たに畳を入れてもらい、

完璧な道場にし

完全勝利を目論見たかったのです。





先生はがんばりました。

最後、私たちが卒業する春休み

なんと、

畳どころか大幅改装して、畳の下にスプリングの入った

投げられても痛くない、赤畳の入った

すばらしい道場へ変貌したのです。

柔道専用の道場へと変貌したのです。







柔道はまじめにやってこなかった、私ですが

すがすがしい気持ちで

卒業しました。



 





ちなみに

谷亮子は同い年

です。
ちょうど一年前、

どこにいたかと思えば、

パキスタンにいました。



ウルドゥ語で

ありがとう。は

シュークリアでした。



そして、ギルギットは

ニューツーリストコテージに

泊まりました。



ニューツーリストコテージは

ジャンがマネージャーでした。



そして、昨日

ジャンに新宿で会いました。

なぜか、ジャンは日本にいました。



新宿は「カラチ」

っていうレストランで

食べました。



でも、カラチは

行ったことありませんでした。



ジャンはもちろんムスリムで

スンニ派なんで

お酒は飲めませんでした。



イスマイル派でも

ありませんでした。



だから、ジャンの分も

お酒を飲みました。



ジャンは変わってませんでした。

ギルギットの風光明媚な

景色を思い出しました。



ニューツーリストコテージには

日本の漫画があり、

すごいよ!マサルさんを

思い出しました。







と、ジャンの話はこれくらいにして。



就職活動の話を。



就職活動をはじめます。

と、言ってから

10日が経ちました。

やったことから。



?職務経歴書を作る。

?いろんな求人を紹介してくれるところ

 に登録をする。

?髪、髭を切る。

?白のYシャツと革靴を買う。

?履歴書用の写真を撮る。

?いろんな求人を紹介してくれるところ

 に行って、面談をして、自分のやりたい

 職種などの希望を言う。

?SPIの本を買う。



以上がこの期間のやったことです。



なにか、書いてみると

たいした事をやっていないのに

もう

おなか一杯です。

おなか一杯です。

おなか一杯です。



3回言ってみました。



忘れていました。

名刺の貰い方とか。

あと、話し方とか。

ビジネス的なマナーとか。



まだ、一社も面接すら

受けてないのに

めんどくさくなってきました。



労働は趣味ではない。

と、改めて感じました。































履歴書の写真です。

さっぱりしました。









ギルギットじゃなくて

カリマバード



桜じゃなくて

アプリコット



風の谷でした。
いまさら気付きました。











1つの投稿に











複数の写真が載せられる事を。











旅終わっちゃったよ。











はやくいってよ。