■東京兄妹 | ツボヤキ日記★TSUBOYAKI DIARY

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■東京兄妹 Tokyo kyodai

●静かな東京の下町の生活。二人の兄妹の暮らしぶりを脇からカメラは追うが如く、当たり前の所作、会話が綴られていく。
普通に生きている者は余程無礼でない限り、雑踏の中では誰も気にとめる事もなく、ただ見知らぬままにすれ違っていく。そのような一人一人が、傍から見れば些細な出来事に心を締めつけられている。ある日の午後、嬉しくて胸が温かくなる。朝の出勤時に吐く息の白さに迎春の用意を思い浮かべる。アルバムの中に懐かしいあの日がある。誰のものでもない、私の大切な日。人の思いは見えない。見えないから想像する。この人はどんな事を悲しむのか、と想像する。この人はどんな人に微笑むのか、と。

関わりのない人たちと見知らぬままの存在で、私たちはいつも、いる。何かの関わりがあれば、たまには気にとめようが、でなければただただ無。
人の一生で出会える人がどれだけなのか、知らない。出会えた人の数に人生は、左右されない。
人の中に育っていく敏感に反応する感情が、人を選別して、引寄せる。そういうことは意識しないままに己の中で機能している。そこで、新たな人の深みに入り込んでいったり、疎遠になっていったりする。生来の個性で、静かに生きている人が目にしている景色を見て見たい・・・。

映画「東京兄妹」は、写真もほとんどない。動画もない。公式サイトも無論ない。ベルリン国際映画祭の記録を探しても、画像はない。ビデオのパッケージと小さなモノクロ写真があった。

映画「東京兄妹」は、市川準監督によって1994年に撮影された。これをアップしないで、先には進めない。これが忘れられない。何年経っても、あの映画、と思い出す。それは東京の下町に住む静かな佇まいの日本の兄と妹を描いた一作。

両親を亡くした日暮兄妹が東京の下町で生活を営む。兄は、古書店に勤め、妹は高校を卒業する。駅に隣接したような格好の写真プリントの店で働きだす妹。二人暮らしの兄妹の関係は、父娘であり、夫と妻のようでもある。それは兄妹が記憶している両親の様子。そして、二人の彼等自身の世界がある。
兄には付き合っている女がいる。適齢期を気にしながら結婚を急かす女。女の方が走り出す。兄が友人を家に連れてくる。カメラマンの男は妹の店の常連客だった。見知らぬ相手と繋がった。妹の恋が始まる・・・。

両親と共に暮らしていた住みなれた家。季節がくれば、殺虫剤を焚き、こじんまりとした風呂で汗を洗い流す。いつも兄が帰ってくる時刻に聞こえるのは、板塀を繋げた門に取り付けられた小さな鈴の音。印象は、あくまでもひそやか。そんな中、彼等の憤りや和みや切なさも刻まれる。出会うことのない兄妹が、少しずつ変化していく様子に目をとめる。

何故、忘れられないのか。そこには生活を営む匂いがあった。家の中の温もりや外気の冷たさ、風に吹き去らされる妹の姿が凍えそうな気がした。誰もいない家の中で焚かれる殺虫剤の煙たなびく中で、亡くなった両親もちょっとそこまで出かけているような気になってしまう回想のひととき、に胸が締めつけられた。
映画「東京兄妹」の中では、季節ごとに木々が様子を変え、周囲の景色を変えていくような調子で兄妹の変化を見る。季節の訪れすら時代と共に少しずつ変わっていくだろう、と彼等を見ながら思う。両親の墓参り。兄妹の遠方、向こうに都心のビル群。
小さな囲いの中で、居住まいを正す事を由とする親の姿。姿のない両親の存在が彼等を支えている。私は「東京兄妹」が忘れられない。(1994年/製作国日本/日本公開1995年1月14日)





●Directer:市川準
●Screenwriter:藤田昌裕 猪俣敏郎 鈴木秀幸
●Cast:緒形直人 粟田麗 手塚とおる 白川和子 広岡由里子 角替和枝 小池幸次 ※因みにこの時の音楽は梶浦由紀


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東京兄妹