■映画「北の零年」は誰のための映画? | ツボヤキ日記★TSUBOYAKI DIARY

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映画「北の零年」を見た。淡路島からお家騒動の果てに喧嘩両成敗ならぬ片落ちの幕府命令によって北海道へ移住させられる稲田家。先発隊は新たな地でのお家再建に向けて、北の荒涼とした大地で殿様を迎えるべく樹を切り倒し、土を均し、道を作り、屋敷を作る。が、時代は急速に変化し廃藩置県。武士の時代の終末。渡辺謙が髷を切る。ここもラスト・サムライやね。武士の髷を切る心境はまさに切腹と同様なり、と見せてくれる場面もある。

新しい国造りと自らを奮い立たせながら耐えてきた艱難辛苦も哀れを誘うだけとなり果て、何もない荒地に残された淡路島育ちの侍達の行方。食糧不足に耕せど耕せど何も実らず・・・。この地で家老に継ぐ指導者を小松原を演じるのが渡辺謙。その妻に吉永小百合。健気に夫に添いながら、やがては夫不在の地で淡路から連れて来た農夫等と力を合わせて開墾してゆく、という物語。

時代に翻弄される人間模様、北の大地を切り拓いた人々の苦労、生きるための選択、その地を牛耳る者の成り上がりの様、そしてアイヌの存在。そういった出来事などが組み合わされて1本の映画になったものの、ハテ?見終って思うのは、これは誰の為の映画なのか。

描かれるのはラスト・サムライ、ではない。アイヌと共存する和人、でもない。時代の変貌、お上への憤り、それだけでもない。厳しい自然に立ち向かう人々、ある女の数年の記録・・・?
今、生きている日本人のどこの誰に見せたいのか?。いったいどーいう日本人のために文化庁は支援したのか。
誰のために行定監督はこの映画を作ったのか。それがぼやけて、ぼやけた先を見据えようとすれば、その先には、明日を見れない文化庁と、これならOKという企画を作った映画会社と、自らのプロフィールを重ねることで始末した監督等の姿がシンクロする。
ここから何を掴め、何を考えろ、というのか全く解せない。何も考えずに良い、ただただ主役級の俳優達に見惚れていよ、というなら、国の支援など使わぬが良い。
未だに「文部省推薦って感じよね」などという不埒な単語を定着させてしまったお役所仕事を恥とも思わぬ面々。
見る側もいったい「支援」「助成金」などが、どこの懐から出ているのか、怒らないから仕方がないか。
話は飛ぶが、今日日多数存在する自治体のフィルム・コミッションに関してもその実態は怪しいばかりだが。

では、この映画を突き詰めていくなら、吉永小百合さんの映画ですか。
1人の女優さんのための映画か、と当方は受け取りました。
北の大地で生きていく健気な明治女の数年を追った物語を吉永小百合が演じてみせます、新作映画。

吉永小百合という女優さんは、年齢の割りにはすこぶる肌の綺麗な方でした。しかし、そりゃ職業柄当たり前の事ではあります。しかし、どう見えても娘との関係は、孫と祖母の距離感があります。美顔、美肌はメイクさんも努力したのかと思いますが、笑えばシワは深いです。それは吉永さんご自身だからこそ美しいのであって、役柄には不要なシワです。映画の冒頭、さらに娘が幼い頃位はボトックスなど使い、ピンと張った肌を作らねば、と思うのは当方だけか。

これが女優の凄まじさ、だという逸話として田中絹代さんが「楢山節考」で抜歯した事がよく語られますが、田中絹代を演じた吉永さん、田中さんを憧れる吉永さんならば、アメリカでもどこでもいってピンの顔に仕上げて本番に臨んで頂きたかった。そりゃもうアチラの美肌、造作の修復技術は優れもんの出来です。それやってピンのフェイスで今回、役柄のためにヤッチャイました、なんて仰る姿を拝見できれば、エライ!って拍手です。そこを整えて当たり前で、そして本番の演技です。女優がスクリーンでナチュラル、というのは、素のままでいいとはわけが違う、そう当方は思います。

ただただ仏の化身のように、慈悲深く、男に添いながら生きていく。
時代の中にあってそーいう女性が当時は一般的でしょうが、感情を抑えて抑えて生きている姿を演じながらも、場面では人を哀む目線も感じられます。それは実は蔑みの裏返しでしかない、それでは仏にはなれません。
ま、監督の演出が問題ありなのでしょうが、そう、カッと目を見開かないでください。驚きまで、文楽人形の目の開きに似せなくても良い、と当方は感じます。

当方は今回、市川監督作の「細雪」で見せてくれたちょっと小ズルイお姉さんの様子がありかなと、逞しさを垣間見れるかな、強かな一面をほんの少しはと、期待したのですが残念でした。あくまでも装っちゃって終わりましたね。
ここまで年齢を重ねた吉永さんには主役だからこそ、もっと深めていただきたかった。女優、ああ、これが日本の女優、という見る側に感じさせてくれる演技者の深さは求める方が無茶でスた。

良かった点?俳優個人で言えば、泣きの豊川の真骨頂といった場面がワンシーンありました。豊川悦司の泣きには久し振りに少し救われました。いい泣きをします。その泣き、当方落札!です。上半身は華奢振りが否めないのですが、少し腰辺りに巻物したのか、ガタイもそこそこ良く見えました。
ただ、脚本の有り様がいただけなく、終盤の出方などは大口広司と共に馬で去る、というなら格好良かっただろうにと当方は思いました。死に場所見つけるってのは、当時のある種の侍根性でしょうが、この際、人生再生と開き直った新しい脱侍の人間像であれば、豊川悦司らしく光らせることが出来たかもしれない。これで豊川さん、満足してませんよね。満足してたらガックシです。

相方の大口さん起用は、それだけで正解でした。セリフなどはこの際、捨て置きます。アイヌって、たった二人ぼっちかい!って突っ込みたいところですが、そーいう辺りも捨て置きましょう。仕方ないやん、監督の考えなんだから。で、大口広司の面構えの良さに満足でした。長い顎を髭で覆って、似合ってました。ああ、喋り過ぎないで、と祈ってました。
阿部ちゃん、サダちゃん、頑張ってんのわかるから茶髪は染めなきゃ。他にも茶髪いたけど、ある種役柄わきまえてたんたんと演じていた吹越満たんは、黒かったやん。柳葉さん、髪も鬘も黒、と指定してさ、セリフは淡路訛りで行きましょね。渡辺謙さん、御苦労様でした、「バットマン」を期待してます。

しかしね、耕すまえに馬探せよ~って、ある場面で思いました。これ脚本通りに撮ったんでしょうか、監督の言い分を聞きたいやね。「世界の中心で、愛をさけぶ」を撮ったことで随分ガックシきたのに、行定監督、次は何ですか?そろそろどっかで勝負してください。今回は映画の始まりからして御大層な幕開きで、様々な背景に潜むお歴々を意識されたのか、お疲れだとは思いますが、どーか、起死回生の1本をお願いだからさ、撮ってね~。

「北の零年」を観た!(ネタばれなし)
12人の優しい日本人