回顧録 中学3年秋 最後の全国予選 その② 初優勝 | 波太の日々精進 (サーファーだった人)

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いつか妻や子供達がここを見て俺の心境などを知ってくれたらという備忘録という名のおっさんラプソディー。

回顧録の続き。


中学最後の全国予選。

難しい初戦のマウンドで息子が先発。見事に勝利し、その次も勝ち、ついに迎えた最終日。


この日に準決勝、決勝となる。


息子は投球可能数を残したまま、"いつでもスクランブル登板出来るように"ミーティングで監督に言われる。


迎えた準決勝。


よく試合をしている相手チーム。

だから多分大丈夫だろうみたいな雰囲気がベンチや保護者にも試合前に漂っていた。


先発はエースの子。

前日の試合で緊張が解けたのもあるし、エースの安定感ならば大丈夫と思っていた。


が、そうは問屋が卸さない。


同じように対戦相手の3年生は負けたら引退。


彼らだってプライドを掛けてくるわけだ。


エースの子がタイムリーを浴びて先制を許す。


盛り上がる相手ベンチ。


以前なら勢いに飲まれる展開もあったが、うちも勝ちたい気持ちはいつもと違う。


その裏に反撃とばかりに同点に追いつく。


そうなるとエンジン点火状態になる。

ここから容赦ない連打で中盤から畳み掛ける。


結局、先制こそ許したがチームカラーの強力打線が爆発して6回コールドで決勝進出を決めた。


更にピッチャー陣は初戦の息子のように投球可能数をかなり残して、小刻みな継投で繋げたのでピッチャー全員が投球可能な状態で決勝に臨めるのも強みだ。

ピッチャー全員がいつでもスクランブル登板出来るように計算してある。



あとと一つ勝てばチーム創設初の中日本チャンピオン。 


そして全国から集まる年間チャンピオン大会への出場が決まる。


実はこの時点で地元枠としては年間チャンピオン大会の出場は決まっていたが、やはり欲しいのはチャンピオンの称号であり、3年間共に歩んできたチームメイトと優勝という結果がほしいので出場権は後回しで良い。




世の中には『因果』と言う言葉がある。


決勝の対戦チームはまさに因果そのものだった。


東海地方まで遠征しに来てるのに、同県での決勝となった。


しかも息子が小学6年の時に最後まで今のチームと入団を迷った超強豪チームである。


更に更に

その相手チームの監督コーチは以前に書いた分裂騒動により、チームを出て行った前々監督なのだ。

その時に一緒に移籍した仲間もベンチにいるし。


この前々監督が作り上げたチームの雰囲気に惚れ入団した今のチーム。

それに1年の時は大事な試合でも起用してもらった恩人でもある。


大人の事情で袂を分った人間が最後の大会で、しかも決勝と言う舞台で対戦相手として立ちはだかる。

まさに因果な対戦となった。



とは言え、うちの子供達も恩返しの意味を踏まえて、前々監督には成長した姿を見せたかったに違いない。


色々な思いが交錯する決勝がプレイボール。


初回にいきなり先制に成功。


しかしその裏に2アウトながらランナー2塁、3塁のピンチ。


雰囲気的にこれがターニングポイント。

ここでタイムリーなんか打たれたら一気に流れが傾くのは明白。


うちの先発ピッチャーは調子が良さげだったが、このピンチに大きな当たりを撃たれてしまう。 


打った瞬間に外野の奥に行くのが確実な打球。


まずい… 


大きく速い打球はどんどん伸びて、ライナーでフェンスに…

当たる!


と思ったその瞬間、


何とライトがダイビングキャッチ!


値千金の大ファインプレー!


今大会一番盛り上がった場面だった。


最大のピンチを脱し盛り上がるベンチ。

皆んなが出迎える円陣に100万ドルの笑顔で飛び込んでくるライトの子。


実はこの子は息子と小学校から仲が良く、同じ県選抜チームでプレーしていた。

誘い合って入団した子。

スタメンで先頭打者として3年間チームを引っ張ってきた子だ。


ちなみに我がチームのセンターとこのライトの2人はまるで競走馬のように足が速い。

だって片手間で中学の陸上にも在籍してて全国大会出ちゃうくらいだもんな…

(しかもこのコンビで同じ高校に行くんだから、その高校は外野安泰だな)


そんな彼だから捕球出来たプレーだった。

常にアグレッシブで"諦めない心"と自慢の足が産んだビックプレー。


こうなると"流れ"は完全にこちらに来るわけだ。


相手のミスもあり、更に打線が繋がり始める。

小刻みに点数を入れていき中盤までにかなりのリードを奪っていた。


うちのピッチャーは既に中継ぎエースに変わって、相手の反撃をしっかり抑えて完全にこちらのペースとなった。


すると監督が息子に肩を作るよう指示を出す。


『最後はお前がクローザーとして抑えこい』


とはっきり口にする。


更に


『この大会の初戦の先発はお前だった、最後もお前で終わった方がすっきりするだろう』


と粋な事を監督が言う。


息子もブルペンに向かっていく。


ちなみにこのスタジアムのブルペンは離れた室内にある。



その様子を観客席から見ていた俺。

色々な意味で込み上げてくる感情や思い出。


このまま試合が進んで息子が立ち、この色々な因果を含んだこの試合で勝ち名乗りを受ける絵を妄想していた。


ふと気付くと、我がチームの攻撃時間がやたら長い事に気づく。


後攻めの我がチーム。


スコアボードを見ると4回裏ですでに8-0でリードし、更に塁上にランナーがいる。


あれ?

決勝でもコールドってあったよな?


確か4回で10点差開けば成立するんだよな。


?!


塁上のランナーが還ればコールドが成立する!


そうなると息子は投げないんだよな…


しかも息子は離れた室内ブルペンで肩を作りに行ってる

って事は、ゲームセットの時にグラウンドにはいないんじゃないか?

と、悪い予感がしてくる。


そして悪い予感は的中するもんだ。

容赦無い攻撃は続き、タイムリーとなりランナー2人が生還。


この時点でコールド勝ちとなり、同時にチーム創設の中日本チャンピオンとなった。

同時に最後の全国大会への出場が決まった瞬間でもあった。


子供達も夢中だから、決勝でもコールドが成立する事に気付かなったんだろう。

球審に言われてようやくコールド勝ちした事を認識していた。

そこからハイタッチやガッツポーズが出る。


で、息子は誰かが呼びに来たらしく、予備キャッチャーと2人でポカーンとした顔で登場…


あれ?終わった?

みたいな顔してる息子の元に他の子達がハイタッチを求めに来て、そこでようやく事態を飲み込んだようだ。


なんてタイミングの悪いやつなんだろう…



息子はやはり投げたかっただろうし、監督がカッコいい言葉で送り出したから"そんな気分"にもなっていたのだろう。


優勝した喜びと、投げれなかった事への心残りが入り混じる表情だった。




優勝と言う最高の結果で指導者、保護者を含めてとにかく歓喜した。

これで息子をはじめ3年生の引退は1ヶ月近く伸びる。

次は中日本の代表として全国大会に乗り込むのだ。


チームの代表も、指導者の皆さんも保護者や子供達と喜びを分かち合えた。


結局、初戦以外は全てコールド勝ちと言ううちの最大の特徴である攻撃力がいかんなく発揮された大会だった。

特に4番の子は夏が終わってからの集中力が凄く、この大会でもガンガン打っていた。


一つ付け加えるなら、うちはピッチャーの枚数が多い。

そしてそのピッチャー全員が投球可能数を残してあったが為に、ピッチャーのやり繰りに関してかなりの気持ちに余裕が生まれていたのも要因だ。


相手チームも攻撃野球を武器としていたがピッチャーの数ではうちが上回っていた。

現にピッチャーを何度か変えざるを得なくなり、最後出てきた子が一年生だったのが象徴である。


うちはまだ息子もいたし、右の本格派の子やあと1人投げれる子もいた。

2年生ピッチャー2人も残っていたし。


そして閉会式では優勝旗やトロフィー授与があり、キャプテンと副キャプテンが前に出る。

そこに息子がいて、そう言えば息子が副キャプテンだった事を今頃思い出した…

完全に忘れてたわ…


記念撮影やら何やらが終わりグランド整備へ。


すると相手チームの監督コーチから話しかけてくれた。

まずは息子が1番成長したと言う事を言ってもらえた。

特に元コーチはお世辞なんて言わない人だから、素直な感想なんだろう。

ついでに最後に肩を作りにいって、優勝のその瞬間にいない間の悪さも笑っていた。


試合の後半で相手ベンチではうたまの中継ぎを打ち崩しても、まだ息子がいるという事実がかなりのプレッシャーだったとの事。

やはり投球可能数を残す采配はズバリ効いていたようだった。


これに満足せず、まだまだ頑張って!と温かい言葉も頂けた。



子供達の頑張りにより、堂々と優勝して最後の全国大会に乗り込む事が出来る。


さあ、泣いても笑っても本当に最後の大会が待っているぞ。