疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわひらめき

 

 

 

どっぷり梅雨に入りました。

雨が途切れる間がありますので、

気になっていた花壇の枯れたアンデスの乙女を3株

みつ鍬で掘り起こしました。

・・・ら、腰が痛くなってヘロヘロです。

 

 

 

 

 

 

 

 

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

三宅香帆著ー2024年4月発行ー。

 

 

 

著者は文芸評論家として活躍している。

『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、

あの名作小説を面白く読む方法』とか興味深い本も書いておられる。

京都大学大学院在学中に『人生を狂わす名著50』を上梓。

筋金入りの本好き。

だがそんな著者でさえ、働き始めると、

スマホを見る時間はあるのに本が読めなくなったという。

その経験をネットに綴ると共感の声が多く寄せられ、

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いを

設定するに至ったそう。

 

 

 

本が読めなかったから、会社をやめました

ベル本を読む余裕のない社会って、おかしくないですか?

子どものころから本好きだった著者は、

就職してすぐ、毎日があまりにハードであることに驚いた。

そしてある日、はたと「そういえば最近、全然本を読んでいない」

と気づく。

 

 

実を言うと、本を読む時間がまったくなかったわけではない。

電車に乗っている時間や夜寝る前の時間、

スマホを眺めている時間、

飲み会の時間、

休日の睡眠時間を読書に充てればいいのだ。

だがなぜかそれができず、本を開いても、

すぐ眠くなったりスマホを見てしまったりしていた。

 

 

結局、本を読みたい気持ちが募り、

3年半で会社を辞めて、本・漫画の解説や評論を書く仕事に就いた。

あのまま会社員を続けていたら、

今のように本を読むことはできなかっただろう。

 

 

その経験をネットに綴ったところ、

「私も働いているうちに本が読めなくなりました」

という声が多く届いた。

どうやら日本では、本がじっくり読めないような働き方が

マジョリティらしい。

しかし、そもそも

本も読めない働き方が普通とされている社会って、

おかしくないだろうか?

 

 

 

ベルあなたの「文化」は、「労働」に搾取されている

著者にとっての「本を読むこと」は、

あなたにとっての「仕事と両立させたい、仕事以外の時間」だ。

 

 

人生に必要で、労働と両立させたい「文化」は人それぞれ異なる。

海外の言語を勉強すること、

大好きな俳優の舞台を観にいくこと、

家族と一緒にゆっくり時間を過ごすこと・・・・・

こうした「自分の人生にとって大切な、文化的な時間」は、

決して労働の疲労によって奪われていいものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事がアイデンティティになる社会ーー2000年代

ベル労働で「自己表現」を果たす時代

2000年代以降、日本社会は「仕事で自己表現すること」

を称賛してきた。

 

自己実現が果たせる仕事に就けることが最高の生き方だ。

好きなことを仕事にするのが理想的な生き方だ。

そのような考え方はそもそもどこから来たのか?

 

 

その答えは、2002年(平成14年)に

ゆとり教育が開始されたのとほぼ同時期にベストセラーとなった

村上龍『13歳のハローワーク』にある。

『13歳のハローワーク』は、

子どもが好きなことに応じて、

その「好き」を活かせる職業が紹介されている本だ。

 

 

 

この本の「好き」と「将来の仕事」を結びつけるという思想は、

2000年代におこなわれたゆとり教育にも反映された。

 

 

 

ベル労働者の実存が仕事によって埋め合わされる

「好き」を活かした「仕事」という幻想ができたのは、

1990年代から2000年代のことだ。

その背景には、日本にもやってきた新自由主義改革があった。

 

社会学者の永田大輔が『消費と労働の文化社会学』

のなかで指摘しているように、

労働者の実存は、教養ではなく労働によって

埋め合わされるようになってしまった。

それ以前には、学歴のない人々が本を読んだり

カルチャーセンターに通ったりして「教養」を

高めることで自分の階級を上げようとする動きも

確かに存在していた。

 

 

だが、新自由主義改革のもとではじまった教育において、

私たちは教養ではなく

「労働」によって自己実現を図るべきだという思想を

与えられてしまったのだ。

 

 

 

ベル本は読めなくても、インターネットはできるのはなぜか?

2000年代はIT革命が起こった時代だ。

インターネットによって生まれた「情報」の台頭と

入れ替わるように「読書」時間は減少し、

「読書離れ」が始まった。

 

 

「情報」と「読書」の最も大きな差異は、

知識のノイズ性である。

読書して得る知識にはノイズーー偶然性が含まれる。

実際、

教養と呼ばれる古典的な知識や小説のようなフィクションには、

読者が予想していなかった展開や知識が登場する。

 

 

それに対して、情報にはノイズがない。

なぜなら情報とは、

読者が知りたかったことそのものを指すからである。

 

 

余裕なく仕事にのめり込む労働者たちにとって、

趣味もまた仕事のノイズになる。

そのような社会で、読書のような偶然性を含んだ媒体が

遠ざけられるのは当然のことだろう。

「働いていると本が読めなくなる」原因は、

多忙だけではないのだ。

 

 

 

つづく・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは働いていたときのほうが

本をたくさん読んでいた時期がありました。

人生を励ます言葉を探していたのだろうと、

懐かしく思い出しました。

 

 

 

では、また明日^^

 

 

 

 

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