がんばることをやめられない➁ | ふーちゃんのブログ

ふーちゃんのブログ

ご訪問ありがとうございます。
私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわニコニコ

 

 

 

 

萌え始めた山々の木々がそろそろ水が欲しいころ、

昨夜から久しぶりの雨が降りました。

一気に青々として喜んでいるのが見て取れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のつづきです。

 

 

 

 

トラウマのしくみ

ベルストレスは身体に記憶される

近年の研究では、トラウマは「心の問題」であるととらえられている。

衝撃的な出来事やストレスに見舞われると、

筋肉が緊張してホルモンが分泌される。

こうした反応は身体に記憶され、

「Aという出来事が起こると、Bという身体反応が出る」

という一連の流れが再現されるからだ。

このような身体の記憶は「手続き記憶」と呼ばれる。

 

 

 

たとえば、「ひどい交通事故に遭った人が、

しばらく経ってから自分の車にガソリンを入れようとしたら、

急に胸がドキドキし始めた」というようなことだ。

これはガソリンの匂いをきっかけに、

身体が記憶している恐怖(手続き恐怖)が再現されたからである。

しかし本人は、なぜドキドキしているのかわからない。

これがトラウマ反応の基本的なメカニズムである。

 

 

「トラウマ反応」は職場や日常生活で頻繁に起こりうる。

そのひとつが「電話恐怖」だ。

職場で電話が鳴ると身震いするほどの恐怖を感じたり、

大量に手汗をかいたりする。

この原因は、過去に恐ろしい相手から執拗に着信があったり、

電話口で怒鳴られるような

激しいクレームを受けたりしたことが関係している。

電話の着信音がトリガーとなって、

不快な身体反応が再現されてしまうのだ。

 

 

 

 

 

ベル「心」と「身体」の接続オフ

あまりにつらいことがあったとき、

脳は「心」と「身体」を切り離して、

他人事のようにやり過ごすよう機能する。

この現象を「解離」と呼ぶ。

 

 

解離は大きく2種類に分けられる。

ひとつは「自分」と「世界」の間に壁をつくり、

ぼんやりさせることで苦痛を減らす「離隔(ぼんやり解離)」だ。

大きなストレスを抱えていても、

「あまりそのときのことを覚えていない」というのはこれに当たる。

 

 

もうひとつは「区画化(アイデンティティの解離)」である。

これは、心の中に本来の「私」がアクセスできない区画をつくり、

そこに怒りや悲しみなどの感情を封じ込める防衛反応だ。

 

 

解離によって仕事や人間関係に支障が出ることもあるが、

決して悪いものではなく、すぐさま治療をする必要もない。

解離は、

苦痛から逃れるために身体が選択した「生存戦略」であるからだ。

 

 

 

「がんばることをやめられない」状況が生まれるのは、

解離が機能しなくなったときだ。

ストレスにさらされると本来の「私」のキャパシティは小さくなり、

壁の向こうの「わたし」があまりに大きくなって

解離が維持できなくなると、

壁からトラウマが漏れ出して「もうダメだ」「死んでしまいたい」

となってしまうのだ。

この構造を知って、本来の「私」のキャパシティを確保するための

行動をとることが大切だ。

 

 

 

 

私の中のいろんな「わたし」

ベル見捨てられるのがこわい「わたし」

いろんな感情を持つ「わたし(パーツ)」には、

どのようなかたちがあるのだろうか。

 

 

パートナーからの返信が遅く、

気が狂いそうなほどさみしく感じたことはないだろうか。

他者と親密な関係性を築く中で、

極度なさみしさや見捨てられる恐怖を感じるのは、

幼少期に満たされなかった「愛されたい」という感覚が

心の奥にくすぶっているからだ。

 

 

子どもは心の容積が小さく弱い存在である。

もし親などの親しい他者から安心を与えられなかったら、

存在を脅かすほどの恐怖を感じるだろう。

こうして生まれるのが「愛を渇望するパーツ」である。

このパーツがある人は、

心を許した人と親密になることを強く望みながら、

その相手が離れたり自分を見捨てたりすることを極度に恐れる。

 

 

見捨てられるのが怖い「わたし」とうまくつき合っていくには、

トラウマ担当のパーツである「わたし」の感情と、

今ここにいる「私」の感情を分けて考えることが大切だ。

さみしさや怒りがわき上がってきたら、

その感情は本来の「私」の感情かどうかを立ち止まって考えてみよう。

 

 

また、パートナーシップは親子関係ではない。

他人(パートナー)に自分の痛みやさみしさを埋めてもらう「親代わり」

を求めてしまうと、関係の維持は難しくなる。

 

 

 

 

ベル親しくなることを回避する「わたし」

人に頼れない、本当の気持ちを他人に話せない、

人と親しくなることがこわい・・・・・。

こうした反応は、親しい他者に危害を加えられたり

深く傷つけられたりした経験から生まれるトラウマ反応だ。

 

 

「回避・拒絶パーツ」は、

「親密さ」に紐づくつらい経験から自分を解離するために生まれる。

このパーツを持つ人にとって、

人と親密になることはとてもこわいことだ。

そのため、「この人には心を許し過ぎてしまった」と感じたら、

「離れなければいけない衝動」が無意識レベルで発動されてしまう。

 

 

回避・拒絶パーツを持っている人は、

親密さに恐怖を感じている一方、

心のどこかで「安心できる関係をつくりたい」

という相反する願望を抱えている。

矛盾した感情が併存することは、決しておかしいことではない。

ますはその構造に苦しむ、自分を理解してあげることが大切だ。

 

 

 

 

 

「わたし」とつながりなおす

ベル生存戦略を見直す

壁の向こうの「わたし」は自分のひとつの側面であり、

敵ではない。

怒りも恐怖も死にたい気持ちも、

みんな私の「一部」であり、

未来の「私」を生かすために生まれてきたのである。

 

 

危機にさらされていたときの生存戦略は、

現在の環境と合わなくなってきている。

だが、壁の向こうの「わたし」はそれを知らず、

今も震えながら「良かれと思って」最善の努力をしているのだ。

 

 

まずは、命がけで本来の「私」を守ってくれた

「わたし」の存在と役割を認め、

リスペクトを持って対話を重ねていこう。

この「内的対話」のプロセスこそが、

パーツとうまくつき合っていくための秘訣である。

これができれば、壁の向こうの「わたし」との関係は

改善していくだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間の脳は、つらい出来事に遭っても、

日常でそれを思い出さなくて済むような構造になっているらしい。

もしあなたが「がんばることをやめられない」なら、

明確に傷ついた記憶がなくても、きっと「何か」があるはずらしい。

自分の人生を取り戻したいと考えている方に、おススメの内容です。

 

 

 

 

 

では、また明日^^

 

 

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな幸せのある暮らしへ
にほんブログ村