こんばんわ
「ふーちゃんも、ああいう風な上品なおばちゃんにならなあかんで」
とのシェフの言葉に後ろ髪を引かれながら、
営業後、お散歩をかねて湯郷温泉の足湯に行きました。
なにせポカポカ陽気で春が飛んでるんですもの
「歩くこと」に技術や能力は必要ない。
楽しむことができれば、誰でも続けられる。
ウォーキングの極意に触れる本。
人はなぜ歩くのだろうか
歩くのは楽しい
人が歩くのには、実にたくさんの理由がある。
「足」がある、「ダイエットになる」、
「考えごと」は歩いたほうがまとまりやすい。
どれも正解なのだろう。
とはいえ、もし歩くことが苦痛だったとしたら、
これだけの歩く理由があっても、
「なんとかして歩かない方法」を考えるのではないだろうか。
しかし、外には楽しそうに歩いている人がたくさんいる。
実は、「楽しいから」まず人は歩くのであって、
いろいろな目的はそのあとで出てきているのかもしれない。
歩いてみるとさまざまな光景に出合い、
多くの人とすれ違う。
ウィンドウショッピングをしたり、
遠くにあった山がだんだん近づいてきたりするのも楽しい。
こうして「展開する出来事」、
情報を楽しんでいると、生きている実感を持てる。
楽しく歩けば、健康になり、ダイエットもできて、
心が明るくなる。
食欲が増すから食事も楽しくなり、
心の風景は豊かになる。
「歩くと楽しい」ことを知っていれば、歩くことは自然と長続きする。
歩くことは趣味の王様だ
現代人は歩いていない
現代では「歩いている」人でも1日7000歩程度だし、
1日数百歩という極端な人もいる。
デスク仕事や会議に時間を費やすと、
驚くほど歩かずに済んでしまう。
江戸時代の庶民は、1日3万歩は歩いていたという。
明治から大正にかけての会社員も同程度であり、
一歩平均を50センチとすると、
1日15キロ歩いていたことになる。
現代人は、ただ暮しているだけでは1万歩さえ歩けない。
「歩こう」と意識する必要がある。
1日1万歩を歩いていれば、
肥満も生活習慣病も防ぐことができ、
健康な生活を維持していける。
しかし、「歩かなければならない」という気持ちでは、
ストレスが溜まってしまう。
どうせなら楽しく歩きたい。
そうして体や気持ちをリラックスさせたい。
「楽しんで歩けば、歩くことが趣味になる」。
その域に達すれば、
1日5000歩さらに歩くことも簡単なはずだ。
5000歩は、約2~3キロの距離だ。
仕事や家事の合間に楽しく片道1.5キロの道を往復するだけでいい。
リフレッシュしながら、脳や体のためにもなる。
歩くことは趣味と実益を兼ねられるのだ。
気持ちの背筋を伸ばす
歩かないでいれば、やがて足腰が弱まり、
気持ちも沈んでしまう。
「『歩くこと』と『気持ち』は連動している」のだ。
最後のふんばりがきかないのも、
物事を簡単に諦めてしまうのも、
ちょっとしたトラブルに
立ち直れないほど落ち込んでしまうのも、
普段歩いていない場合が多い。
意識的に歩くことで、気持ちが強くなることがある。
著者の知人に、
年齢のせいで気力が衰えたことを嘆く人がいたという。
どうやら、会社を定年退職したことで生きがいを失い、
新たに打ち込めるものを探したものの
どれも長続きしなかったようだ。
そこで著者は、
1日1万歩を目安に意識して歩くことを勧めてみた。
一念発起して意識的に歩き始めた彼は、
やがて歩くこと自体に楽しみを覚え、
足腰が鍛えられたことで気力も満ちてきた。
自嘲的な物言いやグチもなくなった。
「歩くことによって自然に気持ちも強くなった」のだろう。
気持ちが弱っているときに自分を責めることは、
かえって逆効果だ。
そういうときは、さっさっさっと少し早歩きしてみるだけで、
くよくよしていたことがバカバカしくなってくる。
前向きに問題と向き合う気持ちを持てるようになる。
歩くことは強い気持ちを蘇らせるのだ。
ほかの趣味も引き寄せる
歩くことが好きになると、
そこからいろいろな趣味に広がっていく。
だから、無趣味だという人には、まず歩いていただきたい。
歩いている最中に道端で見つけた花の名前が気になり、
植物図鑑がほしくなる。
図鑑を眺めていると、そこに載っている花を探したくなる。
そうして少しずつ花の名前が分かってくると、
季節の移ろいを敏感に感じられるようになる。
フキノトウで春の到来を感じ、
3月の終わりにはタチツボスミレの薄紫の群落を心待ちにする。
日本には50種を超えるスミレがあり、
中には日陰でひっそりと咲くものもあるが、
そんな花に偶然出会えると、それだけでとても嬉しくなる。
歩いていると、小さな花のひとつ一つにも名前があり、
命があることを実感できるし、
またその場所で花を咲かせられるように
自然環境を守ろうとする気持ちも高まる。
バードウォッチングも同じだ。
鳥を見ることが好きな人たちと自然と友だちになり、
「鳥は見ようと思えば見える」
という極意めいた心がまえを教わる。
鳥の棲む森のことが気になり、
開発ラッシュによる自然破壊に無関心ではいられなくなる。
いろいろな人に話を聞きに出かけ、
図書館で資料を調べ始める。
そして、市民たちがさまざまな形で
自然環境保護の運動を行っていることを知り、
それに参加するようになる。
そこまでいくと趣味の範疇を超えたかもしれないが、
楽しく歩く趣味を続けるためには、
おろそかにできないことでもある。
歩きながら考えていると、
趣味の向こう側にある社会問題も見えてくるのだ。
つづく・・・。
歩くことは健康にいいことは、
いまや社会的な常識ですが気をつけて歩いている人は
どれだけいらっしゃるかしら。
道端の花に心が和むより、
ゴミが気になって連続して歩けません。
どうかドライバーの皆さん、捨てないで
捨てるのならを。
では、また明日^^