人工知能は人間を超えますか? | ふーちゃんのブログ

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私のブログは、離れて暮らす子どもたちと孫たちに向けて書いています。

こんばんわひらめき
 
 
 
 
娘一家はキャンプ場へ移動しました。
雨が降る前に帰れるといいわと心配しています。
一足早く「母の日」のプレゼントをいろいろもらいました。
中でもやっぱりカーネーションは嬉しいですね。
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 

 

のつづきです。

 

 

 

 

・「人工知能に何ができますか」

・「人工知能は人間を超えますか」

・「人工知能に仕事を奪われますか」

・「人類は人口知能に支配されますか」

 
 
 
 
「人工知能は人間を超えますか」?
もちろん、超える。
むしろ、超えないと意味がない。
IBMのWatson(ワトソン)は、
がん研究に関する2000万件にも及ぶ論文を学習して、
2016年には、ついに人間が見逃していた白血病を見抜き、
適切な治療法をアドバイスするまでに至った。
 
 
 
その後も、日々増え続ける論文を学習し続けており、
最初は半信半疑だった医師たちも、
今では「そうだ、ワトソンに聞いてみよう」と言うまでに至ったという。
 
 
入力と出力を完璧にパターン化できるデータ分析は、
人工知能の最も得意とするところ。
膨大な数の論文をマスターし、過去の分析事例を学習する。
それを忘れないどころか、日々、知恵は増え続けるのである。
人間たちが束になったって敵う(かなう)わけがない。
 
 
医療AIは、すべての医療機関に解放される方向で、
プロジェクトが進められている。
すべての医療従事者が、惜しみなく人工知能にデータを与え、
人工知能がこれに応える。
その結果、すべての医療機関が、
「世界の枠を集めた最高峰の診断力」を手にすることができる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
生きる力の与え方
では、人間は要らなくなるのか。
もちろん、そんなことはない。
論文をつくり出すのは、今のところ人間しかできない。
分析事例は、自ら増やしていくことはできるが、
失敗したときに、それを失敗だと判断するのは人間である。
 
 
そして、何より、患者に触れ、患者を感じ、
患者と共に歩むことは人間にしかできない。
医師は、AIのおかげで診断に使う時間を短縮でき、
治療に専念できるのだろう。
それ以上に余暇ができたら、人生を楽しめばいい。
 
 
 
人生を楽しむ人の、好奇心に満ちた嬉しそうな顔は、
周囲の人の脳に、ポジティブな信号を誘発するからね。
 
 
 
人間の脳の中には、ミラーニューロンと呼ばれる細胞がある。
目の前の人の表情や所作を、自らの神経系に、
鏡に映すように写し取ってしまう能力である。
人は、目の前の人が、嬉しそうな表情をしていると、
ついその表情を写し取ってしまう。
 
 
 
表情というのは不思議なもので、出力にも入力にも使える。
目の前の人の笑顔につられて、つい笑ってしまうと、
脳の緊張も解ける。
人間なら、そんな経験、山ほどしているはずだ。
 
 
 
医者は、忙しすぎては、きっといけない。
生きることを楽しんで、好奇心にあふれた嬉しそうな表情をしていてほしい。
生きることにブレーキをかけている患者たちのために。
 
 
 
そして、ミラーニューロンを刺激する、表情筋や、
温かい息の風圧や、さりがない所作こそが、
人工知能には、けっしてマネできない「生きる力の与え方」である。
 
 
というわけで、私は、人工知能の時代に、
「自らの人生を楽しむこと」もまた、人の仕事になるだろうと思っている。
そういう人の表情や声や、選ぶことばの語感が、
人を癒し、人を救う。
 
 
「楽しむ」とか「しあわせになる」がお金を生む時代。
天国かもね。
となれば、人工知能は天使なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
クールなほうがホットになる
ただ、好奇心に欠ける人には、厳しい時代である。
「これをやりなさい」と言われて、何も疑わずその通りにできて、
成績がよく行儀がよければ、仕事が山ほどあった時代には、
好奇心が僅少でも、人は社会の中枢で活躍できたのに。
 
 
 
「好奇心」の育て方。
これが人間社会の課題になる日が、ほどなくやってくる。
かといって、学校教育を「好奇心を育てる」に安易にシフトするのは、
私は賛成できない。
 
 
 
学校教育で手にするのは、「思考の道具」である。
道具の使い方を覚える道のりは、わくわくしてばかりもいられない。
数学のセンスを身につけなければ、
物理学の世界を本当に楽しむことはできない。
宇宙論を脳でつかむためには、
微分積分やベクトルの本質的な理解が必要不可欠なのだ。
奇想天外な実験にきゃあきゃあ言ったり、
星を見つめたりするだけでは、本当の「科学の心」は育たない。
もちろん、それをやるのが悪いとは思わないけど。
 
 
 
私自身は、化学式や方程式、元素周期表を見るだけでわくわくした。
「何かがモデル化されて数字になっていること」
に強く好奇心を感じたからだ。
 
 
ヒトの脳の好奇心は、楽しいから伸びるわけじゃない。
「何かわからないけど、美しいものを見せられて、その謎を知りたい」
と思うときに、最も強く働くのではないだろうか。
 
 
 
圧倒的に美しいもの。
それが「式」の人もいれば、「詩」の人もいれば、
「音楽」の人もいれば、「ダンス」の人もいる。
 
 
 
本当に好奇心が湧くものは、
「チラ見せ」されてつれなくされたほうが燃えるってことだ。
一方で、僅少な好奇心は、楽しく誘って火をつけないとね。
本当に核心をつく情報は、クールなほうがホットになる。
これは、コミュニケーションの奥義として、人工知能も知っておくといい。
 
 
 
大事なことをもう1つ。
ヒトは、手に入らないものに憧れて、好奇心を増幅させる傾向がある。
だから、「天才と呼ばれる名手」が、案外あっさりと、
その才能を投げ出してしまうことがある。
天才を育てるには、永遠の謎とか、究極の挑戦とかが必要なのだ。
オリンピックは、だから、人類の脳の進化のためにもきっと重要なのである。
 
 
 
 
つづく・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしの主治医もワトソン君に聞いているのかどうか知らないけど、
定期的に行くたびに
ちょっとずつ治療方針が変わって来ているのを感じます。
 
「2年」の投与が「15カ月間の間」になり、
ちょっと短くなってうれしかったです。
 
 
地震がありましたね。
新潟に帰ったばかりのブロ友さんは無事かしら?
どうか被害が最小でありますように。
 
 
 
 
では、また明日^^
 
 
 
 
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