心配ごとや不安が消える「心の整理術」を1冊にまとめてみた➁ | ふーちゃんのブログ

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こんばんわニコニコ
 
 
 
 
今日も晴れの国岡山は日本晴れでございました。
わが家のつつじがピンク紫だったはずが今年は全部ホワイト目
つつじって変色するんですね。
 
 
 
 
 

 
 
 

 

のつづきです。

 

 

 

ベル心配したことを疑う

「この職場には優秀な人が大勢いて、自分が活躍する場なんてないかもしれない」

と自分で自分を心配すると、心は沈んでしまう。

だが、そうして沈んだ心を引き上げられるのも、他ならぬ自分自身だ。

自分で蒔いた種は自分で刈り取ろう。

 

 

 

このときに効果的なのは、自己との対話。

たとえば先ほどの例だと

「この職場には優秀な人が大勢いて自分は活躍できないっていうけど、

本当にそうかな?」と、

視点を転換し、心配したことを疑ってみる。

すると「優秀な人の仕事を間近に見られるって、

幸せなことなんじゃない?」

「もっとよく見てマネできることはマネしてみようか」

「そうしたら仕事の仕方も変わってきて、何かが変わるかもしれないな」と、

別の発想が生まれるかもしれない。

 

 

心配ごとが心に浮かんだら、

それは本当に心配すべきことなのかと疑ってみよう。

世界が広がり、思考がポジティブになっていくはずだ。

 

 

 

 

ベル「この心配ごとは10年先まで続いているだろうか」と考えてみる

10年前、あなたは何をしていただろう。

その頃の心配ごとのうち、今、現実になっていることはあるだろうか。

当時は落ち込んでいたことも、今はもうすっかり立ち直っていたり、

笑い話になったりしているのではないだろうか。

そうした経験を思い返してみるだけで気が楽になるはずだ。

 

 

 

同様に「この心配ごとは10年先まで続いているだろうか」

と考えてみるのも効果的だ。

答えがイエスであれば「その心配ごとに対して、今何ができる?」

と自分に問いかけてみる。

できることには対応すればいいし、

何もできないなら、思いきって忘れてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
穏やかに生きるために
ベル不要なモノは手放す
不要なモノは手放そう。
モノを所有すると、それを維持しようとして、そこから苦しみが生まれるからだ。
 
 
不要なモノを捨てることで、「今」に焦点が合う。
身辺を整理し、溢れかえっていたゴミ箱を空っぽにすれば、
新たな世界が入ってくる。
出かける前の5分を、部屋をきれいにする時間にあてるのもいいだろう。
 
 
 
 
ベル感謝の気持ちを持つ
これからポジティブな自分で生きていきたいなら、
感謝という言葉を常に胸に留めておこう。
感謝の心は力強く人生を歩むための土台になり、
物事をシンプルに見る目を開かせてくれる。
 
 
この世に生まれ、存在していること。
他者の存在によって、自分の生を感じられること。
感情があり、成長できること。
毎日食事が摂れること。
屋根のある場所で眠れること・・・・・。
何に対しても常に感謝の気持ちを持つようにする。
 
 
 
幸福だから感謝の気持ちを持てるのではなく、
感謝の気持ちが幸福を呼んでくれる。
そのことを忘れず、「ありがとう」の気持ちを持って生きたいものだ。
 
 
 
 
 
ベル心の中に1輪の花を咲かせる
一輪の花の凛とした佇まいからは、美しさと力強さが感じられる。
豪華さや華やかさでは花束にかなわないが、
一輪挿しには人を惹きつけるパワーが備わっている。
 
 
その理由は、
誰かに見られていなくてもそこで咲き続けている強さにあるのかもしれない。
一輪でも寂しそうに見えないその佇まいに、
他者との比較を必要としない、確立された自己を重ね合わせるのだろう。
 
 
 
小さなことにクヨクヨ悩まず、芯のブレない生き方をしたいなら、
いつでも心の中に一輪の花を咲かせておくことだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
モヤモヤとうまくつき合う
ベル本当にやりたいことを見つける
心配ごとに心をとらわれるのは、時間があるからだ。
今を精一杯生きて、心配する時間をなくしてしまってはどうだろう。
 
 
今を精一杯生きるためには、「やりたいことノート」を書くのがおススメだ。
毎日、自分がやりたいことを10個書く。
頭にパッと思い浮かんだものを10個、毎日ただ書いていくだけでいい。
後半になると、やりたいことが数個だけ残り、
自分が本当にやりたいことに気づけるだろう。
自分が本当にやりたいことに時間を使えば、
心配ごとにモヤモヤする機会は減るはずだ。
 
 
 
 
 
ベル「苦手な人も何かの縁」と考える
どんなコミュニティでも、苦手な人の1人や2人はいるものだ。
どんな人ともうまくつき合える人などいない。
インドの仏教書『ダンマパダ』にも「嫌われている人は1人もいない」
と書いてあるくらいだ。
 
 
 
とはいえ、苦手な相手と出会ったのも何かの縁である。
まったく違う場所で生まれ育った人たちが、
同じ日・同じ場所に集まっている・・・。
そう考えただけで、その出会いは奇跡だと思えるようになるはずだ。
 
 
 
さらにいえば、そこで交わした会話は、
この地球の歴史の中で、もう二度と繰り返されることはない。
「自分にとっても相手にとっても貴重な一瞬を共有している」
と思えるようになれば、
互いを敬う気持ちが生まれるだろう。
「私の苦手な○○さん」ではなく
「この一瞬を共有する貴重な相手」ととらえてみてはどうだろう。
 
 
 
この時間が早く過ぎ去るようにと願うのではなく、
二度と戻らないこの時間を少しでもいいものにしようと考えると、
相手に対する態度も変わってくる。
あなたのその姿勢に他の人の共感が重なると、
そこにハーモニーが生まれる。
その場所が会議室であろうと、電車の中であろうと、
自分はハーモニーを奏でる一人なのだと思うと、
あなたの振舞いは変わってくるに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「苦手な人も何かの縁」と考える」。
この年になってもこれがなかなか難しいのです。
ときどきの会議の中で苦手な人にはついつい寡黙になってしまいます。
笑顔も消え、うなずくこともせず、ただただスルー。
人間の修行が足りないわたくしです。
ま、死ぬまで修行ですわ。
 
 
 
 
では、また明日^^
 
 
 

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