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GWはお茶の旅をします。


横浜~東京~のあとは地元愛知の犬山へ・・・


犬山 国宝「如庵」は有名ですが


明治村の「亦楽庵」もお勧めスポットの一つです。


「亦楽庵」では京都の医家、漢学者であった福井恒斎が


明治10年(1877)頃自宅の庭に建てたものと伝えられています。


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利休以後の茶室の様式はより小さな空間が好まれていきました。


しかし、この「亦楽庵」では開け放つ試みがなされています。


中に入れなかったのが残念でした。



その近辺に二つ


西園寺公望別邸


「 坐漁荘 」 は公望が隠居する際、静岡に建てた自宅を移築してあります。


読めないような漢字ですが、


こう覚えてください。



さおをたらせばすぐに魚が釣れることから


 「 坐漁荘 」と名づけられたそうですよ。



その室内がまるでお茶室を思わせるかのように


竹がふんだんに使われていたり、杉の葉を網代に編んだ壁だったり


裏玄関からすぐに水屋がありお客様にまず一服すすめるしつらえになっていたり


とても素敵な邸宅内でした。




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床に掛かるお軸は公望が最後にしたためた書のレプリカだそうです。



そのお隣


幸田露伴住宅も素敵でした。


「 蝸牛庵 」 かぎゅうあん  と読みますが


こちらもかたつむりの家と自宅を例えたところからこう名づけられたそうです。



ですからお茶室はどこだ。。。


と探したのですが、あえてお茶室は設けられておらず


書院造りの一段高い畳の広間でお茶を楽しんだそうです。




7つある釘隠しの微妙な違いや


戸棚の手かけの中の小さな模様に遊びがあることから


当時のお洒落の技を面白く感じました。




明治時代からのお茶はそれまでとガラリと変わっていきます。


女性の礼儀・作法に茶道が用いられるようになった


のもこの頃からですよね。



利休さんの頃のお茶ばかりに目がいってしまいますが


この頃のお茶は財界茶人が多く輩出されとても興味深い時代です。



あ~楽しかったです。




後半のGWは、はじめての萩をまわってみたいと思います。


長旅ゆえ8日ころまでブログをお休みいたします。


宜しくお願い致します。



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「椿の会」はじめての茶道3回完結教室

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