少年ジャンプを読み続けるのは惰性ではないのか | 文藝PIERROT

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サブカルに光あれ

こんにちは、月曜日。

今日も、小銭をちゃりりんと支払って、ジャンプを買う。
オトコノコはジャンプを買う。
今はなんとなくオンナノコだけのものじゃない気がするけども。

月曜日は電車であちらこちらで、老若男女のジャンプ読者たちを見かける。
ある人はパラパラと流し読み、ある人は笑いを噛み殺して読んでいる。

漫画家だったら、ジャンプで書きたいと願うという。
今は漫画ブームだから、プロ・アシスタントは安定した収入を得られるという。
そんな業界話はどうでもいいのだけれども。
ぼくは、今日もジャンプを読む。

ふと思う。
なんでぼくはジャンプを読むのだろう。
何を求めて読んでいるのだろう。

暇つぶしのため?
好きな作品があるから?
それとも、習慣になってしまっているからなのかしら?

週刊ジャンプならぬ、習慣ジャンプ。
100万回言われたそんな言葉が思い浮かぶ。

ワンピースは相変わらず冒険劇。
ナルトとブリーチは最終局面。
銀魂はバカ騒ぎで、トリコは正統派バトル。

なんとなく蠱毒のようにジャンル争い。
恋愛ジャンルはニセコイ優勢かな。

蘊蓄のこち亀があって、
スポーツのバスケ、バレー、剣道があって、
あと何故か西尾維新がいる。

ジャンプは好きなんだけども、
なんでジャンプを読んでいるんだろうって考えると、
生活の一部になってるからってのが一番なのかもしんない。

ええっと、みんなはジャンプ読んでますか。
読んでるとしたら、なんで読んでますか。

日常的になりすぎたことって、
改めて考えてみると、
なんでそれをしてるのかがわかんなくなるよね。