『カシスウー論』 ~教育現場って、みんなで損をしてるよねぇ・・・編~


 こんにちは イイダテツヤです。 
 第87回『カシスウー論』は、『教育現場って、
 みんなで損をしてるよねぇ・・・』編です。

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 なんだか、毎週テレビドラマについて書いているみたいだが、
 今週は江口洋介主演の「スクール!!」について、ちょっと書いてみようと思う。

 ドラマがおもしろいとか、おもしろくないとか、そういうことはまあいいとして、
 最近の小学校は、あんなにもおかしなことになっているのかと改めて思った。

 体罰はよくない、特定の生徒に過度に関わってはいけない、男女は平等にというくらいなら、
 私だってそれなりに理解できる。

 しかしそのために、男女とも「○○さん」という呼び方で生徒を呼び、
 いじめ対策として一人の生徒だけを別の教室で授業を受けさせ、
 朝礼では、疲れた人は座り込んでいいというルールのもと、
 何人もの生徒が朝礼の途中に座り込むのを教師たちが認めているなど、
 想像以上に不可思議な世界がドラマのなかで描かれていた。

 そこは、まあ、ドラマだから、現実世界の極端な部分を取り出し、
 かつデフォルメして描いているのだろうけれど、それを差し引いても、相当おかしな世界だった。

 大人がそんな調子だから、子どもの一部は増長し、道で大人に叱られようものなら、
 即座に防犯ブザーを鳴らし、「このおじさんが私に変なことをしようとする!」と大声でわめき散らす。

 言ってみれば、計画的な痴漢冤罪みたいなもので、
 狡猾に弱者のふりをしてしまえば、周囲の大人たちが一斉に守ってくれるのだ。

 ある意味、すごくコワイ世界だ。

 そのほか、教師の質が低下しただの、モンスターペアレントが無茶苦茶なクレームをつけてくるだの、
 教育現場には問題が山積しているようだ。


 実際に教育現場を見たわけじゃないから、本当のところはわからないけれど、
 何十年も前に比べれば、非常におかしな論理のもと、かなり窮屈になっているのだろう。

 江口洋介扮する熱血校長先生は、ドラマのなかで、そんな閉塞した雰囲気を少しずつ打破していくのだろうが、
 現実の世界では、そう簡単には運ばないだろう。


 私が小・中学生の頃だって、ロクでもない先生はいくらでもいたし、
 学校という場所は不合理のかたまりのようなところでもあったけれど、
 なんだか、いまの教育現場は、生徒にも、教師にも、そして保護者にも、まるでメリットのない、
 変な迷宮をさまよっているように感じられる。

 たとえば、情熱ある先生がやってきたとしても、
 学校の方針と少し違ったり、たまたまある父兄の気に入らないやり方をしてしまったりすると、
 途端に糾弾され、おとなしくなることを求められてしまう。

 やる気のある先生というのは、たいていやりすぎてしまうものだし、その分問題を起こすものだが、
 だからといって、すべての先生が「まあまあ、それなりに・・・」って感じで力が抜けているのもどうかと思う。

 父兄が文句を言うことで、教師のやる気を削いでいるのに、
 「教育者として、もっと熱意を持って欲しい」と、再び的外れなクレームをつけたりするのだろう。

 その一方で、ある父兄がじつにまっとうな注文を学校に出したとき、
 「あの人は、モンスターペアレントだから」と教師たちは腫れ物に触るように扱い、
 その父兄の存在をそれとなく排除しようとする。

 そんなやりとりをしていれば、教育現場はどんどん窮屈になり、人と人との距離が離れていくのも当然だろう。


 また別の視点で考えてみれば、
 インターネットの普及により、情報が共有されすぎているのも問題なのかもしれない。

 たとえば、ある地区の、ある学校で、教師が生徒に暴力を振るい、聴覚を失わせてしまったとする。
 とても深刻な問題だ。

 しかしその問題が起こった場所とはまったく別の地域、まったく別の教師が、
 目の前の生徒を殴るという行為は決して同じではないはずだ。

 それなのに、生徒を殴るという一点だけですべてを短絡的につなげ、同視してしまうのは、
 けっこう危険なことだと思う。

 別に私は体罰を肯定しているわけではない。
 突き詰めれば暴力なのだから、体罰をしないほうがいいとは思う。

 ただし、ある地区で問題になった体罰・暴力と、
 別の地域で行われようとしている体罰・暴力を同じものとして、
 一元的に排除するのは新たな問題を孕んでいるとは思う。

 そこのところを冷静に区別し、個別に判断することが教師にも、生徒にも、保護者にも必要なはずだ。

 それぞれの場面で、三者がメリットを冷静に考え、個別に対処しないことには、
 日本中(あるいは、世界中)で起こるすべての問題に振り回され、
 結果として「何もしない教育」「距離を置く関係」ばかりが残ってしまうだろう。


 体罰や暴力に限らず「先生がある特定の生徒と深く関わる」という問題にも共通する部分が多いだろう。

 たとえば、ある教師が特定の生徒を何人か連れて、映画を観に行ったとしよう。

 そもそも非常に不公平だし、プライベートでそんなことをして、もし何かトラブルが起こったらどうするのか、
 教師として自覚がなさ過ぎるんじゃないか、などの非難はすぐに巻きおこるだろう。

 実際、生徒がケガをしたり、何らかの事件に巻き込まれたりしたら、
 「先生が生徒を映画になんて連れて行くからだ!」と日本中からバッシングされるだろう。

 非難は非難として、十分妥当だと私も思う。
 でもそのために、日本中の先生が生徒を映画に連れて行かなくなってしまうのも、ちょっとつまらない。


 いまと昔では、社会の風潮、先生に課せられる責任、保護者の意識など、あらゆることが異なるのだが、
 私は小学生の頃、担任の先生に映画へ連れて行ってもらったこともあるし、
 私を含む5、6人の生徒をスキー旅行に連れて行ってもらったこともある。

 何でもない日曜日に、担任の先生がクラス全員を上野動物園に連れて行ってくれたこともあった。

 いまでは、考えられない暴挙だろう。

 何も、すべてが昔のようになったほうがいいと言っているわけではない。
 ただ、いまの教育現場には、誰も得をしない「窮屈なしばり」が無数に存在して、
 一番大事な「教育」が置き去りにされているように感じる。

 私には子どもがいないし、熱く語るほど教育問題に興味があるわけでもないが、
 こんなにも、関係者全員が損をし、不満を感じ、信頼を失っている世界も
 なかなかめずらしいのではないだろうか。


 とはいえ、私の通っていた中学もあらゆる面で理不尽極まりなかったし、アホみたな校則に縛り付けられ、
 まるで理由もわからないまま何十発も殴られながら、それなりに成長してきたわけだから、
 学校がどんな状態でも、子供たちはそれなりに育っていくのかもしれないけどさ。



 教育問題はとてもむずかしい・・・・