『カシスウー論』 ~奇跡のようなゲーム・・・編~

 こんにちは イイダテツヤです。 
 第99回『カシスウー論』は「奇跡のようなゲーム・・・編」です。

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 もともと私はスポーツが大好きだから、スポーツのことを語り出すと、妙に熱くなったり、
 マニアックになったり、独善的になり過ぎてしまう危険がある。
 だから意識してあまり書かないようにしているのだけれど、さすがに今回は語らないわけにはいかない。

 そのくらい、なでしこジャパンはとんでもない偉業を成し遂げたのだ。


 スポーツの話題でよく使われる「奇跡」という言葉は、個人的にはあまり好きではない。

 奇跡なんて言葉でかたづけてしまうと、それまでの道のりがなんだか軽く感じられるし、
 「おまえらが勝つなんて、誰も思ってなかったぜ」という見下した印象を、私は勝手に感じ取ってしまうからだ。

 しかし、あえて思うのだけど、今回のなでしこジャパンの優勝はホントに、ちょっと奇跡的だった。


 私の勝手な考えだけど、サッカーの力を評する指標は5つ。
 強さ、速さ、高さ、巧さ、そして戦術(チームワーク、監督の能力などを含む)だ。

 そして、そのうち三つくらいの要素が優れていると、ぐっと勝利に近づくのだ。

 たとえば、バルセロナは巧さと戦術で圧倒的に優れていて、いろいろな意味でのスピードも速い。
 走るのが速いだけでなく、パスのスピード、判断の速さがあるということだ。
 そうやって三つの要素で相手を圧倒できれば、強さ、高さがなくても、世界を制することができるわけだ。

 さて、今回の決勝戦。

 アメリカチームは、強さ、速さ、高さという三点で明らかに日本を圧倒していた。
 日本チームはパス回しの速さ(すなわち、巧さと戦術、そして判断の速さ)がウリのチームなのだが、
 アメリカの強さ、高さ、速さ(特に走る速さとパスのスピード)に圧倒され、
 まるで自分たちのサッカーができないでいた。 

 巧さと戦術が圧倒的に勝っていれば、そのプレッシャーをかわすこともできるのだが、
 残念ながら、今回のなでしこジャパンはそこまでのレベルではなかった。

 女性版バルセロナと評されるのは光栄だが、やはりバルセロナではないということだ。

 アメリカは試合開始から持ち前のスピード、パワーでガンガン攻め立て、日本ゴールに襲いかかってきた。
 前半のうちにあっさり3、4点取られ、ゲームが決まってしまってもおかしくない状況だった。
 しかし、最後のところで相手がシュートをミスしたり、ゴールポストやクロスバーに当たり、
 なかなか得点には到らなかった。

 これが奇跡の第一点だ。

 しかし、これはサッカーではめずらしくない話。
 こんなに長々と書いてきて何だけど、私が言いたい本当の奇跡はこれからだ。


 「日本のエースは誰か」と聞かれれば、たいていの人は「澤だ」と答えるだろう。
 実際、彼女は得点王にもなったし、大会MVPにも選ばれたのだから、エースとして大活躍したと言える。

 しかし、そのプレー内容がすべてすばらしかったというわけではない。
 アメリカ戦に限らずその前のスウェーデン戦でも、攻撃への起点となるパスがカットされる場面は多く、
 そのせいで失点するケースもあった。

 攻撃の起点となる選手、しかも絶対的な信頼を得ている選手がボールを持つと、
 周囲は「さあ、攻撃だ」というスイッチが入って、気持ちも、体も前に動き出す。

 その瞬間にボールが奪われ、攻撃を受けるというのは、じつに危険な状況なのだ。
 単なるパスミスでは許されないほどのダメージを受ける。

 今大会、澤はそんなピンチを何度もつくってしまっていた。

 サッカーではよくあることなのだが、実力、実績、自信、プライドを持った選手ほど、
 自分の思い通りのプレーができないと、徐々に苛立ってきて、メンタルのバランスを崩していく。
 メンタルのバランスを崩すことでさらにプレーの質が下がり、最悪の循環にはまっていく。

 メッシだって、クリスティアーノ・ロナウドだって、スナイデルだって、そんな場面はめずらしくない。
 中田英寿、中村俊輔、本田圭佑、誰にだって当てはまる話だ。

 そして、その選手がチームに与える影響力が大きければ大きいほど、
 引きずられるようにチーム状態も悪くなり、なかなか立て直せないまま試合が終わってしまう。

 なでしこジャパンのアメリカ戦は、そのパターンにはまってもおかしくない場面がいくらでもあった。

 しかし、私が見る限り、澤という選手はメンタルのバランスをまったく崩してはいなかった。
 単純にピッチを走り回り、攻撃でも守備でもゴール前に顔を出したし、
 ボールを持っている選手に近づいてパスコースをつくり、仲間を助けた。

 「私はもっとできるのに」とか「こんなプレーがしたいのに」などいろいろ考える前に、
 自分にできることを、単純に、淡々と、精一杯やっていたのだ。

 自分にできることをやる。
 言葉にすると簡単だが、チームの中心にいるスター選手にとって、この発想に立ち戻るのは想像以上にむずかしい。
 責任感と能力の高い選手ほど、良くも悪くも「自分がなんとかしてやる」という思いにとらわれてしまうからだ。

 その強い思いを表に出すことがプラスに働くことももちろんある。
 しかし、もし澤がそんなプレーをしていたら、日本はずるずるとアメリカのペースに引き込まれていただろう。

 実際、澤という選手は「その思い」を心の奥に持ちながら、淡々と自分ができるプレーを続けた。
 パスミスをしても、またすぐに走り出し、ディフェンスのポジションを取る。
 スター(あるいは中心選手)としてのプレーではなく、単純に仲間を、チームを助けるプレーを続けたのだ。

 その迷いのないプレーぶりがあったからこそ、なでしこジャパンはチームとしてメンタルバランスを崩すことなく、
 得点されても下を向かず、粘り強く、強者アメリカに食らいつくことができた。  


 そんなとき、少しずつゲームの流れは変わってくるものだ。
 そして往々にして、予想もしなかった新たなスターが誕生し、チームを救ってくれるものだ。
  
 目立たない、地道な貢献をスター選手がすることで、無名の選手にスポットライトがあたる。
 頂点まで上り詰めるチームによくある王道パターンだ。
 
 もしかしたら、そんな展開が見られるかもしれない。
 そんな期待を胸に、私は息詰まるゲームをじっと見つめていた。

 ところが、実際はそうはならなかった。
 再び脚光を浴びたのは澤自身だったのだ。

 延長後半12分。
 コーナーキックからのむずかしいボールを右足のアウトサイドで合わせ、アメリカゴールに流し込んだ。  
 あの状況で、あのゴールを、澤が決めるなんて、あまりに出来すぎた展開だった。

 観戦している日本人はもちろん、ピッチでプレーしている選手、スタッフ、世界のメディアなど、
 多くの人が「ああ、これは日本が勝つ展開なんだ」と思ったのではないだろうか。

 試合後、澤自身が「サッカーの神様はいましたね」と語ったように、
 神様が書いた奇跡のシナリオとしか思えないドラマチックな展開だった。



 一つの勝利を、別の何かと結びつけるのはあまり好まないけれど、
 やはり何か、大きな流れを感じずにはいられない印象的な、奇跡のようなゲームだった。